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コロナウイルス連作短編その120「図書室の先生が死んじゃった」

 抱えているのはバスケットボール、目の前にいるのは私の母さん。アパートの前、無造作におかれて、いつだってかすかに揺れているゴールポスト。こんな状況でのおあそび1on1だって、母さんはいつだって真剣そのものだ。彼女は、ほんとう、運動神経というやつがバツグンである。昔は陸上の短距離ランナーとして並みいる速度の女たちを、突風さながら薙ぎはらっていったらしい。野球、サッカー、ラクロス、新体操。興味あったスポーツにはひととおり挑戦して、プロですら圧倒する活躍をみせたとか、みせてないとか。でもそれがウソとは思えないのは、今まさにその能力を見せつけられているからだ。母さんは40代だけども、うごきの切れあじは、わたしの同級生よりも全然すごい。彼女たちは鉛筆でテキトーに描いたモブの棒人間で、母さんはプロの漫画家が描いた、線がめちゃめちゃ引かれてる主人公だ。ちいさな頃から彼女とすごして、バスケなんてやってたら、そりゃ学校くらいじゃ満足できない。体育の時間ではいつもヒーローってかんじで、チヤホヤされて気分はいいけど、いつだって物たりないのだ。だから部活とかははいらないで、その時間は図書館で本をよんでいる。そっちの方がずっと興味深いんである。
 それで、母さんが暇なときはアパートのまえでバスケをする。最高のライバルなんだ、いつだって。たぶん母さんの運動神経を受けついだんだろう。これに関してはわたし、彼女のクローンってかんじなんだけども、楽しいからそれもわるくない。「暁美は父さんの運動神経受けつがんでよかったよなあ」とパパはいつだってわらいながら言う。心苦しいけれども、まさにそうなのである。
 ボールをもって母さんと対峙するとき、はだがビリビリくる。細胞の1つ1つのなかで緊張感が爆発してんだなってわかる。ボールをドリブルしながら、わたしは母さんを背景ごとにらみつけるんだ。そのどこにスキがあるのか、トラさながらにねらう。この時に大切なのが、すくなくともわたしにとっては息づかいなんだった。この膠着状態、この静寂において、息のだしかたや響きってものが、いちばんの駆けひきだ。これで自分のリズムをととのえたり、逆に相手のリズムをみだす、2つを同時にやらんきゃ話にならない。
 そして、何がきっかけかすら分からない一瞬のあと、膠着状態がやぶれて、ダイレクトな戦いになる。経験豊富な母さんの俊敏さとか、ある種の目ざとさだったり、そういうものの裏をいかにかくかをいつだってかんがえる。このとき、わたしの感覚はいがいとグィインとのびてる。口からだしてガムであそんでるとき、ツバできたないのに指でつまんでめっちゃのばす、感覚がああいう細ながさになってる。このなかで母さんの視線だとか手のゆれだとか、意識してるんだろううごきも、意識してないんだろうってうごきも、全部捉えるってふうに観察する。そしてわたし自身のからだに重ねるんだ。ふしぎだけど、このとき明らかに母さんとわたしは1つの存在になってる。彼女がどう思ってるかはしらんけど。
 でもここまでしても、ほとんどの場合は母さんに見切られる。スキってものを見出だした!とおもうと、それはブラフで、みごと罠に引きこまれてボールをうばわれる。もしくはこっちのスキを誘発されて、ディフェンスをすり抜けられ、ゴールにボールをブチこまれる。もちろんくやしいけども、同時にすがすがしい。じぶんの娘だからって手加減いっさい加えないその大人げなさ、大人には貴重だ。そのせいで1000回以上は7点先取されてるけども。へっへっへって、母さんのケーハクな笑いごえを聞いたのは数えきれない。
 だけどもわたしも負けてない。ときどき、これは行けるって瞬間があって、それが今なのだ。わたしは匂いをかんじてるんだった。親の体臭がにおうって気味悪い瞬間のほうがおおいけど、今は興奮してる、というかちゃんといえばそういうのとは微妙にちがう。匂いはわたしに勝利への道をしめしてくれる。それは理論とか理屈とかそういうのを越えた、いちばん感覚的なもので、とらえられる時はほんと稀だけども、バスケの激しいうごきのなかで、それをたぐりよせ、鼻の粘膜でとらえると、最適解が一瞬に、いっきに開けるんだった。こうすればこっちのもんなんだよなあ。わたしには未来の残像が見えて、そこを忍者さながらに突きぬけ、空間を制圧するのである。このときばかりは母さんも反応できず、忍者の速度と王公貴族の余裕をいっしょにまといながら、レイアップシュートを華麗にきめるのだ。ボールは手からはなれるけど、その魂はかさなりあってる気がする。だからそれはわたしの魂ごとゴールポストにすっぽりと入り、よっしゃとなる。
「2人ともご飯できたぞ!」
 2階からパパがわたしたちを呼ぶ。
「今日、ご飯なに?」
 1階から母さんが尋ねるけど、パパは笑うだけで部屋にもどっていく。

 ということで、今日の夕ごはんはプルコギとか麻婆豆腐とか野菜いためとか、そういうのだった。わたしは完全に肉食獣というかんじで、箸で大量にプルコギをつかんで、どしゃあんと白飯のうえにのっけて、いっきにバオンッと食べる。舌が燃えあがるほど熱いけど、それが気持ちいい。
「いっきに喰いすぎ、もっとゆっくり、よく噛んで喰えって」
「ハイハイ」
「ハイは1回だよ」
「ハイ、ていうかエミパパはもっとたくさん食べた方がええよ」
 1年前くらいまでエミパパはエミママだった。わたしは母親が2人なので炯母さんとエミママって呼びわけてた。でもある時、エミパパと呼んでほしいって言われたので、そう呼びはじめた。今までも明るかったけども、それからもっと明るくなったので、よかったなあって思ったんだった。1回、名前は女性のままでいいのと聞いたけど、エミって名前は性別関係なく愛着があるから“エミパパ”がいいと言っていた。だからエミパパって呼んでる。
 麻婆豆腐をバクバク食べながらキング・オブ・コントについて話した。母さんは蛙亭のホムンクルスネタが好きで(でも男の方がキモすぎる)、パパは空気階段推し(優勝おめでとう、わたしは納得いかない)だけど、わたしは断然ジェラードンが好きだった。あの角刈りのアタック西本のキモカワイさが癖になるし、今回のネタはそれを存分に発揮できるものを持ってこれてたとおもう。でも負けたのでくやしかったけど、番組がおわった後に、敗北記念でそのコントをYoutubeにアップしてたので、それを観てまた爆笑した。
「でも一番すごいのは、あのイケメンのフリしてた不細工のかみちぃだったんだよ!」
 わたしは思わず2人に力説してしまう。
「運動神経ヤバいんだよ、実際」
 わたしは口をモガモガ動かしながら、立ちあがる。
「バスケやってる動画みたら、マジでヤバかった。ジャブステップの切れ味と、プルアップん時の空中姿勢で、これはもうずっとバスケしてたんだなって一発で分かったし。緩急がマジですごい。フェイントかけて相手を転ばせてから、3ポイントシュートを決めるのがめっちゃ優雅。この人、シュート気質でかつ生まれながらのアンクルブレイカーなんだなあって興奮した!」
「いや、専門用語使いすぎでよく分からん」
「私には分かるけどね」
 そんなふうに皆で笑った。
 ご飯を食べおわって、母さんといっしょに食器を洗ったあと、リビングでそのまま宿題をする。読書感想文だ。読書すきなんだから簡単に書けるでしょとか友だちにも言われるけど、すきな小説とかはそりゃ書けるよ、でもよく分からん歴史上の人物の伝記とかそういうやつの感想はぜんぜん書けない。今がまさにそんな感じ。わたしの手はとても正直者なのだ。それでもがんばって書いてたら、うしろからパパが原稿用紙をのぞきこんでくる。
「これ、字がちょっとちがうぞ」
 そういうと、パパは“にも関わらず”の“関”のよこに小さなバツを書いた。
「えっ、こう習ったけど」
「ホントか。“にも関わらず”の“関”はひらがなか、こういう字だぞ」
 パパは原稿用紙の余白に“にも拘わらず”と書いた。
「この字知ってるか」
「なんか、警察が犯人つかまえたみたいな言葉につかうやつ」
「そうそう、あと“こだわる”って執着みたいな意味でもつかうよ」
 でもわたしは普通に“にも関わらず”だろって思って、ムッとした。だから部屋にもどって、紙の辞書と携帯で見れるインターネットの辞書を読んで、なんか屁理屈かませないかって探した。それでパパのとこへ戻る。
「でもさ、“にも関わらず”って“とは関係なく”って意味でつかうじゃん、この辞書にも書いてる。それからこっちのインターネットの辞書にどういうときに使うか書いてあるけど、“後ろの文の内容と、前の文で提示される内容には関係がない時につかわれる”ってさ。だから“関係”を否定するってことで“関わらず”はあってるじゃん、同じ“関”って漢字も使ってるし」
「いや、え、そうだけど……」
「それに“拘”はパパが言ったとおり“こだわる”って意味だけど、これって関係性の形の1つでしょ。それを否定しただけじゃ、ほかにも関係性の形はあって、じゃあ関係ないわけじゃなくない? “とは関係なく”って当然だけど関係の1つじゃなくて、関係そのものを否定するんだから、“にもかかわらず”の漢字は“拘”じゃなきて“関”のほうがよくない?」
「い、いや、でも昔からこう書いてるから……」
「言うとおもった! 最近、世界史の先生がこんな言葉教えてくれたよ。“難しいのは新しいことを思いつくことではなき、古い考えを捨てることだ”だって。昔の経済学者の言葉だってさあ」
「おまえ、ほんと喰えないやつだよ」
「はっはっはっは」
 わたしは勝ちほこるみたいに、胸郭をひろげる。スマホ首をなおすにはこういう運動を日々したほうがいいので、この姿勢のままで部屋にいった。宿題なんてやってられっか。

 ベッドでゴロゴロしながら友だちとaespaとか「イカゲーム」とかについて喋ってたら、隣からガタガタ音がきこえる。母さんだ。そしてしばらくすると、はあってため息をつく。いつものやつだ、帳簿をつけてる時にこういうよどんだため息をいつだってつくんだ。聞くたびに心がさむくなる、いろいろと不安になる。わたし大学いけるのかなとか、いけてもめっちゃ奨学金借りなきゃいけんのかなとか、Netflix解約されてもう最新の韓国ドラマ観られなくなるかもとか。まあ違法視聴もできるけど、それだと友だちと同時視聴とかできないし、日本語吹替で韓国語字幕みたいな勉強ができなくなるし、いやだった。でもわたしはただ布団で頭ごと耳をぜんぶおおいかくすしかできない。
 しばらくそうしてたら、ドアがノックされる。パパだった。
「リビングに宿題のノートとかぜんぶ置きっぱなしだぞ」
「ああ、ごめん!」
 そう言うとパパが入ってきて、ノートとかを机においてくれる。
「あと、これソファーに置いてあったぞ」
 パパは1冊のわたしの方に見せる。『みつきの雪』っていう児童文学の本だった。
「これ、図書館で借りてきた本だろ」
 わたしは本を受けとる。表紙のなか、1人の高校生の少女がさびしげに立ってる。それ以外はまっしろだ。そのしろさと彼女のおぼろげな表情を見ていると、本のおもみが手にグッとのしかかってくる。皮膚はおもわず冷たくなるかっていうと、むしろ逆で熱くなってくるんだ。本をひらこうと思うけど、どうしてもひらけなかった。ひらいたら、ページのあいだあいだから何もかもぜんぶ飛んでいってしまいそうだから。それで、わたしは泣いてた。涙も鼻水もとまんなくなって、ダラダラだったんだけども、不思議と、これが本にかかったら汚くなっちゃうなっていう考えも冷静にうかんだ。わたしの心がいっきに変になっていた。
 パパはなにも言わずに抱きしめてくれた。パパはやさしい、イケメンというよりハンサムで、とてもやさしい。
「             」
 でもそれをパパに言えなかった。どうしても言えなかった。なのにパパのシャツはわたしの鼻水でネトネトになっていって、どうしようもない。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。