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ルクセンブルクの公用語はルクセンブルク語なのに、ルクセンブルク語ではルクセンブルク文学を読めない!?

この記事は藤ふくろうさん主催の「海外文学 Advent Calendar 2022」12月12日のエントリーです!

 世界文学が読みたい!
 だけど巷で言われている“世界文学”といえばアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアなんていう感じで、かなり西欧もしくは白人文化中心なところがある。他の国の文学が読めるにしても、書かれているのが英語だからってのも多い。
 個人的にはそれが“世界”だとは思いたくない。世界っていうのはもっともっと広いはずだ。
 ということで今年は意識的に既存の“世界文学”の枠では語られない文学を探し求めていた。例えば、オセアニア地域の一国バヌアツでは初の長編小説が書かれたのは2007年らしいのを知ったり、アラビア語ではなく英語で書かれたクウェート文学を読んで“作品を英語で書く”ということの政治性について考えたり、2010年代のウルグアイ文学を読んでノックアウトされルーマニア語で作品評を書いたりと、色々なことがあった。機会があればこれらについてもいつか書きたい。

 だが、今回紹介したいのはルクセンブルク文学についてだ。
 皆さんはルクセンブルクという国を知っているだろうか。フランスとドイツという大国に挟まれた小さな国で、ベネルクス三国にベルギーやオランダとともに属している。これくらいだろうか、斯く言う俺も以前はこんな理解だった。
 だが調べてみるとこの国、なかなか興味深い。EUのシェンゲン協定のシェンゲンは協定への署名が行われた地区の名前だが、そのシェンゲンはルクセンブルクにあったりする。金融センターとしても有名で、国民の生活は豊かな一方で金融界の暗い噂には事欠かない。さらにポール・トーマス・アンダーソンの「ファントム・スレッド」で一躍有名になった俳優ヴィッキー・クリープスなんか実はルクセンブルク人だったりする。
 で“そんな国の文学は一体どんなものだろうか?”というのが今回のテーマ……ではない。今回のテーマはそれ以前のお話、つまり“そんな国の文学は一体何語で書かれているのか?”である。

みんな大好き、ヴィッキー・クリープス。最新作“Corsage”はオーストリア映画、多言語映画でもあるけどそのなかにルクセンブルク語は入らず!

 そもそも何故、俺はルクセンブルク文学に興味を持ち始めたのか?
 俺は“趣味:語学”みたいな語学オタクな面がある。で、そんな感じなので日々言語について調べているのだが、偶然に“ルクセンブルク語”のWikipediaページに行き当たり、これを読んでいたら興味深い記述を見つけた。

“ベルギーのリュクサンブール州アルロン行政区とリエージュ州ブルク=ロイラントおよびザンクト・フィート周辺地域、フランスロレーヌ地域圏モゼル県北西部、ドイツラインラント=プファルツ州西部のビットブルク、トリーア周辺地域で使用されるほか、米国やルーマニアのトランシルバニア地方においても、これらの地域からの移民によって使用される。”

 俺はまずこの“ルーマニアのトランシルバニア地方”っていうのに目がいった。俺は筋金入りのルーマニアックな野郎で、ルーマニア映画にハマってルーマニア語を勉強してルーマニア語で小説家としてデビューなんてこともやらかした。これに関しちゃ話すと長いので、2020年の外国文学アドベントカレンダーの記事を読んでくれたら嬉しい。
 だからルーマニアで“ルクセンブルク語”が話されているというのに興味を持ち、調べ始めた。何でもルーマニアにドイツ系少数民族のトランシルバニア・ザクセン人が住んでいるのだが、彼らの言語ジーベンビュルガー・ザクセン語はルクセンブルク語の方言として見なせるそうなのだ。
 ここでまた俺はオッとなる。以前、映画批評家として「コレクティブ 国家の嘘」というルーマニア映画に作品評を書いたのだが、その監督アレクサンダー・ナナウが実はザクセン人なのだ。であるからして、もしかするなら彼の母語の1つがこのジーベンビュルガー・ザクセン語というルクセンブルク語の方言なのかもしれない。確証はないんだけどもね(さらに「コレクティブ」の共同制作国がルクセンブルクなのにも納得が行った次第だ)
 ここで俺はルクセンブルク語に興味が湧いた。そういう時は語学オタクの性として、とりあえず図書館に行って文法書を探す。こういったマイナー言語は日本語テキストが存在しないこともままあるが、今回はあった。田原憲和著の「ルクセンブルク語入門」である。いつもありがとう、大学書林!
 ということでこの本を読む。語学オタクあるあるとして“ガチガチの文法書を本みたいに読む”というのがあるが、俺もそんな感じで読んでいた。ルクセンブルク語はゲルマン語の1種で、例えば英語やオランダ語と近縁、中でもドイツ語とはかなり近くて一時期はドイツ語の方言とも言われていた。だがフランス語に大きく影響を受け、語彙にフランス語由来のものが多くなり、かつあの悪名高い発音や綴りもかなり引き継いでいる。基本的にはドイツ語及びゲルマン語だが、発音や綴りなどはフランス語及びロマンス語っぽい。このハイブリッドぶりが面白いのだ。
 俺はこういうハイブリッド的な言語にかなり惹かれる。例えばルーマニア語はロマンス語でイタリア語とかなり似ているが、周囲をスラブ語圏に囲まれているゆえ語彙や発音がスラブ化、さらに他のロマンス語が失った格変化を残している。いわばロマンス語とスラブ語のハイブリッドがルーマニア語だ。そしてヨーロッパの島国マルタで使われるマルタ語は実はアラビア語方言の一種だが、イタリア語からの影響が語彙や文法に顕著に見られ、かつアラビア語で唯一、というかセム語派で唯一アルファベットで綴られるという特徴を持っている。だからセム語とロマンス語のハイブリッドという印象。
 この意味でルクセンブルク語はゲルマン語とロマンス語のハイブリッド、もっと言えばドイツ語とフランス語のハイブリッドのように見える。まあ俺は他の人が知らないマイナー言語ばっか勉強するもんで、2つに関する知識は全然ないから詳しくは語れないが、でもこういう印象だ。そして先述した通りドイツ語の方言だなんだ言われるが、俺としては“まず最初にルクセンブルク語があり、それが分かれて初めてドイツ語とフランス語が生まれた”なんて方がむしろしっくりくる。そういう興味深い言語がルクセンブルク語なんだった。

日本語で唯一のルクセンブルク語テキスト「ルクセンブルク語入門」
大学書林さん、次は「ジーベンビュルガー・ザクセン語入門」出してちょ

 で、俺にとっての語学を勉強することの醍醐味というのは、外国語で文学を読むっていうことだ。いや、まあ確かに“文学を読むためには超高度な語学力が必要”とはその通りだが、俺は語学は楽しいからやってるのであって、そういう“正確に読み取れるか”みたいな厳格なやつは学者や研究者に任せている。だから俺は語学の練習初期段階から、文学の情報は集めまくっている。これが勉強のモチベーションにもなるしね。
 ルクセンブルク語に関しても、早い段階からルクセンブルク文学について調べ始めた。古典に関してはもちろんだが、俺は特に若い現代の作家について調べていた。俺もいっぱしの小説家なので、今のコロナ禍みたいな未曾有の息苦しい状況を、ともに生き抜こうとしていると思える同世代の作家の作品が読みたいって思いからだ。
 だが出版社のホームページなんかを検索していると気づくことがある。例えばドイツ語、そしてフランス語で書かれた小説や詩は簡単に見つかるのだが、肝心のルクセンブルク語で書かれた本が出てこない。出てきてもかなり大御所による作品ばかりで、若手はみなドイツ語とフランス語で書いているらしい。これは一体どういうことなんだ?
 そして俺はルクセンブルクの公用語という領域に足を踏み入れることになる。この国の公用語は3つ、ドイツ語とフランス語、そしてルクセンブルク語だ。俺はルクセンブルクに行ったことない(というか外国に行ったことが一度もない)から全部伝聞調になるが、ルクセンブルク人同士の日常会話自体はルクセンブルク語で行われるらしい。だが外国人が人口の1/3を占めるほど多いので、世界的により広く使われてるドイツ語、フランス語、さらに英語がこの国でも使われる状況もかなり多いという。
 そして公教育においては外国語カリキュラムが相当充実しており、小学校からドイツ語を学び始め、ある程度まで学ぶと授業自体がドイツ語で行われるようになるんだそうだ。で、ドイツ語でフランス語の授業が行われることになる。後には英語も学ぶので、ルクセンブルク人は学生のうちから4言語をみっちり叩きこまれるそうだ。日本のTwitterでも、ルクセンブルクのニュースキャスターがルクセンブルク語、ドイツ語、フランス語、英語、ポルトガル語、スペイン語でニュースを報道するって映像がバズっていたが、この国の教育システムはそんな語学に長けた人物を多数輩出できるように構築されているってことなんだろう。
 そして学校でフランス語について学ぶのは、ある面でドイツ語よりも大きな意味を持つ。何故ならルクセンブルクにおいて、国の行政と法律の言語がフランス語だからだ。成文法はフランス語で書かれているわけである。そんな重要な権限をルクセンブルク語でなくフランス語に明け渡してオッケーなの?と思わなくもないが、背景には様々な歴史があるので深くは立ち入らない。

 そしてこっから文学の話に戻るのだが、こうしてドイツ語とフランス語の方が重要視されている状況だと、芸術に関してもこの2つの言語をもとに作られることが自然と多くなり、文学も例外ではない。例えばシネフィルの皆さん、フリッツ・ラングのマブゼ博士シリーズは当然知っているだろうが、これには原作シリーズがある。日本でも1作目の“Dr. Mabuse, der Spieler”が「ドクトル・マブゼ」という邦題で早川書房から出ているが、原作者のNorbert Jacques ノルベルト・ジャック、実はルクセンブルク人である。そして彼はルクセンブルク語ではなくドイツ語で書いていたわけだ。彼は1922年にドイツ国籍を取得し、同年に“Dr. Mabuse, der Spieler”をドイツ語でかつドイツで出版したんで、色々な意味で今作は“ドイツ文学”という方が正しいだろうが、ある面から見るとこれは“ドイツ語で書かれたルクセンブルク文学”の側面も持つのである。

ノルベルト・ジャックの「ドクトル・マブゼ」ドイツ語版表紙
写真はこちらから引用。ドイツ語でのジャック紹介も掲載

 この時代のルクセンブルク人作家は、多くがジャックのようにドイツ語か、もしくはフランス語で書いていたのだ。もちろんルクセンブルク語で書く人物もいたが、書かれる作品は詩と戯曲に限られていたのである。初めてルクセンブルク語で長編が書かれるのは、何と1985年まで待つ必要があった。そのルクセンブルク語における長編小説の父がGuy Rewenig ギュイ・レヴェニシュである。彼はまずドイツ語で作家活動を開始し映画批評や戯曲、エッセイを執筆していたが、37歳の時にルクセンブルク語で長編“Hannert dem Atlantik”(“大西洋の背後に”)を出版し、これ以後は2つの言語を行き交いながら執筆を行っている。
 これを知った時、かなり驚かざるを得なかった。日本じゃ“世界最古の長編小説は紫式部の「源氏物語」だ!”みたいな胡散臭い言説が語られて、俺は全く信じていないが、なまじこの言説を知っているせいで“ある国やある言語における初の長編小説とは何か?”とか“それはいつ書かれたのか?”を妙に意識するようになってしまっている。そんなんなので“ルクセンブルク語で初めて長編小説が書かれたのは1985年”って情報にはマジに驚いたんだよ。そしてまた驚いたのが、そもそも1984年の言語法制定までルクセンブルク語が独立した言語と見なされていなくて、この時やっと公的な誕生を迎えていたんだった。その翌年にルクセンブルク語で初めて長編小説が書かれたっていうのはなかなか示唆的だ。

 こういう感じでルクセンブルク語のルクセンブルク文学っていうのはかなり少ない。歴史はドイツ語やフランス語のそれと同じくらい長いが、その量は圧倒的に少ない。で、じゃあ現代作家はどの言語を使って小説や詩を書いてるんだ?という疑問が出てくる。俺なりに調べてみた結果がこれだ。

Francis Kirps ドイツ語
Gast Groeber ルクセンブルク語、フランス語、ドイツ語
Jean Back ルクセンブルク語、ドイツ語
Inès Pyziak フランス語
Nora Wagener ドイツ語
Samuel Hamen ルクセンブルク語、ドイツ語

 上3人はEU文学賞を獲得した中堅作家陣で、ルクセンブルク文壇ではかなり有名な存在だ。下の3人は2010年代から活動を始めた若手作家たちである。Inès Pyziakは2001年生まれでビリー・アイリッシュと同い年、それでいて13歳で初長編“Moi, Ingrid”を大手出版社éditions guy binsfeldから発売なもんで早熟も早熟の天才って感じだ。Nora Wagenerも1989年生まれでこっちも相当若いが、ドイツ語で作品を執筆しドイツとルクセンブルク双方の出版社から本を計5冊出しており、ドイツ語圏で既に評価が高い。最後のSamuel Hamenについては後で語ることにしよう。
 で、上のリストを見てくれた読者はどう思っただろうか。“ルクセンブルク語、ドイツ語、フランス語股にかけて書いてるの凄すぎ!”と思う方もいれば“お前が言ってるほどルクセンブルク語で書いてる作家少なくないやん!”と思う方もいるだろう。
 だがこれは“ルクセンブルク語で書いてる”というより“ルクセンブルク語でも書いてる”と解釈してもらうべきかもしれない。確かにルクセンブルク語で書いてはいるが頻度は少なく、他の言語で書かれた作品の方が多いってのが結構ある。そしてルクセンブルク語込みで創作をやる余裕があるのはEU文学賞を獲得するくらいの評価を獲得した中堅作家が主という。

 で、調べてみると実際、ルクセンブルク語で書かれる小説というのは本当に少ないと分かってくる。あるルクセンブルクの人なんか、ルクセンブルク文学は9割がドイツ語とフランス語で書かれ、ルクセンブルク語は残りの数%でしかないと言っていた。
 それから探究の最中に、何とルクセンブルクに移住したルーマニア人作家も見つけてしまった。彼女の名前はCorina Ciocârlie コリーナ・チョクルリエ。文芸批評家、ジャーナリスト、そして小説家と幅広く活躍している人物だ。ブカレスト大学で言語学とルーマニア文学を学んだ後、ベルギーを経てルクセンブルクに移住、現在はこの地で活動している。
 問題はどの言語で書いているかなのだが、母語のルーマニア語と、そしてもう1つの言語はルクセンブルク語……で書いてりゃ有り難かったが、実際はフランス語である。2つの言語を行き交いながら執筆をしており、時にはフランス語で書いた作品を自分でルーマニア語に訳し出版する(例えば2011年に仏語で“Il n'y a pas de dîner gratuit”を出版した後に、翌年ルーマニア語で“Nimic nu se dă pe gratis”を出版という風)時もある。
 俺はルーマニア語で書かれた彼女の著作は確かに読めるんだけども、フランス語で書かれているとなると完全にお手上げだ。その代表例が彼女の新作"Europe zigzag"で、これはパリ、ロンドン、ブカレストといったヨーロッパの都市をめぐった経験を基に綴られた紀行文学だそう。面白そうだが、フランス語で書かれているので俺は全く読めない。
 何ということだろうか。俺はルーマニア語とルクセンブルク語がある程度分かるというのに、ルクセンブルクに住むルーマニア人作家の作品が読めない!

Corina Ciocârlieの新作“Europe zigzag”
フランス語を勉強しなけりゃ俺は読めない

 そして、こうして話を聞いていて知ったのはルクセンブルク語は未だ書き言葉として確立していないという事実だ。書き言葉としてフランス語は成文法の記述言語だったりと行政において使われ、さらにドイツ語は新聞が使用する言語として日常使いされている。ここにおいて1984年にやっと正式な言語として認められたルクセンブルク語は、書き言葉として入る余地がない。
 これに関して俺も思い至ることがあった。「ルクセンブルク語入門」を読み、書き言葉としてルクセンブルク語を学びながら文章を書いた後、言語交換サイトの友人に添削をしてもらうのだが、スペルを直されることがある。で、これをLODというオンライン辞書で確認してみるのだが“その単語は存在しません!”となる。友人は当然ネイティブなので、入門書と友人の直しと辞書を見比べ“どういうこと?”と疑問に思うのだが、本の誤植リストを載せているめちゃありがてえnote記事を読んでたら疑問が氷解した。

“また、2019年11月の正書法改正で古くなってしまったと思われる部分には[2019正]と示しています。当書籍の出版年は2013年ですから、これらは誤植ではありません。”

 そう、正書法の問題である。このせいでルクセンブルク語を学んだ時期だとかどのルクセンブルク語正書法を基準にしたかによって、スペリングが変わってくるのだ。友人は俺と同世代だから、学校でルクセンブルク語を学んだってのは2010年代以前と予想する。そうすると現在の正書法に合わないのは当然だ。むしろ2013年発売の「ルクセンブルク語入門」より古いやり方で書いてるっていう可能性もある。だからこういう食い違いが起こるのも当然と。
 これはフランス語とドイツ語に地位を奪われ、書き言葉として確立する機会を失ってしまったことが原因であり、さらに書き言葉の芸術である文学においてルクセンブルク語が選ばれないことにも繋がっていくと。これに気づいた時には呆然としてしまったよ。

 もちろん、こんな状況でもルクセンブルク語で作品を執筆しようとする若手も確かにいる。その一人がSamuel Hamenだ。文芸批評家、劇作家としても活動する新鋭だが、小説家としては2018年出版の“V wéi vreckt, w wéi Vitess”(“Vは‘vreckt 故障した’、Wは‘Witess 速度’)がデビュー作、実存の恐怖に怯える若者の姿を描いた1作だそうだ。この他にもルクセンブルクの著名な文芸詩Les Cahiers luxemboirgeoisにルクセンブルク語の詩が何作か載っており、ルクセンブルク語の新鋭作家として注目されている。
 が、ここでも言わざるを得ないのは彼もやはり“ルクセンブルク語でも書いてる”作家ということだ。彼の最新作“Quallen. Ein Portrait”(“クラゲ ある肖像”)は自伝であるらしいのだが、ドイツ語で執筆されている。出版社も、日本でも最近注目を集め始めた哲学者ビョンチョル・ハンの著作を何冊も出しているMatthes & Seitzであり、ドイツ語作家としても期待されているのが伺える。
 Wikipediaによると、タイトルから判断してルクセンブルク語の著作が3冊でドイツ語の著作が2作と、今のところはルクセンブルク語優勢だ。だがどちらで書けばより読まれるかといえば一目ならぬ一筆瞭然なので、このままルクセンブルク語で書き続けるかは正直未知数である。ぶっちゃけ俺はドイツ語で書き続けると予想する。何せWikipediaだってルクセンブルク語じゃなくてドイツ語で書かれてるし、そのくらいドイツ語圏で受容されてるんだから、ドイツ語で書くのが自然な流れだろう。それでは俺が読めないんだけども……

Samuel Hamenのデビュー長編“V wéi vreckt, w wéi Vitess”
その年のEU文学賞にノミネート、受賞者はさっき名前を出したFrancis Kirps

 こういう状況を見ていると、翻って日本文学について考えざるを得なくなる。日本は文学に限らないけれども、芸術文化においては日本語がほとんど一強状態で、それに疑問を抱く余地もほぼないだろう。俺自身もこの30年間、ぬるま湯にでも浸るように日本語にどっぷり浸かって生きてきた(一方で“それじゃいけない! 外国語で日本文学書くぞ!”という意気を以てルーマニア語で作品を執筆するというのもしてきたが、これは別のお話)
 だから1つの国の文学が2ヶ国どころか3ヶ国語で書かれるってのにはカルチャーギャップを抱かざるを得なかった。しかも作家たちは1つだけでなく数言語を跨いで執筆するのが当然で、ルクセンブルクの読者も少なくとも3ヶ国語は流暢なので、どれで書かれようが構わない。更に更に、むしろルクセンブルク語は正書法が確立していないので、書くことにも読むことにも違和感が付きまとってしまうという状況が厳然としてある。だからルクセンブルク語で詩や小説を書く(時には読む)意味が、本当に自分の美学とかもしくは自国の文化を残すって大義以外にないのかもしれない、これは考えすぎかもしれないが。
 そんな状況なら、作家としてやはり広く読まれたいということで、海外の読者も視野に入れて、ドイツ語とフランス語で書くというのも全く理解できることだ。しかも驚くべきはルクセンブルクの伝統語でなく英語で書く!という新世代までもが現れて、2017年には英語で書かれたルクセンブルク文学を専門で扱う初めての独立出版社Black Fountain Pressまで設立されているのだ。
 正直、俺は頭クラクラしてきたよ。そもそもの話としては、ルーマニアが好きでルーマニアでルクセンブルク語が話されてるのを知り、ルクセンブルク語の勉強を気軽に始めた、で、語学を学ぶ醍醐味は外国の文学を言語で読めることっしょ!とルクセンブルク文学について調べていたってそんな感じだった。だがそこで、1つの国における文学の在り方について俺が持っている考えをアホみたいに揺り動かしてくる事実と出会ってしまった。今はこう、どういう顔をしていいのか分からない。

 だがまあ、2つほど考えたことがある。
 まず1つ目は“もういっそフランス語とドイツ語も学ぶか!”ということだ。俺は皆の知らない言語を学ぶのが好きなので、周りにこの語を解する人がいる言語にはほぼ興味が湧かなかった。ルーマニア人はフランス語ペラペラな人めっちゃ多いし、ルクセンブルク人は2つとも完全にペラペラだし、ともすれば日本人だって喋れる人多いだろ。そういう言語の探求は皆に任せてる。
 なので2つもあまり勉強した覚えがない。特にフランス語に関しては映画批評の場で権威になりすぎていて引いちゃうし、前にフランス語できる日本の映画批評家とTwitter上でバチバチに喧嘩して以来、目に入ると正直向かっ腹すら立つ……いや、正直に言うとフランス人の子とデートしていた時にちょっと下心というか興味湧いて、フランス語テキスト買ったりはしたけど、まあそれだけ。
 が、ルクセンブルク文学を読むためには、そんな個人的な葛藤を優先すべきじゃあないのに気づいた。フランス語作家のInès Pyziak、ドイツ語作家のNora WagenerとSamuel Hamenの本を読むためには2つの言語を知る必要が厳然としてあるんだから。
 それにこの2言語を学べば、ルクセンブルク文学以外にも読める文学が増える。ヨーロッパに関していえば、フランス語を学べばモナコ公国文学、ドイツ語を学べばリヒテンシュタイン文学が読めるというのが俺にとっちゃ頗る魅力的だ。2国の公用語がそれぞれフランス語とドイツ語なわけよ。
 皆さん、この2つの国知ってる? 俺は前者はグレース・ケリーやら何やらで聞いたことあるけど、後者はマジで全然知らん。情報が入ってこない、というかどう情報を仕入れていいかすら分からん、本当に未知の国なんだよな。
 とはいえ前にちょっと調べてみたんだけど、モナコ公国文学に関しては、実際に存在するのか?って感じで正直まだまだよく分かっていない。が、リヒテンシュタイン文学に関しては現代における大御所Iren Niggと、ジャンル小説の異才Armin Öhriという2人がEU文学賞を受賞してるんだよ。だからこの2人の本をドイツ語でマジで読みたい。フランス語とドイツ語を学べば、こういう未知の文学も探求できるわけでさ。実は冒頭にちょっと書いた、バヌアツで書かれた初めての長編小説だっていう、Marcel Melthérorongの“Tôghàn”もフランス語なんだよな。やっぱ学ばなイカンかもしれねえと。

 だけどさ、やっぱルクセンブルク語でこそルクセンブルク文学を読みたいよな! だって俺、ルクセンブルク語の方がずっと好きだもん!
 ということでルクセンブルク語文学を探してたんだけど、やっぱ簡単には見つからない。ルクセンブルクにもWeb文芸誌もあることはあるんだけど、やっぱドイツ語とフランス語で書かれてるのばっか。
 だからカルチャーサイトを探してそこに情報がないか探すんだけども、これすらもドイツ語とフランス語! 例えばculture.luなんてルクセンブルクのユースカルチャーを専門に紹介するサイトがあって、ここのポッドキャストKulturPurは珍しいルクセンブルク語専門ポッドキャストでリスニング力の鍛練に役立っているが、記事に関しちゃほぼドイツ語とフランス語。これじゃ情報は得られないし、2言語学ばなアカンわ……と、ここでも俺は思ってしまう。
 しかし! 苦労の末に俺はとうとうルクセンブルク語文学を発見したんだった。Gast Groeberっていう作家が先に書いたリストに載っていたのを覚えてるかな。彼の作品3冊が日本のAmazonでも売ってんだよ、電子書籍版が。毀誉褒貶はあるが、やっぱAmazonはマイナー言語の文学を探すうえでも革命を起こしてくれたって感覚があるよ。ルーマニア語文学だって電子書籍が売ってた、ルーマニアにAmazonはないのにだ。引きこもりの俺には本当に有難い存在だよ。
 とはいえ、今の語学力じゃ読めるわけもない。読もうと思うことすら蛮勇だろう。それでも1回躊躇って何もやらないとそのままの状態が何ヶ月どころか何年も続くというのは、経験上分かっている。ということで俺は数日悩んだのちに、もう行ったれや!とばかり、彼の短編集“All Dag verstoppt en aneren”を1000円で買ってしまった。
 そして10秒後には、俺はもう探し求めていたルクセンブルク語のルクセンブルク文学を目にしている状態になっていた。とんでもない時代だね。
 感動のなかでタブレットの液晶に指を滑らせながら、ページをペラペラと捲っていく。そこで思った。
 マジで何て書いてあんのか全然分かんねえ……と。
 この感覚が、俺は堪らなく好きだ。
 世界にはまだまだ俺にとって全くの未知ってものが存在して、それを学び、そして探求できる喜びが待ってくれていると実感できるからだ。
 そんな感じでとりあえずは全ページをその目で確認しようとページを捲っていくと“Moiessonn”という単語を見つけた。
 この単語、ルクセンブルク語学びたての人の目を惹きがちな単語なんじゃないかと思える。何故ってこれは“Moien 朝”と“Sonn 太陽”ってマジで基本的な名詞2つでできた単語なもんで“ああ、朝に浮かぶ太陽って感じか~キレイな言葉やね~”って感じで、初心者でも何となく意味が分かるからだ。
 とはいえ、こう類推できても、うまい訳は思いつかないので、とりあえずググってみた。そうしたら現れるのは、広大な草原と奥の地平線から太陽が浮かびだすなんて、始まりを思わせるイメージだった。これを見た瞬間、この“Moiessonn”という言葉は“朝焼け”であると、頭でなく心で理解できたんだ。
 俺はこんな気分にならざるを得なかったよ。
 色々と曲がりくねった道を進んできたが、ルクセンブルク語のルクセンブルク文学探求は、この“Moiesson”という言葉から今とうとう、とうとう幕を開けた……

 ……とか清々しい気分になってたんだけど、同じページにこんな単語を見つけた。
 “gléckskichelchersbäckerei”
 瞬間、あの清々しさが完全に吹っ飛んで、このまことに奇っ怪な単語から目が離せなくなってしまった。
 こんなん、超人気ラーメン店にできる行列よりも長えじゃあねえか。
 しかもググっても何の情報も出てこねえ。
 意味も分からなきゃ、発音だって想像つくわけがねえ。
 全く以て、奇々怪々!
 ああ、マジでやってくれるよな、ルクセンブルク語。
 だから本当、毎日学びたくなっちゃうんだよなあ。

“Moiessonn”はこういう意味だそうです。
ということでルクセンブルク語の勉強、頑張っていきまっしょい!

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。