いかにして日本人の私がルーマニア文学を書くことになったのか?


この記事は海外文学・ガイブン Advent Calendar 2020、12/10の記事です。

5年前、私の心は底なしの深淵のなかにあった。金なし、仕事なし、友人もなし。何もない、本当に何もなかった。自分に残されているのは途方もない鬱の渦だけだった。引きこもりとしてドス黒い人生を生き、両親には家に卵を撒き散らすゴキブリのように見くびられていた。しかしどこにも行けない。だから部屋で永遠のように悍ましい時間を過ごしていた。

そこでは映画だけが心を癒してくれた。映画を観ている時だけ世界そのものに対する爆発的な哀しみ、破壊的な不安、そして静かなる怒りを忘れることができた。そして毎日映画批評家の真似でもするように映画のレビューを書き、チンケなプライドを守り続けていた。

そんなときに出会ったのがCorneliu Porumboiu コルネリュ・ポルンボユ監督作であるルーマニア映画"Polițist, adjectiv"("警察、形容詞")という作品だった。今作はルーマニアがEUに加入する直前を舞台に、ある警察官が職業倫理に苦悩する姿を描いた作品だったが、私はこの作品が持つ、他の作品とはあまりにも異なる映画文法に驚かされた。ドス黒いユーモア、この国の息苦しい現実に向けられる先鋭な批評眼、だが最も驚かされたのは禅を思わす、灰色の優雅さを持った徹底的なリアリズムだった。そして今作には、リアリズムが極まることによって、もはや瞬きなどの生理現象をも越えて超現実的な光景が広がる瞬間が何度もあった。それに魅了された。

そこからルーマニア映画を極限まで浴びつづけ、ふと思った。もしルーマニア映画ひいては文化をもっと深く知りたいならルーマニア語を勉強するしかないと。ここから私はまともに使える数少ない3冊の日本語テキストを使い、ルーマニア語を勉強しはじめた。そして後にはルーマニア語で書かれた映画レビュー、Vice Romaniaの記事を読んだ。後者はVice USやVice UKからの翻訳記事が多いので、英語の元記事と突き合わせながらルーマニア語の語彙や文法を勉強することができた。だがセックスとポルノの記事が中心だったので、猥褻な語彙ばかりが増えたけれども。

そして勉強法の1つとして、私は自身が書いた映画のレビューや大学時代から書いていた短編を翻訳し始める。もちろん自分の翻訳はクソったれだったが、同時に達成感も感じた。その後に現れたのは、この小説をルーマニアの誰かに読んでほしいという思いだった。それは日に日に膨らんでいくことになる。

この時、私はRaluca Nagy ラルーカ・ナジというルーマニアの小説家が書いた長編小説"Un cal într-o mare de lebede"("白鳥の湖にいる1匹の馬")に出会った。今作は東京にやってきた交換留学生の姿を描いたものであり、更にいわゆる日本の"私小説"を着想源としていることを知って更に驚いた。私は大学で正に私小説を研究していたからだ。このルーマニア語で書かれた日本文学に興味を持った私は、彼女にFacebookでメッセージを送った。"あなたが書いたこの小説は、私がルーマニア語で読む初めての小説になるでしょう"と。数か月後、私はメッセージに感動したというラルーカさんと六本木で一緒に蕎麦を食べていた。何という状況だろうか。当然、私たちはルーマニア文学について話した。Mircea Cărtărescu ミルチャ・カルタレスクはルーマニアの村上春樹みたいだ、その国のノーベル賞最有力候補で、アメリカ文化に深く影響を受けており、そして何よりセックス描写が酷すぎる、などなど。私にとってリアルの世界でルーマニア人と喋ることは初めての経験で、だから素晴らしいなんて言葉じゃ私の喜びを表せなかった。だがそれ以上に凄かったのは、その後のことだ。私は自分の翻訳した短編を、ラルーカさんに読んでもらった。そして彼女は言ったのだ。"とってもフレッシュな作品!"と。

ラルーカさんのくれた言葉は私に巨人のような自信をくれ、さらに何本かの短編を訳した。そして少々大胆な行為に打って出る。Facebookにこんな文章をポストしたのだ。"僕は日本人だけども、ルーマニア語で日本の闇の部分についての短編小説を書いているんだ。誰か興味ない?"と。多くの反響があったが、メッセージを送ってくれた1人にMihail Victus ミハイル・ヴィクトゥスという人物がいた。彼はルーマニアの文芸誌LiterNauticaの編集者兼小説家だという。彼の"やあ! その'日本の闇の部分'を描いた短編をぜひ読ませてくれるかな?"というメッセージには、正直心臓が爆発しそうになった。そして彼はもし作品が面白かったなら、LiterNauticaに掲載したいとまで言ってきた。マジか、マジかよ! 作品を送った後、興奮と不安が交わる曖昧さのなかで返事を待った。待って、待って、待ち続けた……

"ヘイ、君の短編気に入ったよ。ぜひLiterNauticaに掲載したいね"

そうして私の短編"Un japonez ordinar"がLiterNauticaに掲載され、私はルーマニア語で執筆する初めての日本人小説家になったんだった。それは4月1日のことだった。エイプリル・フールだよ、信じられるか? でもこの時から私は酔っ払いが言うような多幸感溢れる嘘のなかを生きてるんだ、本当に。

それから1年と半年が経ち、様々な経験をした。20作の短編がLiterNauticaやEgoPhobiaO mie de semne、Ithacaという文芸誌に掲載されたし、Radu Găvan ラドゥ・ガヴァンやCornel Balan コルネル・バラン、Teodor Bordeianu テオドル・ボルデイアヌといったルーマニア・モルドバ(モルドバ共和国は公用語がルーマニア語で、モルドバ出身の小説家がルーマニアの出版社から作品を出すことは多い。これはモルドバ人にとって一種のステップアップと見做されるのだ。去年EU文学賞を獲得したルーマニア語作家Tatiana Țîbuleac タティアナ・ツブレアクはモルドバ出身で、2つの国の国籍を持っている)の小説家と友人関係になった。それから読者からも色々な言葉をもらった。"すごい!" "ようこそ! 君のテキストは本当に良く書かれているよ" "素晴らしいね、君の作品には生命力や興味深いイメージに溢れてる" "お前のルーマニア語はクソ間違ってるよ。ボケ野郎" "あなたはルーマニア語を冒涜的なものにしている。恥を知りなさい!" そしてこんなのもあった。"腹切りしろ!"

だが最も驚くべき出会いは日本で起こった。私がルーマニアで小説家になって数か月後、日本でGheorghe Săsărman ギョルゲ・ササルマンというルーマニア人作家の「方形の円 偽説・都市生成論」という作品の翻訳が発売された。この訳者である住谷春也氏は、ルーマニア文学好きにとっては正に神だ。Mircea Eliade ミルチャ・エリアーデ、Zaharia Stancu ザハリア・スタンク、Liviu Rebreanu、Liviu Rebreanu リビウ・レブリャーヌといったルーマニア文学史上の傑物による作品は、彼かもう1人の文芸翻訳家である直野敦氏(そして日本にはこの2人しかルーマニア文学を訳せる人物はいない!)がいなければ、読むことはできなかっただろう。

そんな時「方形の円」を出版する東京創元社の編集者の方からメッセージが届いたのだが、そこには驚くべきことが書かれていた。何と住谷氏が私のルーマニア語短編を読んでいると。あまりにも恐れ多かったが、更にその数か月後に、Facebookに住谷氏から友人申請が届き、脳髄をブン殴られるような衝撃を受けた。そして余りに僥倖なことに話をさせてもらい、その時にちょうど文芸誌に掲載された"Japanese Lives Matter"という作品を読んでくれただけでなく、"改めて希有の才能に感じ入りました"という余りに大きすぎる讃辞すら送ってくれた。この出会いは私の手には負えぬほどに輝かしい出会いであり、ルーマニア語小説家としての決意を新たにした訳である。

だが今は難しい状況だ。私はデビュー短編集"Un japonez ordinar și alte animozități"("普通の日本人とその他の憎しみ"、いわゆる英語圏には短編集に"〇〇 and Other Stories"と名付ける伝統みたいなものがあるが、それに憧れた故のパロディだ)を出版する計画を立てている。だが私の短編は"あまりにもグロテスクで暴力的すぎる"と拒否され、これは理解できる(よくルーマニア人から私の作品は"村上龍みたいだ"と言われる。驚くことにルーマニアの文学好きの間で村上龍はかなり人気だ)のだが、コロナウイルスのせいで新しい本が出版できないという理由で拒否されることもあった。何て大変な時代に私はルーマニアで小説家になってしまったんだろう!

それでもそんな淀んだ不満のなかにある時、Vice Romaniaからこのエッセイのオファーを受けた。深く誇りに思うのは先に書いた通り、私はルーマニア語を勉強している時、Vice Romaniaの記事を読みまくっていたからだ。ですがどうか心配はしないでください、このエッセイで猥褻な言葉は使いませんから!

10月8日、ノーベル文学賞が詩人のルイーズ・グリュックに授けられた時、あるルーマニア人文芸批評家がこんなポストをFacebookに挙げた。"今後20年でノーベル文学賞を獲得する可能性のある、20代かそれより若いルーマニア人作家は誰だろう?"と。そこで著名なアートライターであるGabriel Mager ガブリエル・マジェルという人物が"Tettyo Saito"という名前を挙げた。Tettyo Saito! いやもちろん、これはジョークだと分かってる。だが私が聞いたなかでこれは最も偉大なジョークだとそう思った。そして実はこの質問をした文芸批評家は外国人作家である私のことを"関節の外れたインターネット・ミーム"と揶揄してきた人物だった。私の名前を見て彼はどう思ったろうな、はは。それから私はノーベル文学賞を獲る日を夢見ている、だがそれはルーマニア語作家としてだ、日本人としてではなくね。

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ということで、このエッセイを読んでくれてありがとうございました。文中で書いた通り、これはルーマニアのWebサイトであるVice Romaniaに依頼されて執筆したものです。たぶんVice JapanやVice USに記事を載せたり特集してもらったって日本人は少なくないだろうけども、Vice Romaniaにルーマニア語で記事を発表した日本人は私が初めてじゃないだろうか。結構、誇りにしている。

それ故にオリジナルはルーマニア語なので、ここから自分で日本語に訳したという形になるのだけども、そのおかげで文体が翻訳調になっています。というか、外国文学について語る文章自体が翻訳調だったら面白いだろうなあというのもあって、わざとそういう風を狙ったのが本当のところであったり。そしてこれを機に少しでもルーマニア文学に興味を持ってもらえれば幸いです!

ちなみに原文はこちら。題名の意味は“私は日本人です。Vice Romaniaを読んで、ルーマニア語で人を罵倒する方法を学ぶことができました”という感じ。編集者がつけた題名なのでアクセス数稼ぎ目的が先立つが、私は割と気に入っている。実際“腐れ脳ミソ”(“creier putrid”)とか言えるようになったし。あと、もし私の作品が読みたかったらこのnoteに日本語版を放流しているのでぜひ読んでください。今はコロナウイルス連作短編を書いていて、先頃その数が50を越えました。これからも書き続けます。Twitter @GregariousGoGo もやってます、時々ルーマニア文学最新情報を呟くので気になったらフォローしてね。ちなみに文章の最終段落に出てきた文芸批評家はこの記事をFacebookにポストして"おめでとうTettyo、君の前にルーマニア文学史の扉は開かれた / Felicitări Tettyo, porțile canonului literar românesc se deschide pentru tine"と書いていた。ははあ、この野郎。

ということで私のオススメの、日本語翻訳済みであるルーマニア文学を最後に挙げておきます;

「ジュスタ」(パウル・ゴマ/住谷春也)
「方形の円 偽説・都市生成論」(ギョルゲ・ササルマン/住谷春也)
「大地への祈り」(リビウ・レブリャーヌ/住谷春也)
「処刑の森」(リビウ・レブリャーヌ/住谷春也)
「ジプシーの幌馬車」(ザハリア・スタンク/住谷春也)
「はだしのダリエ」(ザハリア・スタンク/直野敦)
「エリアーデ幻想小説全集」(ミルチャ・エリアーデ/住谷春也・直野敦)

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。