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コロナウイルス連作短編その198「強い帯気音で発音する」

 大型ショッピングモールから歩いて5分ほど,何の変哲もない道と小型の駐車場とを隔てる色褪せた塀,それに並び立つような形で1本の鉄の棒が置いてあった.
 だが棒というより,ある種バス停の形に似た物体と呼称する方がいいかもしれない.というのも棒と地面が接地する部分には,大きめの石の土台があり,つまりその石から鉄の棒が突き立っているからだ.
 まずこの土台の形状は雑貨屋で売っている類いの植木鉢を逆さまにしたうえで,横に少し伸ばしたようなものとなっている.とはいえこの材質は石であるゆえ,逆さまにした植木鉢よりもよほど稠密で磐石という印象を,端から見るならば受けるだろう.その所々には小さな亀裂が走っており,そこに厭な色彩の塵芥が詰まっているのも視認は容易い.だが全体的に,少なくとも視覚から受け取れる質感は滑らかであり,石をこの形状にするうえでの加工は丹念なものだったという印象を受ける.
 そして平たく削られた上部の断面,その中心点から左へと十数cmほどずれた場所から,細い鉄の棒が真っ直ぐに突き立っていた.こちらは光沢や艶などは一切見受けられない,褪せた灰燼色に包まれており,さらにまるで胡椒かふりかけかといった風に,その全体へと紺色の粒子が点在している.形状としてはかなり弱々しい.水を与えないゆえ枯れてゆくしかない観葉植物の幹さながらの,憐れみを催させる貧相さが宿っている.
 そんな鉄棒は,しかし長い.日本の成人男性の平均身長は171.6cmという調査結果が出ているが,全く同じとは言わないまでも,あの小型の土台込みで同等の長さを誇っているのは容易に確認できる.
 この鉄棒の先端を隠すように刺さっているのが,幼稚園児の上履きだった.汚れはあまり見受けられず,あまり使いこまれてないゆえの白い輝きが今でもそこにはある.靴底は海溝を満たす水さながら青黒い.これを見た通行人の多くが“幼稚園児の”という言葉に同意するだろう理由は,そのあまりの小ささだ.日本の成人男性どころか成人女性の手のひらにすらすっぽり入るほどの小ささなのだ.
 この上履きはおそらくどこかの幼児の落とし物であり,何らかの理由で幼児の足からすっぽぬけ,道に落ちてしまった.だが何者かがこれを拾った後に,近くにあった鉄棒の先端に刺した.“幼稚園児の”という言葉に同意した通行人の,また多くがこういった連想を働かせるのも想像に難くない.
 しかしこの上履きが誰のものか,これを鉄棒の先端に刺したのは誰なのかは分からない.

 これを11月13日の午前10時48分ごろ目にしたのが藍金拳地という30歳の男性だった.図書館へと本を返しに行く途中,まず彼の視界におぼろげにこの物体が映った.この時点ではただ視界に入っているのみで,拳地の意識にこれが上っているということはない.
 数歩ほど歩を進めるうちに,彼の左側に立っている塀,それが終わる地点に何らかの物体が立っていると拳地はほんの少し意識することになる.だが進行方向へと足を進めるうち,必然的に彼の肉体と物体とが近づいていくなかで,とうとう拳地は物体の先端に何かが刺さっていることを発見する.ここでもそこまで気になるという状態ではなかったが,より近づいていくなかで物体への解像度があがっていき,ある瞬間に物体の先端にあるものが上履きだと,ハッキリ分かった.
 拳地は反射的に後ずさってしまう.だが全身の痙攣のような筋肉の動きに,一瞬で我に返り,何も見なかったフリをしながらその場を早歩きで立ち去っていく.しばらく歩いても,しかしあの不気味なイメージが頭から離れない.左手で頭を掻く,わざと地面を強く踏みしだく,マスクの上から顔の下半分を撫でる.こういった動作を意識的に行うが,イメージは脳髄にこびりつく.
 そして思い返すものがある.中世ヨーロッパにおいて,とある将軍が敵軍の士気を下げるために悍ましい行為を行ったという.自軍によって虐殺された敵兵たちの死体や刈り取った首を,人間の何倍もある巨大な棒の先端に突き刺したうえで,これらを大地へと数十並べ刺したのだという.それは死と脅威に彩られた,地獄への道である.これを目の当たりにし,敵軍は恐れを成したのだという.
 拳地はYoutubeの世界史解説動画か何かでこの逸話を知ったのだが,これが不思議とあの鉄棒と上履きのイメージと共鳴したのだ.不気味だった.だがこの2つを繋げてしまうこと自体に,拳地は罪悪感を少し覚えた.
 彼は,別の微笑ましい風景を思い浮かべようとする.
 幼稚園児が母親に優しく抱かれ,すやすやと眠りこけている.だがその片方の足から静かに靴が脱げていき,最後には道にころりと落ちてしまう.それでも子供はもちろん気づかず,母親すらも気づかないままに,のほほんとその場を歩き去ってしまう.この風景を思い浮かべる拳地自身が思わず,ああ,と言ってしまうような光景だ.しかし次には子供の安らかな寝顔がまた浮かんで,微笑ましくなってしまう.
 そこで映像は終わらなかった.親子がいなくなった後,何者かがその靴を拾う.体はそこまで大きくないが,靴を掴む手は武骨で,常にかすかに揺れている.そして何者かは鉄棒を確認すると,歩いて近づいていき,その先端に上履きを勢いよく突き刺す.次の瞬間に何者かの顔が現れるが,その顔は拳地のそれに他ならない.
「ねえ,ぶっちゃけどういう関係を求めてるの?」
 唐突に響いた声は,前にデートした女性だった.名前が思い出せない.だが女とでも呼称すれば別に構わないとも,不思議と拳地には思えた.
 女は冗談めかしながら,もう30代であるからして身を固める必要,例えば結婚する,もしくは子供を作る必要がある拳地に語ってきた.これを聞くのは全く不愉快だった.
「あなたはどういうスタンス?」
 予想通りそう話を振られる.拳地は具体的なことは話すことなく,なるべく快活さを装いながら「まあ,一緒に生きたいと思える人を探してるよ」と曖昧に言葉を濁した.
 30代というのは社会から将来について考えることを求められる時期というのは拳地も同意している.だが一方で彼の本心はこういったものだ.
 いや,まだまだ全然だろ,遊ぶだろ? 何となくデートして,何となくキスして,何となくセックスして,何となく恋人関係になって,何となく別れて,そうおう繰り返しの時期だろ,まだまだ.晩婚化進んでるんだし40くらいまではのらくら行きたいよな.結婚なんてクソ喰らえだろ.
 拳地はふと,自分がもうすぐで図書館に辿りつきそうであることに気づく.考え事をしているとしても,肉体がほとんど自律的に動き,独りでに目的を遂行していく様には,ふとした瞬間驚かされる.
 だがそこから家族連れが妙に多く目につくことに気づかされる.先の彼の思考を見透かした神が嫌がらせをするかの如き状況が,目前に広がっているのだ.苛つきながらも悟るのは,図書館近くの科学館,その野外広場で何らかの催しが行われていることだった.親子連れの会話や電柱に張ってあるポスターから察するに,子供向けの土木フェスタが開催されているらしい.
 と,拳地の目についたのはドギツいまでに濃厚な紫を纏った大型クレーン車だった.現在接地しているそのクレーンの先には比較的巨大な足場が設えられており,そこに何人もの人が立っている.中には幼稚園児らしき少年もいた.拳地はそこからクレーンの乗車体験が行われているのだろうと察する.横には作業着を着た数人の係員が立っており,彼を取り囲んでいる.
 そしてクレーンが上へと上り始める.上へ上へ,ゆっくりと音もなく,しかし確実にクレーンが上がっていき,歓声が聞こえてくる.それは乗車中の少年のものか,下でクレーンを仰ぐ子供たちのものか.クレーンはすぐに数階分の高さにまで辿りつくが,まだ止まることはない.拳地も見上げるのだが,首を後ろへと曲げるうちに鈍い痛みを感じ始める.まるで頸椎が錆びて重苦しい悲鳴を挙げるようだ.“湾曲”という物々しい言葉が頭に浮かびながら,拳地は無理押しに首を曲げ続ける.
 だが痛みとはまた別の震えが現れる.それは首でなく,足だ.彼は恐怖を感じ始めていた.少年の位置で,大地が自分から離れていく様をゆっくり眺めることとなったら? もしクレーンから自分の肉体が落下し,大地へと激突を遂げたなら? そういう陰鬱な風景が頭に否応なしに思い浮かび,恐ろしくなった.そうすると自然と足が震えた,全く無様な形で.
「気をつけろよ!」
 そんな声に,拳地はクレーンから大地へ視線を移動していた.そこには自分と同世代らしき男性がいた.短髪,細身,ワインレッドのコート.彼はおそらく少年の父親だった.そしてその言葉の数秒後,ひときわ大きな声で「分かった!」という快活な声が響き渡る.男性は拳地に顔を背けるように奥の方を見るが,そこには少しばかり背の小さい女性がいる.おそらく彼の妻だ.

 家に帰る.少し息を整えてから拳地が始めるのはマルタ語の勉強だ.
 きっかけはネット上で流れる,ある噂だった.現在TBS系列でガンダムシリーズの最新作である「機動戦士ガンダム 水星の魔女」が放映されているが,その主人公であるスレッタ・マーキュリー,この“スレッタ”という名がマルタ語で“唯一無二”を意味するというのだ.これを起点としてファンが,物語に関する様々な考察をTwitterに書きこんでいたのだ.
 今期のアニメで拳地が観ているのは「ぼっち・ざ・ろっく!」と「Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-」だけで,今回のガンダムには興味がない.視聴者が“今回のガンダムは「少女革命ウテナ」の再来”と馬鹿の一つ覚えがごとく言うので,それだけで飽き飽きして観る気が失せた.
 だが語学が趣味である彼にとって,この噂話は興味深く思えた.ドイツ語やフランス語が話題に上るならまだしも,マルタ語というのは全く珍しい.彼自身,他人よりも外国語には詳しいという自負があるが,マルタ語というのは全く未知の言語だ.
 ネット由来の未確認情報を鵜呑みにするのはそもそもの話として馬鹿げていると思えるが,取り敢えず拳地は真偽を確かめてみようとする.日本語で情報が見つかるとは思っていなかったので最初から英語で検索をしたが,Ġabraという名前の英語-マルタ語辞書を見つけた.そこで検索を行うと“only”を意味するマルタ語は“biss”であるらしい.さらに“suletta”で検索しても完全に合致する単語は出ない.近いのは“厳粛さ”という意味の“sollenità”だけだ.
 この時点で噂に信憑性は皆無だと確信するが,彼はマルタ語自体に好奇心を抱き始めていた.マルタという国は海が綺麗な,風光明媚のバカンス地ということしか知らず,そこで話されている言語に意識が向いたことは今までついぞなかった.
 試しに“walk”で検索すると,現れたのは“tmexxa”だ.見た瞬間に当惑を抑えきれなかった.異様なまでの子音の凝集,そして“xx”という奇妙な並び.どうやって読むか皆目検討もつかない.今まで幾つかのヨーロッパの言語を学んできたが,それらとは明らかに異質だとこれだけで分かる.こうした異国情緒に,拳地はいつであっても語学的な好奇心をくすぐられてきた.
 マルタ語のWikipediaページにはこういった文章が記載されている.

“マルタ語(マルタ語:Malti, Lingwa Maltija)は、マルタ共和国で公用語として話される言語.欧州連合(EU)の公式言語の一つ。言語はアラビア語の口語(アーンミーヤ)の変種の一つであるが、ロマンス系語彙の借用語が多いことから(ただし、これはマグリブの口語全体にいえることである)別言語とする学者もいる。

マルタは870年から220年間ファーティマ朝が支配した.その間に言語のアラビア化が進んだとされる。

ヨーロッパ圏唯一のアフロ・アジア語族 - セム語派の言語である。アラビア語の口語(アーンミーヤ)の中では,マグリブ方言に最も近い。

シチリア語、イタリア語など、ロマンス系の語彙を多く含み,セム系言語で唯一のラテン文字による正書法を持つ。”

 ヨーロッパで話される唯一のアフロ・アジア語族 - セム語派言語であり,かつラテン文字で書かれる唯一のアラビア語.この魅力的な異端性に,拳地は一瞬で心を掴まれた.
 彼にとって語学は趣味だった.仕事や人間関係のしがらみから逃れ,部屋に籠って一人きりで外国語の文法を学ぶ時間は何よりも救われているものと感じていた.語学習得力に関してはほとんど下手の横好きといった方がよく,どの言語もマスターしたと言うには稚拙に過ぎた.そしてそれは拳地自身が一番感じている.だが外国語の勉強は彼にとって手段ではない.それ自体が目的なのだ.ゆえにマスターせずとも好奇心に従いつまみ食いの要領で楽しめれば,それで満足だった.
 マルタ語の勉強を始めて,既に1週間ほどが経過している.ゆえに自分で短くとも1文書いてみたいという気分になる.勉強の際に床へひく座布団へ,臀部をより埋めさせながら,どんな文章を書くべきか考える.
 “結婚は人生の墓場である”
 そんな文章が急に浮かんだ時,拳地は思わず笑ってしまう.今日味わわされた苦渋に対する復讐のような響きを宿しているように思えたからだ.だがしばらくすると,この文章は悪くないと思える.今の自分にうってつけの言葉であると.そして根拠もなしにこうとすら思う,これは全人類が従うべき言葉であるのだと.
 彼はオンライン辞書Ġabraを使い,作文を始める.
 まず“結婚”である.検索すると“żwieġ”という単語が現れる.唯一の日本語テキストである「マルタ語基礎1500語」によると,マルタ語において“w”はワ行,二重母音“ie”は“イー”という発音になるのだという.マルタ語には独自のアルファベットが多く存在しているが,語中の“ż”は基本的にザ行,“ġ”は基本的にジャ行として発音する.だが単体の“ġ”は語尾に来た場合,発音は“チ”となる.これらを勘案するなら“żwieġ”の発音は“ズウィーチ”となるはずだと拳地は予想する.だがĠabraには発音記号の表記はあっても,実際の発音は収録されていない.ゆえにこのカタカナ表記は彼の予想でしかない.
 そして“~は”であるが,これに関しても興味深い事象がある.マルタ語にはいわゆるbe動詞が存在しないゆえに人称代名詞がこの代わりになるのだ.これを知った際に拳地は何度目かの驚愕を味わわされた.そして三人称単数には“huwa”と“hija”が存在しているのだが,それぞれ“彼”と“彼女”を示している.そして単語は男性名詞と女性名詞とに別れており,男性名詞である“żwieġ”は前者の“huwa”を後ろに繋げ“Żwieġ huwa”とすることで“結婚は~”となる.
 “墓場”を意味するのは男性名詞“qabar”であるが“q”の発音はマルタ語で最も難しいとされる.「マルタ語基礎1500語」には“この文字は,マルタ語特有の音を持ち,外国人には最も難しい発音である.声帯を完全に閉じてから急激に開き,鋭く発声する声門閉鎖音である.日本語の'結婚!'[ケ-ッ-コン]の語中音の要領で発音するとよい”との記載がある.拳地はいつもノートに外国語の発音をカタカナで表記しているが,これに関しては“ッアバール”と表記することとなる.
 そして拳地はこの“qabar”に冠詞をつけるべきだと考えた.マルタ語の冠詞は奇妙なルールが幾つか存在しているが,これに関してはただ語頭に“il-”をつけて“il-qabar”とすればよかった.ここから伺える通り,マルタ語はヨーロッパの言語で最も“-”を多用する言語でもある.ルーマニア語もこの記号を多用するが,マルタ語は単語に冠詞がつく場合はかなりの頻度で“-”を使うゆえ,頻度はより多い.
 そして“~の”にあたる前置詞は“ta' ”であり“人生”を意味するのは女性名詞の“ħajja”となる.ゆえに“人生の”はこれをそのまま繋げた“ta' ħajja”となるはずだと,少なくとも拳地は思っている.だがそれより,彼が幾度となく注目してしまうのが“ħajja”の語頭に存在する文字“ħ”である.“h”の上部に横線がついたような“ħ”もまた独特の発音を持っており「マルタ語基礎1500語」には“上線は,発音するというマークで,強い帯気音で発音する”と記載されている.拳地はこれを喉奥から強く息を吐きながら発音するハ行だと理解していた.そして彼はこの発音を“はイヤ”と表記する.“ハ”で表記するとあの帯気音を意識できないからだ.
 そして今まで作った断片を綜合するとこのような文章が現れる.
 Żwieġ huwa il-qabar ta' ħajja.
 確信はないが,この文章は“結婚は人生の墓場である”という意味のマルタ語として当たらずも遠からずではないかと思える.冒頭の“Żwieġ”はこちらにも定冠詞をつけてIż-żwieġ”とすべきかと迷ったが,結局つけることはやめた.
 もしこれを発音するならどうなるか.拳地はその予想を実際に口と喉で実践してみる.
「ズウィーチ・ウワ・イルッアバール・タ・はイヤ」
 この日本語は当然,今まで習ったどの言語とも全く違う響きに背筋がゾクゾクした.これこそが彼にとって外国語を学ぶことの精髄だった.
「結婚は人生の墓場だ」
 後に続いて,その日本語を呟いてみせる.正にその通りだと思った.もし結婚したならば,あまつさえ子供など作ってしまったとするなら,こうして静かに,った一人でマルタ語を勉強するなど叶わないだろう.
  Żwieġ huwa il-qabar ta' ħajja.
 彼は再びノートに記したマルタ語を見据える.やはり最も目につくのはあの“ħ”だ.“h”の縦棒を短い上線が横から貫いただけで,比較的見慣れたアルファベットがこうも異様に見えるのかと驚かされる.
 そしてふと拳地は今朝に見たあの鉄の棒を思い出す.あれもまた道端に立っている何の変哲もない棒でしかないはずだったが,先端に幼稚園児の上履きが刺さっているだけで,大地に突き立てられた虐殺の証にも見えてくる.

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。