コロナウイルス連作短編その35「大爆笑」

 午後、菅沼大翔はテレビを観ていた。そこで大阪府知事がイソジンにはコロナウイルスの予防効果があると宣言していた。それを聞きながら、彼は尻を掻くのだが、ふと洗面所にイソジンがあることを思いだした。洗面所に向かうのだが、彼の予想通りそこにはイソジンが置いてある。何年も放置してあったようで、カバーは吐き気を催すほど汚くなっている。大翔はしばらくそれを見つめていたが、最終的にカバーを掴んだ。蓋を開けようとするとのだが、何故だか開かない。蓋の周りを見てみると、茶色い液体が硬化しており、まるで体液まみれになった無数の蟻の死骸のように、蓋にこびりついていた。しばらく格闘するのだけども、皮膚の痛みばかりが先立つ。
 大翔はアトピーを患っており、右手では皮膚が斑に炎症を起こしていた。そこが蓋と擦れてしまい、地獄の炎のように赤化している。蓋はいっこうに開かない一方で、皮膚からは透明で粘った体液が滲みでてくる。大翔はアトピーに自分の非力さを嘲笑われているようで、不愉快な気分になる。
「何してんの?」
 そこに妻である菅沼萠子が現れた。彼女は台所の四隅に溜まった粘液を見るような視線で、自身の夫を見た。大翔は彼女を殴りたくなった。萠子は大翔の手元にあるイソジンを見てから、溜め息をついた。未だに彼は蓋を開けることができていない。イソジンの容器を強引に奪い取ってから、萠子は蓋を開けようとするのだが、その蓋はいとも容易く開いたんだった。大翔は驚いた。
「一体何してんの?」
 イソジンを大翔に渡すと、萠子はリビングに行った。独り残された大翔は青い蓋を静かに眺めつづけた。汚れた容器と比べると、蓋自体は綺麗なように思える。この青は彼の故郷である長野県の山奥を飛んでいた奇妙な鳥の色に似ていると、そう思う。大翔は顔をあげて、閉じられたリビングのドアを見据える。
「お前の頭に原爆落とすぞ、ボケ!」
 そう言った後、自分の無責任な言葉が妙にツボに入って、大翔は大爆笑を始める。肺が爆発しそうになるのを感じながらも、笑いを止めることができなかった。数分経って喉が静謐を取りもどした時、大翔はコップに水道水を注ぎ、そこにイソジンの茶色い液体を投入する。禍々しい色彩が水中に何かを描きだすのだが、それが何か彼には分かった。蠢く大腸だ。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。