見出し画像

コロナウイルス連作短編その149「天国旅行」

 道を歩きながら、神部博彦は仁藤絢佳と電話で会話をする。
「あの子って、あなたに口許がそっくり」
 その言葉の直後、電話口でノイズが走ったかと思うと、電話が切れる。鼓膜にノイズの微動する残滓を感じながら、もう1度電話をかけようとするができない。ただ極細粒子が次々と爆ぜる音だけが聞こえる。
 ふと顔をあげる。そして今自分がどこにいるか分からないと気づく。自分が住んでいる町にとてもよく似ている。錆びたガードレール、工場と隣接する住宅街、エメラルドグリーンで塗装された大型トラック。だがここは自分の町ではないという不気味な確信がある。一瞬にして“途方に暮れる”という言葉に屈する。
 前から女性がやってきた。首もとには重い色彩のマフラー、マスクは薄い水色。博彦は彼女に道を聞こうと、少しずつ歩み寄っていく。妙に膝関節の駆動が意識される。ぎこちない、潤滑油の差されていない古びた機械といった風だ。その感覚を振り払うように早歩きを行い、女性に近づく。
「あの、ここどこですか?」
 言った瞬間に、質問の組み立て方が悪いと直感する。当然、女性は怪訝な表情でこちらを見据えている。これでは記憶喪失か、何らかの超越的技術で過去か未来にやってきた人間のようだ。博彦は自身の喉を触る。喉仏が首筋から突き出している。だが何故人間の身体において、喉仏は首筋から突き出すのか?
「すいません、道に迷ってしまって」
 この質問の方が今の状況を鑑みれば正しいだろう。だが実際に彼の心情を直接示しているのは最初の質問だった。
 女性は何も言わない。なおも怪訝な表情を浮かべている。マスクをしているのに“怪訝な表情”と認識できるというのは不思議だ。確かに目許は外界に暴露されているが、顔の下半分はマスクによって完全に覆われている。だが博彦には彼女が“怪訝な表情”をしているとしか思えない。女性は何も言わない。
 これは“何も言わない”ではなく“何も言えない”ではないかと博彦は思う。例えばそもそも彼女が日本語を解さない外国人ではないか。中国人、韓国人、もしくはその他の東南アジア人か中央アジア人、中でもキルギス人は日本人ひいては東アジア人に瓜二つであると博彦は聞いたことがある。
 日本語の通じないガイジンか。最近、アジア人も白人も黒人も、町にどんどん増えてきた。いったい何なんだよ?
 そんな思惟が吐き気のように込みあげる。実際には口に出さない、こういったことを口に出せば社会的な信用を失うと自制する思慮はあると博彦は信じている。
 いや、だから、ここは俺の住んでる町じゃない、町じゃないんだ。
 博彦は腕を動かしながら身ぶり手振りで自分が道に迷っていることを女性に伝えようとするが、女性は怪訝な表情を崩さない。果てには眉間の皺として露骨に不信感を示したかと思えば、歩き去っていく。博彦は1人取り残される。
 孤独だった。危険を覚えながらも、博彦は歩いて、周囲を確認しようと思う。先に見たマスクと同じ水色をしたトタンの工場、何番煎じといったモダニズム的な白い建築、路上駐車されたオレンジ色の軽自動車、群青色とドギツイ黄色で塗り分けられた電気屋の看板。そしてマンションに隣接した大きな広場に行き着いた時、背中に不穏なまでの怖気が走る。ここは、この町は明らかに見覚えがある。それでいてこの町は明らかに自分が住む町ではない。これが絶対的な確信として博彦の頭蓋にのしかかり、骨がひび割れていく。進むたびに既視感を覚える。疲労を覚えて眼を背けるなら、その先にもまた既視感を抱く。点としての疲労は、空間としての疲労となり、肉体から力が抜けていく。
 曲がり角に差し掛かり、博彦は何かにぶつかり、後ろに倒れる。衝撃で視界が揺れるなか、両腕で頭を抑えてそれを収めようとする。頭蓋のなかで脳髄が、眼窩のなかで眼球が揺れ動き、熱を帯び始める。鼓膜で蟠っていたあの微細な炸裂が勢いを取り戻していく。それでも何とか肉体をマシな状態にして、前を向き直すと、小学生らしき少年が走り去る様を目撃する。帽子を被っていた。その後ろ姿が息子である神部赤司に見えて、驚いた。
 おい、追うなよ、追うなよ。
 そう自分に言い聞かせながら、身体は走るという行為を自然と開始してしまっている。だが身体の駆動はやはりぎこちない。機械が現在進行形で錆びつき、壊れゆくという感覚を味わわされる。それでいて少年に追いつけない。30代後半である博彦の走行は10代前半だろう少年の走行に敵うことがない。だが追いかける、追いかけ続ける。スタミナが無くなるまで、博彦は肉体によって走らされた。
 唐突に足が動かなくなり、道の真ん中で踞ることとなる。加速度的に離れていく少年の後ろ姿をただ眺める。周囲は何の変哲もないマンション街で、明らかに見覚えがあった。恐ろしかった。
 視界にちっぽけなベンチが映る。這いずるように近づいていき、腰を落ち着ける。瞬間、耳許で静電気のような響きが現れ、触覚ごと聴覚を刺激する。脳髄が少しずつ焼かれるような感覚がある。上をむくと、空が灰色でオレンジ色だった。空自体が液体金属のように蠢いているようだった。
「あなたに口許がそっくり」
 仁藤絢佳の言葉が、天使の祝福のように空から響いてくる。
 彼女は息子である赤司の担任教師だったので、不倫関係に陥った。妻の神部万希子との仲は修復不可能なまでに冷えこんでいた。不倫は素晴らしいものだった。だが絢佳と初めてセックスを行ったのは彼女が妊娠した後で、夫が自分を構わないという月並みな理由で妊婦を他の男から寝とるというのには優越感を抱いた。自分のぺニスを絢佳のヴァギナに挿入しながら膨らんでいく腹部を眺めているととても気持ちがいいので、中に射精をするのも楽しかった。安心した。
 ある時は隣町に存在する相当に大きな公園へ行き、鬱蒼たる森に隠れて、落ち葉に身を委ねながらセックスを行う。野外でセックスをするのはその時が初めてだった。何事にも初めてという瞬間がある。その時の快楽は、初めてマスターベーションをした時と同じくらい大きなもので、博彦は絢佳の乳房に大量の精液をかけた。その数日後に赤司はコロナウイルスに罹患し、さらに数日後には亡くなり、親である博彦と万希子はコロナに罹からなかった。その時間の流れは、体操選手の華麗な足捌きにも似ていた。博彦は状況がよく理解できなかったし、万希子は何も残さずに失踪した。
 遠くから声が聞こえてくる、絢佳のものではない。視線を向けると、少女の集団が楽しげにスキップしながらやってきた。彼女たちが歌を唄っているのだ。

税金払ってれば
世界には何をしてもいいのか

社会にだけ責任とって
世界はブッ壊れるにまかせてる

お前らの
ケツぬぐいのため
私たちは
生きてるんじゃない

私たちは
生まれてきたんだ
お前らを
絶滅させるために

 不愉快な歌だった。少しずつ彼女たちが近づいてくる。こっちに来るなと願う。博彦を素通りするかと思えば、彼を取り囲むように止まる。何も言わなくなり、ただこちらをじっと見つめるようになる。俯いて遣り過ごそうとしながら、視線が物質として頭部に突き刺さっていく。皮膚にめりこみ、肉を抉りとる。我慢ができなくなり、叫んだ。声が掠れて、ノイズのようにしか響かない。少女たちはぎゃっぎゃと嬉しそうに、楽しそうにスキップを始める。博彦は立ちあがったかと思うと、走る、逃げる。少女たちはスキップでついてくる。スキップにすら追いつかれる速さでしか走れない。それでも無我夢中で走り続けると、いつの間にか少女たちは居なくなっている。
 見覚えのある道路だった。人が密集しているのが見えた。同時に救急車が赤い光を吐き散らかしながら、サイレンと共に去っていく。事故現場の様だ。博彦は近づき、野次馬を掻き分けていく。バンパーが拉げた車、血だまり、警察と彼らに詰問されている運転手らしき男。
 ふと足元に帽子が落ちているを見つけた。踏み拉かれて、足跡に横れた紺色の帽子だった。あの時にぶつかった少年のものだと思った。なので自分の息子のものだと博彦は思った。手に取ろうとすると、先に何者かが取っていった。その手元から男の顔へと視線が自然と滑る。男の顔は博彦そっくりだった、少なくとも朝に洗面所の鏡で見る顔とそっくりだった。マスクはしていない、まるでコロナ禍などなかった時代からやってきたように。驚いて、動けなくなった。驚いて動けなくなるというのは神経科学的な意味で、解剖学的な意味ではどう説明できるのだろうか。男は特に驚くこともないままに、帽子を持ってその場を立ち去る。博彦はその背中を眺める。
 ズボンのポケットのなかで携帯が震えた。手にとって確認するが、特に何もなかった。電話やメールをしようとするが、無理だった。何らかの電波障害が起こっているようだった。それでも携帯本体に保存された写真は簡単に見ることができる。見たのは絢佳が送ってきた息子の写真だった。特徴のない赤子の顔の写真でしかなかった。
 博彦の意見としては、この肉の塊に付着している口許が“あなたにそっくり”な訳がない。肉体関係を持った時点で絢佳は既に恋人または夫の子供を妊娠していたからだった。だが「あの子って、あなたに口許がそっくり」という言葉によって、絢佳は婉曲的に“この子供はあなたの子供である”と博彦に迫っていた。法律という面でも、精神的な意味でも認知を求めているという姿勢が明らかだった。
 本当にこの子供が俺の子供だったら?
 こういった仮定が確かに頭には浮かぶが、皮膚感覚として現実には程遠い。酒に酔うか薬物を摂取したかで我を失った状態でセックスを行ったのか。酒は飲めない、薬物は一度も摂取したことがない。別の自分が勃起したぺニスを絢佳のヴァギナに挿入した後に、そのなかで射精を行ったのか。そんなことは全くあり得ない。博彦は写真から、自身の股間に視線を移す。ズボンの奥にペニスが存在するとは思えないほどに平坦だ。ペニスに勃起しろと念じるが、勃起もしない。性的機能が失われたか、既にペニス自体が切断されたかのようだ。

税金払ってれば
世界には何をしてもいいのか

社会にだけ責任とって
世界はブッ壊れるにまかせてる

 また少女たちの歌が遠くから聞こえる。逃げるしかない。
 やたらめったらに角を曲がり続けて、自然と自らを“途方に暮れる”という状態に追い詰めていく。そして行き当たるのは大きな公園だった、とても大きな公園のその入り口だった。見覚えがあるが、来たことはないと確実に断言できる。足を踏み入れて、30秒だけ歩く。またベンチがあった、そこには先程見かけた男が座っていた。疲れはてたように、俯いている。博彦はその隣に座り、横顔を伺う。やはり男は博彦自身だった。手には紺色の汚れた帽子を持っている。
「さっき会いましたね」
 博彦は博彦に尋ねた。
「さっき、事故現場で」
「この帽子、あなたのですか?」
 博彦は博彦に言った。
「事故現場で。いや、私のではないですね」
「この帽子は私の息子のものなんです。轢殺されました」
 博彦は博彦に言った。
「私の息子は交通事故では死んでませんよ」
「正確に言えば、私の2人の息子は轢殺されました」
「私の息子はコロナに罹かって死んだんですよ」
「別々にです。兄の方は全身打撲で死にました、弟の方は頭を轢き潰されて死にました。同じ人間に殺されたんです、時をおいて、別々に」
「それはお気の毒に」
 博彦は博彦に言った。
「問題はその後なんです。逮捕された後、運転手は息子、弟の方を轢殺した後に、幼稚園児たちの列に突っ込んで撥ね飛ばし、彼らの頭もまた轢き潰したと言っているんです。私の息子たち以外も轢殺したと」
 博彦は“轢殺”という言葉に酔っていると博彦は思った。
「だけどそんなことは起こっていない。そんな事実は全くないんです。これは彼の妄想なんです」
「そうですか」
「でも私の息子たちを殺したのは妄想ではなく事実です。2人は確かに死にました、私は妻と一緒に死体も見ています」
「頭を轢き潰されたやつもですか?」
 博彦はそう博彦に尋ねた。
「この妄想を、例えば日本のドラマに出てくる、耳障りな高笑いと大袈裟な笑顔で言ってくれたなら“この人間はキチガイなんだな”と、まだ諦めがつくじゃないですか。だけども彼はとても冷静に言うんですよ、この前に観た映画のあらすじを友人に説明するという感じで」
「あなた、息子さんとMarvelとか観そうだな」
「彼はとても冷静に言うんですよ、この前に観たMarvel映画のあらすじを友人に説明するという感じで」
「そう、それだ。しっくり来ますね」
 博彦は博彦にそう言った。
「それなのに、彼は実際の殺人と妄想の殺人を全くごちゃ混ぜにしているんですよ。彼にとって私の息子たちは実在しない幼稚園児たちと同じ扱いだ。息子たちが彼の妄想のなかに消えていくんです」
「それはお気の毒に」
 これ以上はもう無駄だと博彦は博彦を置いて、歩いていく。公園はとても美しい。葉や木の幹、土の匂いというのはこんなにも豊かで、心安らぐものとは知らずにいた。今後はもう少し自然に立ち返るというのを考えてもいいのかもしれない、博彦はそう思った。自分の町に、家に帰ったのなら、こういう今までやらなかったことをやっていこうとそう曖昧に思う。例えば数学を勉強するなどだ。学生の頃は数学が大嫌いで、何も理解できなかった。公式や数式を暗記させられ、証明だとかいう答えまでの長々とした説明文を書かされる。苦痛だった。自分が今何をしているのか分からなかった、もしくは自分が何が分からないのかすら分からなかった。
 より鬱蒼たる森の部位へと行き当たり、そこへ足を踏み入れてしばらく歩いてみる。当然というべきか、そこには仁藤絢佳がいった。息子は既に産んでいたというのに、腹部は膨らんでいた。こういう状況に陥ったなら、やはりセックスは行われなければならない。博彦はズボンを脱ぎ、ペニスを露出する。そのままペニスを刺激するが、勃起しない。どうしても勃起しない。すると絢佳が歩みよってくる。右手でペニスを刺激し、話を始める。
「「今、私のお腹の中には赤ちゃんがいます」
 担任である仁藤絢佳がそう言った時、神部赤司は不愉快な気持ちになった。その理由は自分でも説明できないながら、黄色く濃厚な胃液のような不快さが身体の奥底からこみあげてくるのを感じた。そして想像したのは絢佳が何者かとセックスをする姿だ。彼女は幸せそうに恋人の身体を抱きしめている。だが性器にはモザイクがかかっていて、何が起こっているかは伺い知れなかった。
 絢佳はお腹を撫でながら、まろやかな笑顔を浮かべていた。女子たちは素直に拍手をしながら「おめでとうございます!」という祝福の言葉を投げ掛けていた。だが周りの少年たちは何か居心地の悪そうな顔をしていた。赤司の隣に座っている和久井勇は人差し指でこめかみの辺りを執拗に掻き毟っていた。
「先生エロくね? ゴム無しでセックスしたの?」
 突然、勇がそんなことを言い出した。絢佳の笑顔が一瞬で凍りついた。だがすぐに優しい温もりを取りもどし、笑顔はさらに柔らかなものになった。
「そんなこと言っちゃだめだよ、勇くん。それは失礼な言葉だからね」
「先生、生のチンコ気持ちよかった?」
 勇の後ろに座っていた青山俊樹がそんなことを言った。絢佳の笑顔が再びぎこちなく停止した。それから首筋を掻きながら、彼女は唇を舐めた。
「青山、そんなこと言うなよ!」
「そうだ、そうだ!」
 女子たちが絢佳を庇いながら、そんな言葉を投げかける。勇は彼女たちに怒りを抱いているようだった。赤司は彼を助けたかった。
「マンコ! マンコ! マンコ!」
 赤司は一心不乱にそう女性器の名前を叫び始めた。拳を天井にかかげ、唾をブチ撒けながら、赤司は叫ぶ。女子たちはまず爆笑し、それから不気味な静謐に包まれだす。しかし男子たちは赤司の言葉に鼓舞されたようだった。勇や俊樹もまた女性器の名前を叫び始める。
「マンコ! マンコ! マンコ!」
「オマンコ! オマンコ! 俺はオマンコが好きだ!」
「精子でいっぱいになったマンコのこと、英語で“クリームパイ”って言うんだってよ!」
 俊樹がそう叫ぶと、男子全員が笑った。
「マンコ! マンコ! マンコ!」
 すると絢佳が泣き始めた。彼女は恥ずかしげもなく大きく口を開いて泣いていた。そんな風に泣く大人を見たのは初めてだったので、赤司は驚いた。だがその驚きを掻き消すために、さらに大きな声で女性器の名前を叫んだ。そして最終的に涙とともに、絢佳は教室から逃げ出した。騒然となりながら、女子たちは怒りながら赤司たちを叱った。彼らの顔は奇妙な紫色に染まっていた。赤司は黒板の前へ走っていって、腰を激しく振り始める。この前、勇と一緒に観た動画に出てきた白人ポルノ俳優の真似だった。女子たちは激しく怒りを露にしたけども、男子たちは雄叫びをあげながら興奮した。そして皆が腰を振り始めた。赤司は最高の気分だった」
 絢佳がそう言った後に、博彦のペニスは勃起したので彼女のヴァギナにそれを挿入する。やはりペニスをヴァギナに包みこまれるというのは気分がよかった。だが実際問題、ペニスがなぜこうして快楽を感じるのかに関する仕組みというのを博彦は全く知らなかった。ペニスには多くの神経が集合しているというのを聞いたことがある。神経が多いというのは“敏感”という言葉に繋がるとは分かるが、それがどうすれば“快感”に繋がるのか、これがいまいち理解しがたい。これに関しても町に帰ったら図書館で調べなくてはと博彦は思った。
 そしてふと、自分はこのままヴァギナに吸い込まれる必要があると博彦は思った。人々がそれを求めていると。なので腰をグッと絢佳の股間部に押しつけると、ペニスはもちろん、鼠径部も入っていた。この要領で身体全体を絢佳の身体に押しつけるというのを行うと、確かに自分が中へ収納されていくのが分かる。腹部、胸部、膝関節、肺腑、脊髄、脛毛、脳髄、最後には全てが収納される。何らかの道を下っていく。
 そうするなら子宮に辿りつくはずなのだが、博彦が躍りでたのは道路の真ん中だった。体も粘液にまみれているなど、そういうことはない。小綺麗だ。周囲を確認するなら家に程近い住宅街だと気づく。実際に20秒ほど歩くと、自分の家があった。親からもらった小さな一軒家だった。門を開けようとするのだが、不思議と腕に力が入らず、ただ取っ手がキイキイと音を立てるだけだ。門が開かない。何度やっても手が萎えたように震えるばかりで、取っ手を上にあげる力すら入らない。上をむくと、2階の窓に人影が見える。大きな影と小さな影、おそらく万希子と赤司だった。
「おい、開けてくれ、開けてくれ」
 博彦はそう叫ぶが、影は微動だにしない。門は開かない。
 後ろに気配を感じ、振り向くとあの少女たちがいた。ニヤニヤしていた。ニヤニヤしながら、博彦を遠目に眺めていた。
「何、見てるんだよ。何か言えよ、何か唄えよ」
 博彦は言った。
「俺のこと憎んでるんだろ、じゃあ唄えよ。あの歌、唄えよ!」
 少女たちはスキップをしながら帰っていく。もう帰る時間だった。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。