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コロナウイルス連作短編その189「サル、リス、そして人間」

 結城真沙美は職場近くの公園で昼食を取ろうとしている。
 今週、彼女は職場の科学館ではなく、隣接するショッピングモールにいた。そこで開催される鉱石の展示会に係員として参加していた。ここ2,3日はモールのベンチで昼食を取っていたが、今日は外で食べたい気分だった。
 ベンチに座り、マスクをアゴまでずらす。7月後半は尋常でない猛暑で、職場への通勤すら大変だった。しかし8月前半から暑さの勢いは収まり、むしろ例年よりも涼しいと思える。今日は風がなかなか強く、しかしそれは躍動する涼しさといった風で悪くない。少しばかり浸っていたくなる。だから真沙美も外で昼食を取ることにしたんだった。
 鞄から取りだすのはポカリスエットとおにぎり2つ、種類は紅鮭とたらこでモールのプライベートブランドだった。見た目はコンビニのものと変わらない。テキパキと封を開けた後、早速それを食べてみる。
 別に、悪くはなかった。言ってみれば普通のおにぎりだ。だがコンビニの異様なまでの歯切れのよさと比べると、劣っている気がした。中途半端な海苔のパリパリさ、中途半端な白飯の温度、中途半端な具の量。微妙という言葉が浮かばざるを得ない。振り返るなら、ここだけでなくショッピングモールがプライベートブランドとして売っているおにぎりは全て微妙であった気がする。
 工業生産による徹底した冷ややかさ、家庭で育まれる人肌込みの温もり。ショッピングモールのおにぎりはこの狭間、悪い意味でのどっちつかずだと思えた。結局納得の行かない形で、真沙美は食事を終えることになる。
 ポカリスエットを少しずつ飲みながら、彼女は公園を眺める。入り口から端まで奥行きが妙にある敷地、そこに砂場や滑り台など基本的な遊具が配置されている。周囲にはアパートなどが立ち並び、1棟は灰色のビニールシートが覆われ工事の進行が伺われる。そして遠くには勤め先である科学館とショッピングモールが見える。真沙美はそれら建築物の中心に、このどこにでもある何の変哲もない公園が位置していると思えた。子供と彼らの集まる場所、そこがいつだって町の中心にあるべきだ。
 と、小学生くらいの少年たちが数人、転がる鉄球のように公園へと乱入してきて、敷地内を駆け回り始める。真沙美はその光景をぼうっと眺めることになる。
 少年たちは鬼ごっこをしているようだ。びゅんびゅんと風を切っていく様を見ていると、昔の人々が“子供は風の子”と例えたのにも頷ける。みなマスクもしていない。他の大人は怒りそうだが、真沙美は気にしなかった。
 英語の書かれたシャツを着ている子供、丸刈り頭の子供、カーキ色のズボンを履いている子供。少し出っ歯らしき少年を見た時には“明石家さんま”という名前が浮かぶが、自分の連想の貧相さに真沙美は少し笑ってしまう。
「サル痘から逃げろ!」
 だがそんな声が耳に届いた時、少し神経が引き締まる。ポカリスエットをより多く飲みくだした後、目前の光景に感覚を凝らす。子供たちは鬼ごっこをしていた。そこにおいてほとんどの少年たちの視線はある1人に向けられている。ダブダブの黒いシャツを着た少年、彼はみなを捕まえようとしながらも運動神経の鈍さからか、追いつくことができない。それを見計らい、わざと彼を近づかせたと思うと、軽やかに逃げ去るとそんな翻弄を行う者もいた。
「サル痘たかはるから逃げろ!」
 そんな叫びの後に、公園に爆笑が響きわたる。
 真沙美は直感的に、目の前でいじめが繰り広げられていると感じた。あのダブダブなシャツを着たたかはるという少年は名字に“猿”がつくゆえ、今コロナウイルスと並んで感染が懸念されているサル痘に準えられ、そうしていじめを受けているのではないか。そう考えると胸が痛んだ。いじめはあってはならない。
 それと同時に浮かびあがる怒りもあった。真沙美は動物が好きだった。生物学は自分の職務の範囲外にあるものだが、だからこそ趣味として自由に生物学へ好奇心をめぐらせていた。最近はYoutubeなどで動物の生態動画を観るのが好きだ。
 中でも印象に残っていたのが霊長類に属するボノボの優しさを解説した動画だった。彼らは飢えた仲間にはエサを分け与え、ストレスを感じた際にはハグをしあうなど仲間思いな面を持っている。これがチンパンジーなどの近隣種との違いだという。目前で繰り広げられるいじめはそんなボノボの優しさを踏みにじるような人類による蛮行だと、真沙美には思えた。それに“サル痘”という名前も明らかに誤解を招く代物だ。人間というのは傲慢に過ぎる。
「ねえ、あなたたち!」
 真沙美が大声をあげると、少年たちが一斉にこちらを向く。凝集する視線に気圧されるが、喉回りの筋肉を意識してそれを振り払おうとする。
「友達を“サル痘”呼ばわりしていじめるなんて、許されないですよ」
 声量はそのままに、しかし彼らを教え諭すトーンを心掛ける。
「“サル痘”にかかったらどうしようって不安になるかもしれないけど、だからって他の人を傷つけるのは許されません。そうやって誰かを傷つけても不安からは逃げられないんですから……」
 急な事態ゆえ、うまく言葉を紡げているか分からない。それでも何か言わないと始まらないのは確かだ。時々、唇を噛みながら慎重に言葉を口に出していく。
 すると意外なほどに、少年たちは静かに話を聞いてくれる。もしかしたら彼らもきちんと反省しているのかもしれない。なら自分がここで不器用なりに説教をしている意味もあるだろう。
「……ねえ、本当にダメですよ。こんないじめしたら」
 少年たちは一様に俯き、実際に反省しているしているようだった。
「それに、“サル痘”なんて名前、猿にも失礼なんですからね」
 先の思考の延長線で、何となくそう口にした。すると先にいじめられていた子供が顔をあげ、こっちを見てくる。
「どういうこと?」
 そんな彼の好奇心を、真沙美は少し嬉しく思った。
「そう“サル痘”って聞くと、まるで猿から生まれたウイルスみたいに思ってしまいますよね。でも違うんです。確かに初めてサル痘が見つかったのは猿からです。実験動物として集められた猿があるウイルスに感染していて、それが新種のウイルスだったから“サル痘”って名前がついてしまったんです。でもこのウイルスを元々持っている動物はげっ歯類、つまりリスやネズミなんです。猿は彼らを通じて感染しただけなんです」
「ってことは、本当は“サル痘”じゃなくて“リス痘”なの?」
 少年がそう言った。
「まあ、そうとも言えるかもしれないですね」
 すると少年がある方向を向いた。
 そして他の少年たちも同じ方向を向いた。
 その先にいたのはあの出っ歯の少年だった。
「リス痘だ! 逃げろ!」
 叫びが爆裂するように響き、少年たちが再びダッと走り始める。1人残された少年は何が起こったか全く理解できていないようだった。
「リス痘まさひろから逃げろ!」
 そう言ったのは“サル痘”と言われていた少年だった。その顔は確かにリスには似ていない。そして猿にも似ていない。ただただ、どこまでも人間の顔をしている。
 だがそう思う真沙美の顔も、人間以外のものではあり得ない。


私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。