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コロナウイルス連作短編その152「コカ・コーラも明太子も」

 ところで、俺と恋人の家の最寄り駅近くにはスーパーが2軒ある。互いから歩いて20秒かからないほどには近いんだった。片方をA、片方をBと呼ぶことにしよう。Aは駅の傍らに位置する、他でもよく名前を聞くチェーンの店で、彼とここに住むもっと前から存在していて、もしかするなら20年以上は営業を続けているかもしれない。まあ俺たちより年上ということはないだろうが。Bは駅の傍らというか、高架下に丸ごと収まった店で、確か3,4年くらい前からある。正確に思い出せないのだが、新参者であるのは間違いない。
 これほど近くに肉薄して客を取りあって共倒れにならないのか?と疑問を抱くかもしれないが、AとBそれぞれに特色があり、うまいことその住み分けができているように思う。少なくとも数年前から今に至るまでこの状態が、端から見れば目立った波風も立たないまま続いている。
 そのそれぞれの特色というやつをここに並べていきたい。まずAはチェーン店ということである程度の品質や信頼性が当初から備わっていて、かつこれを基盤として長い時間をかけ、地域に根を下ろしていき、この土地に深く馴染んでいる存在となっている。もう既に常連客を大量に抱えこんでおり、彼らの姿を見て新しくここに住み始めた人も自然とここへ通うようになり、地位は磐石といった風だ。煉瓦造り、を壁紙の柄で装った外装はもはや本物の安定感を持っている。
 Bの存在はある意味でAの一強時代を揺さぶる存在だった、少なくとも一時期は。俺としてはAがあるのに、なぜなぜわざわざ、しかも歩いて20秒という距離感の場所にスーパーをもう1軒建てるのか謎だったし、他の住民にとってもそうだったろう。恋人にとってもそうだ、彼はふざけてトランプ支持者みたいな陰謀論を並びたてていた。もうどんなのかは忘れたけども。高架下を何かで埋めなくてはならない事情でもあったのか何なのか、今はもう分からないし、いつの間にスーパーBの前にはそこに何が存在したかも忘却の彼方だった。だが少し思うのは、やはりAが土地に馴染んでいるとはいえ、いやだからこそ、不満を持つ住民も一定数はいた筈ということだ。品揃えが悪い、値段が高い、こういった欠点をなあなあの信頼で濁す、そういった不満だ。実は彼もその一定数のなかにいた。この不満がいつしか因果を動かしてBを作らせた、そんな風だ(だからBの建つ理由について陰謀論を垂れ流していたが、内心彼は結構喜んでいた)昔観たウルトラマンシリーズのどれかで、人々が持つ負の感情で怪獣が生まれるなんて設定のやつがあった気がするが、ある意味でそんな感じだ。だが今ではAとBがうまく両立しているので、後ろ向きな理由で建てられたと考える必要はないかもしれない。
 構造としてはAは2階立てゆえに、Bよりも大きく感じる。1階は野菜や肉、魚に乳製品、惣菜といった食事の基本になるものが多く配置してある。それらがスーパーの基本構造に則って外縁に沿って並べられるなか、取り囲まれる空間には例えば調味料やインスタント商品、菓子パンなどが詰めこまれている。その一方で2階には何があるといえば冷凍食品や飲料、そして空間の2/3を占める酒といった商品が陳列されている。2階があるというだけで妙に広いような印象を受けるし、エスカレーターに乗って2階へ行くなんて行為も経るので、実際の広さ以上のものを心理的に感じられるっていうのもあるだろう。
 だがもう1つ書くべきなのは1階が凄まじく狭いということで、さっき言った恋人の不満がこれだ。商品や棚があまりにも凝縮されていて、かごを持ちながら通路を歩いていると自然と他の客とつっかえるのだ。だから体を横にして“すいませーん”とばかりに頭を下げながら客の脇を進むなんてことがよくある。本当に狭い。つまり敷地自体はかなり狭苦しいのだ。だからこそ過密さを解消するために2階を作ってそこに、どちらかといえば必要性は低い商品を並べざるを得なかったんだろう。こういう訳でも1階から2階に行く時には一種の解放感がある。例え1階を経ずに最初から2階へ行くとしても、1階の過密ぶりは既に脳みそに刷り込まれている訳で、初めてAに来たんではない限り、解放感はいつだってやってくる。これを味わうのはなかなか悪くない心地だ。
 さてBの構造だ。こちらは先述した通り高架下の空間を満たすように設計されているゆえに1階だけしか存在しない。2階といえば、それはもう駅そのものだ。Aと同じく基本構造は踏襲しているので野菜、肉、魚、惣菜が外縁をグルッとめぐるように配置されている。そして内側にはパンに菓子にと商品棚が幾つも整然と並んでいる。だがここで高架下という特殊な状況が顔をだす。BがAと違う最大の理由が奥行きなのだ。入り口から肉売り場という一番の端まで歩いて何秒かかるだろう。実際に数えてはいないがAが数秒で行けるところの3倍はかかるんじゃないだろうか。相当細長いのだ、まるでアリクイの舌といった風に。だからこそ外縁に基本的な商品、内側に派生的な商品を収めても余裕で敷地が余るくらいには広い。
 じゃあその余裕に何が入ってくるかといえば100円ショップなんだった。ある一線を越えると、文房具とか雑貨とか消耗品とかそういうものが犇めくコーナーがいきなり現れる。鰹節やパスタソースが置いてある棚、そして一番奥の肉売り場、この2つに挟みこまれた敷地に100円ショップが丸ごとある。いや、レジは全部入り口にあるので丸ごとではないが、実際ほぼ丸ごとあるとは言いたくなる。なかなか珍しいんじゃないだろうか。とはいえ昔、正確に言えば今から5,6年前の、つまりはBができる前、駅から30秒ほどの場所にドラッグストアがあった。ここも奥行きが妙に長ったらしかったが、やはり同じような配置で100円ショップが組みこまれていた。だからこの構造に見覚えがなかった訳じゃあない。だけど少なくともスーパーに限ってはこういう構造は初めて見た。それでも俺はここずっと恋人とこの町に住んでいて、東京含め他のスーパーには行ったことがあまりない。だからこんなんで珍しいと言ったら笑われるかもしれないな。ちなみにそのドラッグストアは、近くにマツモトキヨシが建ったせいで潰れた。代わりに24時間営業のジムができたが、俺は有り難くそこに通わせてもらっている。
 次は商品の値段を見ていこうか。ふと思いたって両者の値段をいくつかメモして比較したことがある。値段の並びはA/Bだ。

長ネギ1束:100円/159円
大根:78円/79円
きゅうり1本:58円/88円
レタス1個:78円/59円
しぼりたて生しょうゆ:255円/273円
シャウエッセン:2袋298円/498円
カットわかめ:138円/128円
徳一番花かつお:398円/309円
サッポロ一番しおラーメン5食入り:378円/348円
一平ちゃん豚旨塩だれ味:148円/119円
クラフトパルメザンチーズ:328円/418円

 このリストを眺めるなら、例えば長ネギやきゅうり、絞りたて生しょうゆ、一平ちゃん豚旨塩だれ味はBの方が安いのが分かる。特にパルメザンチーズにはその差が顕著だ。しかしレタス、徳一番花かつお、それにサッポロ一番しおラーメン5食入りはAの方が安かったりと一筋縄では行かない。特にシャウエッセンの値段の開きは驚きだ。そして他の値段差も含めて俺が見ていく限り、どの分野では全体的にどちらの方が安いという決定的な差異はあまりないように思える。値段差は遍在しているし、時期によってはセールなどで差が逆転するなんてことはザラにあるだろう。そして身も蓋もないことを言うならば、安さに関してだと、ここから歩いて10分ほどの場所にある坂、そこを乗り越えたところにあるスーパーの方がAとBよりも安い。そしてそこから更に10分のところにある大型ショッピングモールの方がさらに安い。だがAとBに行く人々が絶えないのは最寄り駅直近という立地条件と坂を越えるのが面倒臭いという人間存在の怠惰さに拠るところだろう。実際にウチもカツカツの時は面倒臭さを押して向こうのスーパーに行く。だが幸運なことに、今のところはAとBに行く余裕がある。
 俺としては値段の違いは集客においてよりマイナーな要因なのではと思える。というか簡単にこの両立を理解できる(と思わせる)メジャーな要因はそもそも存在せず、ここにおいては全てが細分化されたマイナーなんではないかとも思える。そういうマイナー要因は頭に幾つか思い浮かぶ。例えばAとBはお菓子のラインナップが結構違う。Aは生クリームつきの煎餅である雪の宿、オレオの代わりのビッツサンド、それから大袋に入ったポテチが多くある。それからBは袋包装のアルフォート、丸彦製菓のごま好き、オレオなどがある。これは本当に一例で、詳しく見ていけばもっと明確な違いが見えてくる筈だ。これに関しては俺の恋人の方が詳しいだろう。彼はお菓子が好きだ、Bの方のお菓子が好きだ。だがもっと言えばスーパーのお菓子より、Bよりもっと手前にある、高架下内部に店が並ぶって商店街みたいなところのケーキ屋のケーキとかの方が好きだ。そのせいで二の腕とかがプルプルしてるよ。まあ、コロナで潰れたが。
 で、去年辺りからコカ・コーラ社が500mlと一緒に350mlと700mlのペットボトルも売り始めた。俺は700mlの登場に思わず興奮した。だって炭酸なんて500mlじゃあ足りない、かといって1.5lを一気に飲む訳にはいかない。だから俺はコンビニで妙にデブったような800mlのコカ・コーラを見かけると嬉しくなる質だった。これを見かける場所は驚くほど少ない。そんななかで700mlが普通に売られ始めたのは朗報以外の何物でもなかった。会社側は“2人で飲もう!”なんて宣ってるが、実際は俺みたいに1人でゴクゴク鯨飲ってやつの方が多いはずだ。
 何でこのコカ・コーラ社のマイナーチェンジについて語ったかといえば、Aで売られるコカ・コーラは700mlだが、Bで売られるコカ・コーラは350mlなのだ。1.5lは例外として、今や500mlは(少なくとも俺の町では)コンビニでしか売られなくなり、スーパーにおいては2つに二極化している。こう言うと、恋人は「いや、Bににも700mlは売ってるよ。見たことあるし」と反論してくる。正確に言えば、確かに売っている、時がある。あくまで時々出荷するまでで、殆どの場合は350mlしかない。しかも入荷した際は冷蔵せずに、棚の横に段ボールに入った状態で粗雑に置かれている。これが我慢ならない。冷えてないコカ・コーラはあり得ない。
  多分、読者はずっと気になっていただろう。そしてここで気づいただろう。そうだ、俺が好きなのはコカ・コーラ700mlが置いてある、古きよき馴染み深いAだ。いや、普通に買うのはそりゃ、いつだって多く飲みたい、家で好きな時に飲みたいから1.5lだ。だがあんまり宜しくないとは分かっていても、ジムで筋肉を鍛え、汗を流した後、歩いて10秒のAにまで歩いていき、コカ・コーラ700mlを買う。高校生らしきアルバイト店員の手捌きに感心し、無人レジに105円を投入する味気なさを残念に思い、テープだけ張られたペットボトルを持って、冬の夜に躍りでる。そうして蓋を開ける。凍の粒子がギュッと凝縮するようなあの音を聞き、間髪いれずにコカ・コーラを飲む。旨かった。最初の一口がいつだって最高なんだ。毒々しいまでの甘み、肉を突き刺すような刺激。それを味わいながら、家路につく。俺はこれが好きだった。砂糖なんて疲労の回復には最低だし、運動が台無しになるだろう。確かそういうのが疲れない体作りを標榜する本に書いてあった。だが俺の場合は、まあ運動してサッパリし、筋肉もついたら儲けものって軽いノリだからいいだろう。別にムキムキになりたい訳じゃあない。そういう類のトレーニングは中学高校のバレーボール部で散々やったんだから。
 だが俺がAで一番好きなのはそれじゃない。俺が大好きなもの、それは明太子なんだよ。Aの明太子は発泡スチロールに大量に入ったばかりか、どこよりも安い、そして旨いって唯一無二なんだ。Bだけじゃなく、さっき言った坂の向こうの安いスーパーやデカいショッピングモールと比べても安くて大量なんだ。他のところはきちんと設えられた縦長の明太子が控えめに入っているといった風だが、Aはほぐされたものがドバドバとブチこんである。見てくれはそりゃ汚いが、そんなもの気になる訳がない。「めんたい喰いまくってると痛風になるよ!」と彼は毎回どやしてくるが、気にしないね。こんな俺に中指突き立てるように、彼はBでばかり買い物をするんだった。そっちの方が、韓国味付けのり8切り×3個が319円で安いんだそうだ。
 そして、ジム後のコカ・コーラと一緒であまり誉められたものじゃあないが、時々無性に明太子が一気食いしたくなる時がある。仕事から帰ってきて、最寄り駅に辿りついて、そんな子供じみた欲望に突き動かされる瞬間がある。俺はまたA
に行ってほぐし明太子を1パック買ってしまう。夜の道、まずウェットティッシュで両手を丹念に拭きとる。人目を気にしながら、ビニールの封をビリビリ破り、マスクをアゴにずらしてから指で明太子を摘まんでみせる。ズタボロで、粒が破れた膜から今にもこぼれそうだ。それを一気呵成に口へ放りこみ、マスクを元に戻す。その奥で味わうように口を動かすんだ。背徳的な旨さがあるんだよな、これが。プチプチと粒が潰れるなかで、甘みと辛みが弾けて、俺は幸せな気分になる。コロナの前からこういう買い食いはやってたけど、今じゃ全然できなくなった。やっぱり人の目が気になるんだ。だが夜の冷や冷やした風を浴びながらも、口のなかはジューシーな辛みで熱くなってる、これが最高なんだよ。それで人目を盗んでは明太子をバクバクといく。旨い、旨いんだ。そんな感じだからあっという間に量が減る。それでも喰らう手を止められない。本当に旨かった。そうして明太子はすぐなくなる。悲しかった、でも幸せだった。
「ただいま」
 家に帰ると、恋人が俺を笑顔で迎えてくれる。彼はマスクの裏側の唇が、Aで買った明太子でベチョってるのを知らない。だが今むしろ、俺はお腹が空いてる。今日はどんな夕飯だろう。分からないが少なくとも、Bで買った食材で作られているはずだ。間違いなく旨い。


私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。