コロナウイルス連作短編その51「健康で文化的な最低限度の生活」

“こんなにも露骨に差別的な暴言を、しかも社長が吐けるなんて思いもしなかった。もうこの会社の製品は絶対に買わない”
“昔は良質の海外文学の翻訳とか出して、いい会社だったんだけどなあ”
“ちょっとこの反応の大きさに驚いてしまう。以前からこんなテレビ局を作って差別的な番組を垂れ流していたじゃないですか。皆、危機感が足りてないのでは?”
“最低、吐き気催す”

 Twitterを流れるDHCへの批判を読みながら、東岳三城は昼食のラーメンを食べる。彼は鍋でインスタントラーメンを茹でてから、その鍋から直接食べるのが好きだった。韓国映画で俳優がこういう風にラーメンを食べるのを見て、カッコいいと思ったんだった。初めての袋ラーメンを試したが、味噌の味がなかなか濃厚で美味しかった。そしてマーガレット・アトウッドの『誓願』を読む。なかなか興味深い。人物名を変えれば現代日本でも簡単に通ずると思えた。
 読書の後に外へ出る。寒かった。三城は冬というものを憎み、季節そのものを憎む。殺人的花粉にまみれる春、悪夢的な熱に晒される夏、拷問的凍てつきに支配された冬。唯一秋の当たり障りなさだけを許せたが、三城はもし自分が天才科学者なら秋以外の季節を地球から殲滅する発明のために人生を捧げたいと思う。あっという間に指が死骸さながらに冷える。この身体すら満足に暖められない血潮に苛つかされる。
 近くの図書館へ赴く。サーモグラフィ付きカメラが来館者の熱を測っており、傍らには係員がいる。だが彼は前だけを見据えて、モニターの方を見ない。こういう無能人間の脳髄をブチ砕いてやりたい衝動に、三城はいつも晒される。だが実際にはしない。勇気がない。海外文学の棚に行き、しばらく経った後にお目当ての本を二冊見つける。ジョイス・キャロル・オーツの『フォックス・ファイア』とエドマンド・ホワイトの『パリ 遊歩者のまなざし』だ。
「おい、マジでこれ、DHCが出版してんな」
 本をマジマジと眺めた後に、三城はそれを借りた。ページは古びて悪臭が匂った。
 図書館の隣には大きなショッピングモールがあり、次はそこに行った。三城は雑貨屋を目指すが、そこには予想通りDHCのサプリが売っていた。彼はビタミンCだとかプラセンタと書かれた袋の数々を眺める。
 鉄分を取ると眠りが深くなるって聞いたな。じゃあヘム鉄買っとくか。でも鉄とヘム鉄って何が違うんだ? 分かんねえな。1242円か。あと亜鉛を飲むとチンコの勃ち具合がよくなるって聞いたな、買うか。565円だ。ああ、Tinderでナンパした女子大生孕ませてえ……国産パーフェクト野菜Premium? そういや野菜高くて全然買えないんだよな、トマトとか高えよ、マジで。俺、一年中トマト食べてえのに。てか1542円かよ、こっちも高けえだろ、おい。
 だが三城はDHCのヘム鉄と亜鉛、国産パーフェクト野菜Premiumのサプリを買う。3円のビニール袋こみで、全部で3352円だった。彼は袋を握りしめながら、TwitterでDHCを批難する人々のことを考えた。俺のことも最低な人間だって批難するんだろうな、そう思うと本当に、本当に気分がよかった。帰り道には誰に命令される訳でもなくチョントリーと嘯き、そして爆笑する。
 上手いこと言ったと思ってんのか、馬鹿が。
 家に帰り、お湯で手を洗う。毛穴という毛穴が熱に開き、細胞が快楽の喘ぎ声をあげるのが聞こえる気がした。そして寝転がりながら『誓願』を全て読む。割と面白かったと三城は思った。
 この日の夕食はコンビニで買った明太子おにぎりとネギカルビおにぎりだけだった。三城には金がなかった。コンビニのおにぎりは異様に美味だった。母親のおにぎりなど足元にも及ばない。愛情などクソ喰らえだ、工場のオートメーションを称えよ。特にご飯を包む海苔の異常なパリパリ具合に三城は毎回毎回感動する。海苔を切り裂く歯の群れが感動に咽びなく声を確かに聞く。できるなら一度だけ、それだけでお腹が一杯になるほど大量のコンビニのおにぎりを買いたかった。その勇気もなければ、金もなかった。彼の侘しさを慰めるのはスーパーマーケットで買った4Lボトルに入る焼酎だけだった。
 焼酎を飲みながらYoutubeのゲーム実況を見ていた時、ふと自分がDHCのサプリを買ってきたことを思いだす。ビニール袋からサプリを出し、そこに書いてある指示を無視して、それぞれ5錠を手のひらに置く。全部を唇に放りこみ、一切薄めていない焼酎で飲みくだす。素晴らしい気分だった。彼はシャーロット・デ・ウィットのReturn to Nowhereをかけ、踊りはじめる。激しく身体を揺り動かすと、脳髄が頭蓋骨から溢れおちそうになる。だが三城は踊る、踊りつづける。
 ヘム鉄のサプリを全て口にブチこみ、焼酎で一気に飲みこむ。亜鉛のサプリを全て口にブチこみ、焼酎で一気に飲みこむ。国産パーフェクト野菜Premiumのサプリを全て口にブチこみ、焼酎で一気に飲みこむ。
 そしてなおも焼酎をブチこむ、ブチこんでいく。
 日本中が彼を非難しているように思えた。だがそんなこと、三城にはどうでもよかった。そして三城は叫んだ。
「これが健康で文化的な最低限度の生活だ!」

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