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コロナウイルス連作短編その119「高射砲台の男」

 マルクス・晃弘・ニッツェルは帰り道を急ぐ。早く家に着きたいわけでなく、何者かに追跡されているのを感じるからだ。これは初めての経験だった。特に人一倍鋭敏ともいえない聴覚や触覚といったものが、後ろに在る気配をさとく感じている。足音が、ことさら際立つ。むしろ己の存在を誇示するかのように、マルクスの歩みに合わせて不穏な音が響く。試しに歩みを早めると、足音も早くなる、まるで影のごとく追尾を続けてくる。最初の違和感は、淀んだ不安と焦燥へと変わっていく。すこぶる不気味な状況だ。靴の下で、右の小指がかすかに痙攣しているのを感じる。だがふと、夜道において女性は日々こういった恐怖を味わっているのかもしれないと思う。家父長制に虐げられてきた女性たちの怨念に、今自分は復讐されているのかもしれない、これが男として生まれた“原罪”というやつか? 故郷のオーストリアを捨てた時点で無神論者となった人間は、そう密やかにひとりごつ。
 と、足音がグンといきなり、一気に近づいてきたのを感じた。均衡は破られ、それが加速度的に肉薄してくる。「おい」という唸り声を聞くまで、数秒かからなかった。そして声へ反応する一瞬、時間が引き伸ばされ、マルクスの思惟がスローモーションの世界に迷いこむ。振り向くべきでないというのは明らかだった。だがマルクスは振り向きたいと思った。この存在はいわゆる通り魔で、自分に危害を加えようとしている。なら即刻逃げ去るべきだ。だがマルクスは、こういった通り魔は、普通女性や老人、子供といった弱者を狙うという固定概念を持っており、この時にもこれを思いだした。ここで彼は自分、もしくは通り魔が例外的な存在だとは思わなかった。現実というのは全てが驚くほど平凡だ。であるからして彼は、この通り魔が自分を狙ったのは、彼から見て自分が弱者だからだと考えた。それが癪に障った。
 マルクスは振り向く。フードを目深に被った男がいた。ペットボトルを持っていた左腕が震えている。マルクスの右腕がペットボトルを鷲掴みにする。内容物をブチ撒けようとしていたらしい男は身体をビクつかせると、腕を振り払おうとする。マルクスは渾身の力をこめ抵抗する。静かに膠着状態が続き、男が何とか彼の腕を振り払う。もはや液体をブチ撒ける余裕はなく、間髪入れずに逃走を始める。マルクスも後を追う。男はすさまじく疾い、体幹にブレがない、相当走るのに慣れている印象を受けた。無心で彼を追う、今度はマルクスが男の影になる番だ。
 月光の青、街灯の白、マンションの階層に規則正しく配置された橙。様々な光の巷を駆け抜ける中でふと確信が訪れる、自分はこの男に追いつけると。その瞬間に疾走に緊張していた全身の筋肉がほどけ、崇高な余裕というものに満たされる。肺は、紅茶を嗜む英国の貴族のような優雅さに包まれた。マルクスは深呼吸をするような早さで、男との距離を詰めていく。彼はかすかに振り向いた後、動作ががむしゃらなものになり、また振り返っては動態を乱していく。勝ちは同然だが、もう少し彼を泳がせたいと思い、速度の上昇を抑えながら走る。しかしそれよりも男の減速の方が劇的であり、ゲームの終りを悟った。次振り向いた時だ、マルクスは思う、次振り向いたに行こう。
 そして、男が自暴自棄なまでの大袈裟で、こちらを振り向く。足裏から太股、腰から肩まで全身の筋肉が心地よく凝縮するのを感じた。マルクスは一気に男へ肉薄し、彼の肩をペットボトルのように鷲掴みにし、そのまま地面へと引き倒した。惨めな声をあげ、大地に図体を晒し、痛みのなかでのたうつ。少し嗜虐心が湧き、これを今この瞬間に発露させていいか考えた。
 そこでふと自分が家近くの歩道橋の下にいることに気づいた。2年ほど前に増築されたねずみ色の歩道橋、東京へ続く高速道路を跨ぐゆえにかなり巨大だ。ここには起点が2つある。まず歩行者が上る用の階段、ここを渡る際にマルクスはこの階段を使う。もう1つは自転車に乗る通行者のためのなだらかなスラロープである。疑問なのはスラロープの異常な長さだ。高速道路の防音壁に沿って、すさまじくなだらかな傾斜が50mほども続いている。この長さが生みだした副産物が、今、マルクスが男を引き倒した空間だった。スラロープの影に覆われるとともに、3本の太い柱が不規則に配置されたその空間は、明白に外気に暴露されながら、同時に隠れ家のような密やかさすら持ちあわせる。奇妙な空間だった。理解しがたい空白だった。
 マルクスは男の左膝を自身の右足で踏みつける。触れた瞬間は軽く、だが少しずつ体重をかけていく。大量の雪で屋根が悲鳴をあげるといった田舎町の災害を思いうかべる。男の悲鳴は聞こえるが、ミシミシという音は聞こえない、ぜひ聞こえてほしかった。
「この、この白人野郎!」
 男がそう叫んだので、少し驚くとともに、不愉快になった。
 おい、じゃあこれって“男”として生まれた原罪じゃなく、“白人”として生まれた原罪なのか?
 マルクスは男の膝に一瞬だけ全力で力をこめた後、そのまましゃがんでフードを取りさる。マルクスの目には、この男の顔もまた白人のそれだと思った。だが闇のなかで目を凝らしながら、顔を観察してくると違うものが見える。東アジア人と白人の狭間、その気味悪いまでにまろやかな顔立ち。どの部位がどうであると説明は無意味だ。ただ感覚的にマルクスはそう理解した。
 こいつもぼくと同じ“ハーフ”か?
 マルクスはそう思う。マルクスはオーストリアと日本のミックスだ。だが彼自身は今の社会において使うのを忌避される“ハーフ”という言葉を意図的に使う。この言葉は英語の“half”を由来としながら、もはや英語とは全く異なる意味を持つ“ハーフ”という日本語となっていた、つまり日本人の血を半分しか持たない中途半端な“ニホンジン”。この捻れに彼は執着している。マルクスはオーストリアでも日本でも完全な白人としてパスするハーフで、自分に日本人という東アジアの血が流れていると語ると、どちらの人間にも驚かれた。“そうは見えない!”という言葉を彼らは驚くほど軽薄な形で口にする、意味は全く異なるが。
 マルクスは感覚的に、彼らはこの男に関してその言葉は使わないと思う。「へえ」と言って話題を変え、裏で陰気な言葉を吐き散らかす。陰湿さにおいてはどちらの人間も似たり寄ったりだ。“残念なハーフ”という日本語が頭にうかぶ、最近覚えた言葉だ。金髪碧眼、麗しい白人の血を持ちながら、醜い容姿を持つハーフの日本人。
「ぼくは“残念じゃないハーフ”なんですよ!」
 これを初めて会う日本人の前で自己紹介として言うと、かなりの確率で笑う。ポリティカル・コレクトネスを順守する、比較的進歩的な若者に言う時も、彼らは思わず笑ってしまい、後には居心地悪げな表情を浮かべる。これで笑わなかったのはある女性1人だけだ。
 突然、濡れるという感覚に包まれた。我に返ると、男がペットボトルの内容物を自分にブチ撒けていた。そして脱兎のごとく逃走していく。その液体は酸などの危険物ではなく、甘い何かだった。ただの砂糖水としかマルクスには思えない。シャツは赤子のナプキンさながら汚れていた。触るとすこぶるベトつく。

 家に帰り、シャワーを浴びようと服を脱ぎ捨てる。浴室に入りふと後ろをむくと、ドアの端を蜘蛛が歩いていることに気づく。ゴキブリや蚊といった虫は見つけ次第、即刻殺害した。だが蜘蛛はこういった害虫を食べてくれると聞いたことがあり、見かけても無視する。実際にそれで害虫が減ったという感触はない。今、そのままシャワーを浴びるとすれば、その水流に巻きこまれ蜘蛛は息絶えるだろうとマルクスは思う。蜘蛛に指を近づけ、ドアの裏側に行かせようとする。蜘蛛は目前の巨大物体に対して、驚くほどの呑気さで壁を這っていく。この真白い、ツルツルのドアをよく何事もなく進めるものだとマルクスは怪訝に思う。彼は虫の生態について知らなすぎたし、とはいえ今以上に知る気もない。
 蜘蛛を何とか追いだそうとする苦心する最中、マルクスはあることに気づく。足を動かしているのは当然として、蜘蛛は常に口も動かしているのだ。先の曲がった、しなやかなピンセットのような口をウネウネと蠢かせる。
 何か食べたがってるのか? 餓えてるのか?
 そう考えるうち、ふと自分も端から見れば、このようにひっきりなしに、神経質に唇を動かしているのかもしれないという不安に襲われる。だが思い直す。何にしろ、今は外ではマスクをしているのだから関係ないと。
 シャワーを浴び、激熱の湯によって厭な気分を全て洗い流さんとする。だが否応なしにあの男について考えた。液体をかけられた後、自分でも驚くほど平然と家へ帰る途中にニュースを検索し、ある記事を見つけた。最近、東京近郊で通り魔事件が発生している。犯人はきまって何らかの液体を被害者にブチ撒けて逃走する。そしてその被害者は日本在住の外国人男性であり、更に白人であると。あの走る速度を鑑みれば、彼はこの犯行に手慣れており、まず間違いなくこの記事に現れている犯人だろう。だが自分に捕まえられた時の驚愕や動揺を見るなら、今日初めて被害者に追いつかれた、そして復讐されたのではないかとマルクスには思われる。しかし1つ、脳髄にこびりつく違和感がある。彼は白人男性を狙い続け、ゆえにマルクスを標的にしたのだろう。だが彼自身が白人、もしくは白人のハーフであるのだ。この同族嫌悪的な犯行を滑らかに理解することができない。もしくは理解することを拒否しているか、マルクスは第2の可能性を冷静に見据える。
 今日の出来事に関して曖昧な点が多い。だが曖昧な点が多いことを確信し、頭のなかで確信を整理していくことで、気持ちはすこし晴れる。皮膚を疾走する熱湯もまたそれを手助けしてくれた。蛇口を閉めて、全身に吸いついた湯の滴を、ずぶ濡れの犬が毛並みを震わせる要領で、振り払っていく。ふと下を見ると、水の流れのなかに黒い塊を発見した。しゃがんで目を凝らすと、それがあの蜘蛛の死骸だと分かる。瞬間的に激烈な怒りを覚えた。そして全てを呑みこむ雪崩のごとき罪悪感を味わわされる。
「今度は“人間”として生まれた原罪かって訳だな」
 そう意識しながら日本語で言った。“って訳だな”という日本語の語尾をより強調して、吐き捨てた。蛇口を再びひねり、噴射される水流によって、蜘蛛の死骸を排水溝へと処理する。

 マルクスは久しぶりに夢を見た。そこは東京でなくウィーンだと皮膚感覚で理解する。ある小さな少年がいて、彼はそれが自分であると解釈する。少年は濃密な闇に包まれた何者かに連れられ、寂れた灰色の街並みを歩いていく。他に人は誰もいない、少年の足つきは覚束ない。先導する闇は黒かった、だが複雑な黒だ、パレットの上で持っている絵の具の色を全て混ぜあわせなければできない、錯綜した、どこまでも汚ならしい黒だ。
 歩く最中に突然、巨大な影によって身体を覆い尽くされる。少年が頭上を仰ぐとそこに在ったのは超巨大建築だった、連合軍による空爆を阻止するためにナチスが作りあげた高射砲台。それは今や亀頭部分を切り落とされたペニスであり、首輪によって絞め殺されたペニスであった。だが死してなお朽ちることなく、永遠のごとき存在感を以て、ここに聳える。皮膚の細胞がピリピリと火花のように炸裂する、これが少年の抱く感覚か、自分が抱く感覚なのかハッキリしない。マルクスは、そして高射砲台の上にまた1つの小さな影を目撃する。少年とともに、細長い影を思わず見つめてしまう。あれは何か、あれは何者か。いくら目を凝らせども、正体はハッキリしない。だが次の瞬間に、今まで見えなかった少年の顔こそがマルクスの瞳に明らかになる。東アジア人と白人の狭間、その気味悪いまでにまろやかな顔立ち、いくら幼くとも、あの男の顔だと分からない訳もなかった。そして高射砲台の男は、マルクスに手を振る。少年にではない。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。