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コロナウイルス連作短編その125「白人がきらい」

 踏楷アイリスと勝田仰木は最近、最寄り駅の近くにできたフィッシュ&チップス店へと赴く。テラス席に座った彼らのもとへ、茶髪の若い店員がやってくる。明らかに『鬼滅の刃』に便乗したような市松模様の布マスクは、しかし彼女のエメラルド色の瞳によく似合う。日本語で挨拶をしながらも、アイリスの顔を確認すると英語で気さくに話しかけてきた。訛りで英国人と分かる。
「いや、私、英語は分からん」
 英語ならこちらに、とばかり彼女は病的に細い長い指で仰木の方を指差す。彼は面倒臭さを覚えながら英語で喋ろうとするが、店員は謝罪の言葉を言いながら、流暢な日本語に切り換える。
「彼女の母親、英国人なんですが、まあ色々あって、英語が嫌いになったっていう話ですよ」
「私の半生をそんな一言で表現しようとすんな」
「ああ、そうなのかですね、申し訳ありませんでした……でも1つ聞きたいんですけど」
「なに?」
「あなた見たことあります、多分テレビ、有名人?」
 マスク越しにもアイリスがにやつくのが仰木には伺えた。
「まあ、何というか、モデルとしてはちょっと活躍してるかな。この前はPrimaveraとかに出てた」
「ああ、友達が読んだ! だから服装もカッコがよい!」
 にわかに盛りあがっていく雰囲気を、仰木は冷めた視線で見据える。
 数分後、2人のテーブルにフィッシュ&チップスとビールが運ばれてくる。
「素朴な疑問いいすか」
 魚にレモン汁をブチ撒けながら、アイリスが言う。
「ぶっちゃけ何でこの町にこんなたくさんガイジンが住んでるか分からん、あの子みたいなね」
 魚を一気に頬張り、心底不味そうな表情をする。
「工場とマンションが土地をめぐって醜い争いを繰り広げてる町、所々に“マンション建設絶対反対”なんて看板が張ってある町、ケツの穴の小さい地主が土地を占有して開発が全く進まない町、駅前に歯医者が5軒もあんのにマックも吉牛もない町」
「だからこそ、穴場なんじゃないのか。家賃安いとか静かとか」
「家賃は他にも安いとこあるって見たし、静かったってどこにいてもこの駅の地下鉄の音聞こえてくんだけど」
「それに東京に近い、電車でたった20分。俺らの大学まで35分」
「まあね」
 アイリスは指についた滓を、酢ごと嘗めとる。その指は病的に長く細い。
「だけどそれにしても色々なガイジンが多すぎ。中国人とか、インド人とか、あと前は黒人も見た、一体何してんのかね。そして我が愛しき白人様もたくさん!」
 アイリスは店内を見る。目があって店員が微笑み、アイリスも手を振る。振り返った彼女の瞳はぞっとするほどのマリンブルーだ。
「白人なんてきらい」
 仰木はいつであっても、アイリスが堂々と誇示する矛盾に驚かされる。英国人の母と日本人の父から生まれたミックス、だが外見は完全に白人としてパスできるものと仰木には思えるし、実際そう扱われる場面しか見たことがない。果てしない海溝を思わす碧眼、黙示録前最後の夕陽さながら真っ赤な髪、地雷源の荒野さながら無数にひろがるそばかす。日本人が思う“英国人的”な(もしくは“アイルランド的な”、彼女の母親が実際そうであるか仰木は知らない)身体部位を、彼女は所有していた。そしてアイリス自身これを利用して日本のファッション誌でモデルとして活動し、人気を博している。
 それでいて彼女は白人を嫌う、唾棄する。白人は傲慢で無知、常に他の人種に対して優越感を隠さず、公然と差別を行うクズ野郎ども。アイリスは特に自身の大学にやってくる留学生への憎悪を、半ばお約束のように仰木に吐露する。白人の文化的帝国主義に反旗を翻す体を演出するため、体よく日本を利用する態度が許せない。ポリティカル・コレクトネスを推し進めながら、実際には脇役としてしかアジア系やラテン系、もしくはLGBTQの俳優を起用しないハリウッドの2枚舌のクズと、その偽善ぶりは同じだとアイリスはブチ撒ける。
 その憎悪という意味で、仰木が鮮明に覚えていることが1つある。彼女がモデルとして仕事をするPrimaveraという雑誌が一度Twitterで炎上した。掲載モデルに白人しかいない、日本に典型な美しさの白人至上主義の発露と非難されたのだ。他のモデルたちが発言を控えるなかで、猛烈な抗議を行ったのがアイリスだった。子供時代に父と撮った写真の数々をTwitterにアップしながら彼女は言う。母が英国人であり白人とは認めながら、ではそれで自身が日本人の父の血を受け継ぐアジア人であることは否定されるのか、あなたがたはルッキズムだ白人至上主義だと仰るが、人を見掛けで判断しているのはそちら側ではないのか? この事件を機に、アイリスは“ハーフ”の日本人のオピニオン・リーダーとして担ぎあげられることとなる。
 だがアイリスは間違いなく自身の白人的な容姿を利用して、その恩恵に浴していると仰木には思えた。モデルとして給料つきの名声を獲得し、“美の白人至上主義”に洗脳された日本人から注目を浴び、思うがままに承認欲求を満たす。彼にとっては、何よりこの踏楷アイリスという人間こそが、日本における白人の既得権益に乗っかっているとしか仰木には思えない。今の服装もそうだ。彼女が現在着ている紺色のセーターはガーンジーセーターと呼称されるもので、耐久性と保温性に優れている。これは英国王室の属領であるガーンジー島、ここに住まう漁師たちが着ていた服が元となっている。アイリスはこの武骨な防寒着の下に、薄いピンク色のシャツを潜ませることで程よいフェミニンさを演出し、全体の印象をまろやかで洒落たものとしている。その上に着用するギャバジン素材のトレンチコートも英国がルーツだ。英国人のデザイナーであるトーマス・バーバリーは、第1次世界大戦時、イギリス軍兵士が着るための防水型軍用コートの開発を行う。彼は以前に開発した試作品タイロッケンを改良し、トレンチコートが生まれた。彼がユダヤ人の巡礼服をヒントに作った強撚性の生地がギャバジンだ。そしてこれを踏み台として彼の生み出したブランドであるバーバリーは世界の覇者となる。アイリスは王者の余裕ある風格を以て、これらを着こなす。テーマは“ボーイフレンドよりカッコよく、ガールフレンドより甘やかに”だ。仰木は虫酸が走る。それでいて勃起を抑えられない。恋人の顔がちらつきながら、亀頭の先から透明の粘液が這いずり出るのを感じる。
「この前、ポルトガルの小説読んだんだよ」
 アイリスがビールを飲みながら言った。
「高尚を気取りながらさ、実際は精神疾患をネタにしてクソつまんない思考実験をかます身勝手な作品だった。精神疾患はコイツにとってただのネタなんだなって。こう言うと作者自身が、自分も精神疾患を患ってるって弁明してくるかもだけど、それなら、じゃあアンタは仲間をネタとして搾取して何が楽しんだ?って言っちゃうよね。ヨーロッパでも特にポルトガル人の怠惰さたるや救えない。映画にしろ文学にしろ建築にしろゴミ糞だらけ」
 アイリスはロバの姿を象ったドンキーバッグから1冊の本を取り出す。灰色の殺風景な表紙に、ポルトガル語らしき言葉と、ボールペンで書いたような刺々の山が描かれている。店員がいないのを見計らうと、これを地面において黒いローファーを纏った右足で踏みにじり始める。加速度的にボロボロと化していく。
「それ、日本語版じゃないよな」
「うん、ポルトガル語版」
「わざわざ買ったのか、何で日本語版を踏まないんだ?」
「この怠惰で無知なポルトガルの馬鹿の魂ってものを、直接踏みつけてやりたいからだよ。あと日本語版の翻訳者に罪はないしね、ははは」
 踏みにじるのが一段落つくと、再びフィッシュ&チップスを食べだすが、何度も何度もまずいと呟いた。お前、白人嫌いの癖にフィッシュ&チップス喰いまくって、身なりも完全に英国風で一体何なんだ? 白人も英国も嫌いじゃないのか? そう言ってやりたかったが、返ってくる言葉は簡単に予想できる。
 アタシの“きらい”っていうのは単純な憎悪なんかじゃない、それは漢字の“嫌い”で示す類いのもの。アタシの“きらい”はひらがなで、もっとアンビバレントな感情なんだよ。トランプと共和党を支持する黒人憎悪の黒人みたいなもん、いやそういう同族嫌悪よりもさらに、さらに複雑なシロモノなんだよ。説明しても仰木には分かんないだろうね、だって白人の血なんか、アンタに入ってないから。
 こういった類のことを、アイリスはいとも容易く、すこぶる軽薄に喋ってみせるはずだ。自身のアイデンティティというものに対して、いつであっても彼女は無思慮に振る舞う。それに怒りが収まることがない。
 フィッシュ&チップスを食べた後、仰木とアイリスは近くの公園に行き、その公衆トイレでセックスをする。既に粘液まみれのペニスを、アイリスは熱心に舐めていく。外から何かをがなりたてる声が聞こえる。選挙カーだった。
「選挙行く?」
 アイリスがそう尋ねる。
「行くよ。“未来のために選挙に行け!”とかうざったらしいリベラル連中は死んでほしいけど、まあ、行くよ」
「ふうん」
 アイリスはデニムズボンを脱ぎ、臀部を仰木に対して突きだす。コンドームを着けた後、アイリスのヴァギナに仰木はペニスを挿入する。
「アタシも行くかな」
 微かに喘ぐ最中にアイリスは言う。
「SNSとかでさ、そういう選挙に行く自分を演出する方が、選挙に行かない自分を演出するよりも利があるからね、社会的インセンティブって訳だよ。ま、どこに入れるかは言わないけど。みんな、アタシが立憲民主党やら共産党やらに入れると思ってんのかね、ははは」
 その笑い方に苛ついたので、仰木は便器の底に溜まる汚水にアイリスの頭をブチこむ。燃えるような赤毛を鷲掴みにし、汚水に溺れさせる。その肉体が痙攣を始めた時に、顔を引きあげた。惨めに毛先や顔から滴を垂らしながら、そのそばかすは不健康な紫に染めあげられている。
「もっと! もっとやって!」
 彼女は鼻水を粘らせながら、クリトリスを自身で刺激する。ヴァギナがペニスをよりキツく締めあげるのを感じた。この種の反応は幻覚なのか現実なのか、いつであっても困惑する。ただただ苛ついた。仰木はアイリスをブチ殺してやりたかった。だがその勇気はない故に、ただ便器の汚水で数十秒間溺れさせるのみに終る。この殺意の中途半端な発露こそがマゾヒストと呼ばれる人種であるアイリスには本望だった。そして殺意は常に、めぐりめぐって自殺願望へと凡庸な形で辿りつく。
 セックスを終え、その痕跡を消した後、2人はトイレから出ていく。横には小さな東屋があったが、ベンチに先のバーの店員が座っていた。タブレットを見ていた彼女がふと本から視線をあげた瞬間、2人はその視界に捉えられた。仰木は彼女の顔に、様々な想像や感情が去来するのを目にした。そして凄まじい勢いで瞬きを続けたかと思うと「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ!」と言いながら、立ってその場を去る。完全に彼女の気配が消えた時、アイリスが爆笑を始める。
「ナンカ、ニホンゴ、カタコトミタイニナッテタネ!」
 わざとらしくそう言いながら、仰木の臀部をズボン越しにぬめぬめと愛撫する。
 仰木は帰宅する。部屋に泊まっていた恋人のロベルト・アリアガに迎えられ、頬にキスをしあう。
「遅かったね、フィッシュ&チップス旨かった?」
「まあね。でもアイリスがまずいまずい言いまくってさ、萎えた」
「彼女、イギリス人だから、フィッシュ&チップスにはウルサイってことかな」
 2人はスペイン語で喋りながら、一緒に座布団へ腰を据える。ロベルトは仰木の首へ、小鳥が花の蜜を吸うような軽やかなキスを浴びせていく。気持ちがよかった。だが頭のなかで、アイリスの声が響く。
 アンタが愛してるのも、白人じゃねえかよ。
 仰木は心のなかで反論する。
 違う、ロベルトは白人じゃない、白人じゃあない。メキシコ人だ。ヒスパニック、ラテン系、ラティンクス。確かに肌は白いし、髪だって金髪だ。でも白人じゃない。むしろアメリカの白人たちに迫害されてきた側の人間だろ、トランプに口汚く罵倒されて、国境の壁に押し潰されて、そうして苦渋を舐めてきたヒスパニックだ。ロベルトは白人じゃない。
 仰木はロベルトの首筋を撫でながら、自身の唇を彼の唇に重ねる。
 俺が愛しているのは白人じゃない。


私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。