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愛ある言葉の力 おばあちゃんへの手紙

おばあちゃん元気ですか

おばあちゃんが亡くなってもう13年?もっと経っているでしょうか?

仏壇の上に飾られている写真のおばあちゃんは、とても若々しく明るくにこやかで当時のままです。

よくおばあちゃんが言っていた言葉を思い出して、私は噛み締めています。

「家は女」

おばあちゃんは何度も独り言のようにそう言っていたね

「家は女だよ」

奥さんがニコニコ笑って、なごやかにのんびりした雰囲気を作って家の中にいる。それで家庭円満になるんだよ、と。

祖母「妻が、母親が、女が、常に明るく振舞っている家は家族円満に繁栄していくのよ。」

大正生まれの祖母はよくそう口にしながら大家族の家の中を切り盛りしていましたが、自分自身に言い聞かせていたのかもしれません。

祖母「例え、多少腹が立っても、怒鳴らず、怒らず、上手に上手に子供をあやしながら育てていくのが女の役目だよ、家は女。女こそが家の要なんだよ。」

お母さんが明るくしていれば、子供も明るい。
お母さんが悲しそうにしていれば、子供も悲しい気持ちになる。
お母さんが楽しそうなら、子どもは安心する。
お母さんがイライラすれば、子供は不安になる。
お母さんが安定していれば子供の心はやすらぎ慰められ癒やされ満ち足りる。

祖母「外で多少何かがあっても家でお母さんが明るくニコニコ優しくしていれば、子供は心救われる。また頑張ろうとたくさん食べる。けろっとしてよく眠る。そしてまた元気に出かけて行くんだよ。」と。

祖母「旦那さんが帰ってきた時は心地よく笑顔で迎える。奥さんがニコニコ幸せそうに安定した心で旦那様を家に迎え入れる。【お帰りなさい!お疲れ様】と大きな声でお父さんを迎える姿を子供が見ている。子供も嬉しそうにニコニコして大きな声で【おかえりなさい】とお父さんに駆け寄る。お父さんだって子供だって、明るいお母さんが大好き。ニコニコ優しいお母さんが大好き。家族みんな、あったかい家が大好き。そんな家庭を作るのは女だよ。」

「家は女」

ニコニコ笑っているお母さんを家の者が見て安心する。
楽しそうに話すお母さんの声を聞いてほっとする、
女親の機嫌が良ければなんとなく子供達は嬉しくなる、そして家は和やかになり、家族の気持ちが軽くなる、明るくなる、楽しくなる、家族みんなが家はいいなぁと思う。「いいなー」と思う家を作るのは女の役目。

大正生まれのおばあちゃんのそれは当たり前の常識でもありました。

女が安心して子供を育てられるのは、もちろん旦那さんがしっかりと経済的にも社会的にも奥さんを支えているという後ろ盾があってこそなのだけれど、

祖母「結婚して何年か経つと、それが当たり前に思えてしまい、女は口が悪くなる。わがままを言い出す。言わなくていいことを言い出す、考えなくていいことを考えて心配し始める。
あれをして、これをして、あれをしてくれない、これもしてくれない、そんな些細な愚痴や小言を言い出す。
足りない
うるさい
忙しい
私だけが損な役回りだ、
などと言い出す。
そんなふうに女が愚痴不満不平怒りを口に出し始めたら、家はダメになっていくんだよ、だって家の要は女だからね」

祖母が何度かそんなふうに台所で料理しながら言っていたのを私はとてもよく覚えています。

祖母がそんな風に針仕事をしながら自分自身に言い聞かせるようにつぶやいていたの私は何度も見たことがあります。

祖母が何度もそんな風に、泣いて相談を持ちかけてくる親戚の女性達に言い聞かせては、元気に送り出していたのを見たことがあります。

昭和の40年代ぐらいの頃だったでしょうか?

私自身は直接そう言われたことはないけれど、私が娘を嫁に出す日

大切な一人娘に最初に伝えたのはその祖母の教えでした。

おばあちゃん

あのね
あの小さかった私の一人娘のさやかがね、成長して恋をして、嫁いでからもうすぐ一年になります。

「家は女だから。だからさやかはいつもニコニコ笑って、抱き手でいるの。家は女だから。私はいつも明るく優しく心がけるの!そうだよねママ」

さやかがある日、私にそう言いました。

私「そうね、家は女だね、さやかの作る家は家庭円満でとても素敵な家になっていくね」

昨夜、一歳の子供が高熱を出したとハラハラしながら病院に走り薬を飲ませ、看病をしていた娘は、まだ母親1年生。
努めて明るくしていることは見え見えではありました。

おばあちゃん

だからね、そんな娘の様子は、つい昨日の私自身を見ているようでもあるのです。

おばあちゃん

おばあちゃんが私に言って聞かせてくれていたセリフを知らず知らずに、今度は、私が娘に言い聞かせています。

私「お母さんが不安そうに泣いたり怒ったりしていると、子どもは熱を出したり、お腹が痛くなったりするんだよ、大丈夫、大丈夫、ニコニコ笑って明るくして!お母さんなんだから。病院の先生に薬も貰って大丈夫だと言われてきたんだから。お母さんは泣かない。ニコニコ笑って歌を歌って、子供が楽しくなるように優しくしてあげたらいいよ」

30年前か40年前、そんなふうにおばあちゃんは言っていたなぁと思いながら、その同じセリフを私は今日娘に伝えました。

順繰り順繰り継承されて伝わっていくのだと思います。

おばあちゃんが亡くなってから何年経つのでしょう?

おばあちゃん

そっちは美しいところですか?
極楽浄土というところはおばあちゃんの好きな美しい花がたくさん咲いていると聞いたことがあります。美しい蓮華の花の上で金や銀に囲まれて幸せに暮らしていけるところだと経典で読んだことがあります。
おばあちゃんのいるところがもし荘厳なお浄土だとすれば

おばあちゃん

あのね

私の今いる所は少しだけ光が差している寂光浄土のようなところかもしれません。

そこそこいいところです。

私はまだ現実世界にやり残していることがたくさんあるのでもう少し生きていかなければなりません、このぐらいのそこそこの光でも十分幸せです。

おばあちゃん

おじいちゃんもそっちにいるでしょ?よろしくお伝えください。
仲良くのんびり楽しんで下界を見下ろしていてください。

この家の女はなかなか良い笑顔でニコニコと和やかに家庭円満に努めております。

極楽浄土は明るくて和やかで美しくて素晴らしいところだとご僧侶に聞きいたことがあります。青い蓮華の花が美しく咲いていますか?赤い蓮華の花が光り輝くように開いていますか?黄色い蓮華の花の上でおばあちゃんはくつろいでいるのでしょうか?

花を育てるのが大好きだったおばあちゃんの残していったさつきやもみぢや蓮華の花や桔梗やチューリップすみれや水仙の花は、私が毎日水をやり肥料をやり、声をかけて大事に育てておりますゆえ今日もそれなりに美しく咲いております。

あと30年か40年先にやがて私もそちらへ参りますが、もう少しの間お待ちくださいね。
まだクミコが成し遂げなければならないことはたくさん残っておりますゆえ

それでは

おばあちゃん、またね

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