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私は模型をつくったことがありません。


私が皆さんと全く違うとおもえるトコロのお話。
皆さんは小さいときに、もしかしたら今も、模型つくりをやりましたよね?
私は未経験なのです。

親に買ってくれ~と言ったこともありません。
(欲しいと言えない忍者。 https://note.com/greenninja/n/n7d970b6541d5 こんな訳です。)

子供の頃に私が持っていたものは、オモチャじゃなくて、
大工道具、トンカチ、鋸、ネジ回し、ナイフ、等など。

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木切れを切って削ってなにかつくる。
お風呂の火で釘を赤く焼いて、トンカチで叩いて刃物つくる。
針金曲げてワケワカラン造作!?する。

学校から帰ってきたら連日連夜こんなでした。

なんでソンなだったのだろうか?
自分ではワカリマセン。


もし、遺伝?的なにかならば、

父親側は:
実家は数百年続いた宮大工でした~ただいま廃業してます。
父親は、鐵道の電気信号技師でした。
1930年頃のコトなので、ハイテク最先端だったようです。

そして、狭い日本に住み飽きて、中国上海に行って、華中鉄道勤務。

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始めた事は、
上海からイスタンブールまでのユーラシア大陸南回り鐵道敷設。
この鐵道は、イスタンブールから北へ行く路線はモスクワまで、
そしてシベリア鐵道経由で満州へ、樺太~海底トンネル~北海道~青函トンネル。
関門トンネル~九州~朝鮮半島へ海底トンネル~~
すなわち 日本~ユーラシア大陸周回鐵道計画 だったそうです。

オマケ、
イスタンブールからは、あのオリエント急行で花の都パリまで一直線。

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父親は日本へ引き揚げた後も、この夢から逃れられなかったようでした。
まあ、いまでいうなら ビョーキ です。

そして、
息子にオモチャや絵本与えずに、
湯浅商会の機械カタログや、
世界大百科事典を与えたのです。
迷惑の極み。

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あ、父親の ❝他の方々からみたら負の部分❞ は、まったく全部、お見事に受け継いております。
だからいま私は、外国・フィリピンにいるのです。


母親側は:

栃木県今市の商家の次女、女学校行った、
時代劇で言う女一通りのコトはできる、
教員免許とった、看護婦免許とった。
陸軍衛戍病院勤務。

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お医者さんと不倫❢ 昭和19年。
親戚の家に預けられた。

戦災で奥さんを亡くした父親と結婚した。
二人とも行き場がなかったから。
私ができた。ヤレヤレ~。


こんな二人が上手く一緒に暮らせるはずはない❢
二人に挟まれた私は、
鋸ガゴガゴ、トンカチとんとん、やってるほかはない。
案の定離婚。
私は 閉じこもり、登校拒否。

そんな、コンナで、なんだかモノつくり好きな忍者ができたようです。

だから自分で作る、そこで模型は嫌だ、ホンモノだ。
原則、真似はしません。応用はしますが ❢

すると、過去に実例ないモノばっかり頼まれたのです。

離婚しても、浮気しても、なにしても良いから、
行き場ない子どもをつくらないように。
おねがいいたします。

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挙句の果てに この二年半はこんなコトやってます。
フィリピン・亜熱帯をキレイにする下水・汚水浄化設備。
https://note.com/greenninja/m/m1c99862bb1a6
これは止めません。
やり続けなければなりません。
御支援をお願いいたします。

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