エモいと言えば済むのだけれど。
エモい、という言葉は便利だ。
好きな音楽を聴いた時、
季節の変わり目の香りを感じる時、
ふとした瞬間に心を揺さぶられる。
あ、エモいな、と感じる瞬間がある。
ただ、使い勝手がいい反面、
自分でも自分の感覚がわからなくなることがある。
何に心が動いたのか、
何がこの浮遊感をもたらしたのか。
エモいという言葉で済ませてしまうと、
自分の中の刹那的な何かが、
単純な3文字の後ろに隠れてしまうようで。
そしてシャボン玉が割れるように消えてしまうようで。
そんなわけでコロナ禍になって以降、
心が動いた瞬間をフィルム風カメラに収め、
その時の感覚を
短いステートメントで書き残してきた。
その中からいくつかピックアップしてみたい。
これは、コロナ禍が始まったばかりの春、
強制的にリモート勤務になったので
近所を散歩していた時に撮影したもの。
気づかないうちに桜は散ってしまっていた。
ソーシャルディスタンスだけでなく、
季節や自然ともディスタンスを感じてしまった。
海に面した、旅先の民家の間から見た風景。
海から吹く風は、家と家の隙間を通って
フェンスに干された洗濯物を揺らしていた。
自分が観光で訪れたこの場所は、
誰かの日常なんだということを知った。
ちなみに右端の黄色い部分は感光だ。
5月の晴れた日の空。
カメラのアナログフィルタを通せば、
澄み渡った空にも質感が出る。
レイリー散乱で青々とした空は、
まるで手触りのあるテクスチャのようで、
穏やかな午後の時間が流れていた。
雨の降る夜の道に、街灯が反射する。
ペトリコールとは、雨の日にアスファルトから
漂う匂いのことだ。
反射する街灯は、地面の裏のパラレルワールドに
逆さに立っているように見えて、
裏側のもう1つの世界線を想像した。
なぜ人は川辺に座るのだろうか。
なぜ流れる川を見つめるのだろうか。
きっと、僕らは川の流れに身を任せるように
波と共に流れゆく時間を愛でているんだと思う。
ひとりで考えごとをする時間、
誰かと楽しくおしゃべりする時間。
それはゆっくりと、波とともに流れゆく。
2021年末の東京の風景。
マンションから漏れる光の1つ1つに、
誰かの暮らしがある。
人が息づく気配がある。
それぞれの日常を過ごしながら、
今日も東京は暮れていくし、
2021年も暮れていく、そんな風景。
6枚の風景と言葉を紹介させていただいた。
写真を見て、皆さんは何を感じるだろうか?
エモいと思った瞬間を切り取って、
言葉で表現すること。
それは、感覚と言葉を研ぎ澄ますこと。
自分と世界の関わり方をとらえること。
そんな体験って、
すごくエモくないですか?
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