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戦略コンサルから創業期スタートアップへの転職。大胆な決断の裏側を公開

「GXから企業と社会を前進させる」をミッションに掲げる株式会社グリーングロース(以下、グリーングロース)の入社を決めた福永へのインタビュー記事です。
東京大学を卒業後、戦略系コンサルティングファームで活躍していた6年目に、経営の道を目指して、創業3期目の再生可能エネルギー領域のスタートアップに入社を決断しました。

再エネ領域やスタートアップへの転職を考えている方は、必見です!

目次
(1)東京大学から戦略コンサルへ。前職で取り組んでいたこと
(2)キャリアを考え直したきっかけ
(3)グリーングロースとの出会い
(4)入社決断の決め手
(5)入社一週間が経過。現在の率直な感想
(6)決意表明

株式会社グリーングロース 執行役員 福永 晋朔
1995年生まれ、福岡県北九州市出身。東京大学経済学部卒業。
戦略系コンサルティングファームのコーポレイトディレクション(CDI)に約5年間在籍し、企業/事業戦略策定・企業再生・経営管理体制強化・事業デューデリジェンス等の数十のプロジェクトに従事。
中堅・中小企業における、トップのみならずミドル層を巻き込む全社改革支援の経験を数多く持つ。
2024年8月より、株式会社グリーングロースに参画。
趣味はセーリング・サイクリング・スキー。

ー東京大学から前職のコンサルティングファームへ入社した経緯や、前職で取り組まれていたお仕事について教えてください。

勉強と部活に打ち込む高校時代とは異なり、大学時代には学問や旅行、アルバイトなど様々な経験をしました。その中で少しずつ、「ビジネスの力で社会を良くしたい」という思いを抱き始めていました。また、自分なりに目的が腹落ちしないと物事を前に進められない点や、対話・支援によって人がより良い状態になっていくことに喜びを感じる点が、私の気質であることに気づきました。
就職活動をする中で、戦略コンサルティングがそのような私の志向を満たす仕事ではないかと思うに至りました。複数のファームを受けましたが、結果として、人と顧客企業に対して最も誠実に向き合っていると感じたコーポレイトディレクション(CDI)というファームへの入社を決めました。

入社後は約5年間、経営層の皆さまに対して、会社変革に向けた意思決定と実行の支援をしていました。テーマは、企業/事業戦略策定、中期経営計画策定、組織再構築、営業改革、投資判断のための事業デューデリジェンスなど、現状分析と「あるべき姿」を考える仕事が中心でした。
クライアントの業種は、小売・食品・通販・化学メーカー・電力・施工会社など様々でした。企業規模についても、売上高数千億円の大企業もあれば、数十億~数百億円の中堅企業へのご支援もあり、戦略コンサルタントにしては比較的幅が広かった方です。
入社前に見立てた通り、ある程度自分の志向に合った仕事だったと思います。

ー前職でもご活躍されていたようですが、ご自身のキャリアについてどのように考えていたのですか?

入社して3年間は挫折を味わいつつも、仕事それ自体と、自分のできることが増えていく感覚が何だかんだ楽しく、あまり真剣に将来のことを考えていませんでした。しかし、約2年間におよぶ通販事業を営む上場企業へのご支援を転機に、コンサルタントの道を引き続き歩むべきなのか、と自問するようになりました

このプロジェクトでは、戦略・中計の策定と、その後の、オペレーションまで含めたビジネスモデル変革、事業ポートフォリオ再編、企業再生等がテーマとなりました。各部署が個別最適ではなく企業全体にとっての最適な形で変革が進むよう、戦略の絵と計画を持って、社内外各所を動き回っていました。
コンサルタントとして顧客企業の変革に少しでも貢献できたであろうことは嬉しかった一方、限界も感じました。第三者たるコンサルタントにしか果たせない役割があるのと同様、経営者にしか果たせない役割があると直観しました
会社と経営者とコンサルタントの関係は、「車」と「運転手」と「助手席のナビゲーター」の関係に近いように感じられました。皆、見えている景色は同じかもしれないけれども、担っている役割が全く違う、と。助手席の人の立場での仕事を極めるのではなく、「運転手」としてハンドルを握っていきたいと少しずつ思うようになりました

ー経営者への転身を、前職の経験や趣味のセーリングを通じて考え始めていたのですね。そこからどのように、グリーングロースにつながってくるのでしょうか?

グリーングロースと私のつながりは、そのまま代表の河野と私のつながりに遡ります。代表の河野とは小学校時代からの幼馴染で、共に北九州から上京して交友がありました。様々な経験を通して自分の力を養いつつ、それを社会に対して還元していきたい、という志を共有していたためか、お互いによく壁打ち相手になっていました。その流れで、創業時からグリーングロースの話を河野から聞いていました。

創業当時には、まさか自分がグリーングロースに入社するとは思ってもいませんでした。二人とも友人関係がビジネスの関係に代わることを避けていたので、私が転職のお誘いを受けるようなことはありませんでした。

早稲田大学卒業式にて(2018年)
左:福永晋朔、右:代表・河野淳平

ーお二人は元々20年以上の付き合いがあったのですね。そこから、何がきっかけでグリーングロースへの転職を考えられたのですか。

ある日突然、彼から焼肉に誘われました。肉を食べ終わる頃に「うちに来ないか」と告げられました。とても驚いた一方、長い人生の中で彼には借りがあるし、こういう日のためにこれまで精進してきたはずなので、一旦考えてみることにしました。

この決断は、私自身の人生はもちろん、グリーングロースと河野の人生の行く末を左右する、非常に重たいものだと自覚がありました。 だからこそ私は、長い付き合いがある友人からの誘いではなく、「これまでほとんど接点がなかった経営者からお誘いを受けた」という前提を置いて考えました。

そして考えた末、グリーングロースへの入社を決めました。その理由のまず一つに、グリーングロースが取り組む領域に、私なりに共鳴した点があります。私自身の人生の使命として、日本社会の縮小を小さくすること、かつ縮小を前提に生活を豊かにすること、があります。エネルギーやその周辺領域での事業は、まさしくこの命題に応えうると改めて勉強する中で確信しました。自分の人生を使ってでも挑戦しがいがあると感じた、ということです。

決断のもう一つの理由は、河野と議論を重ねる中で、彼とならやっていけそうと信じられたことにあります
彼の商人としての姿勢と才覚は本当に素晴らしいと感じています。ヒト・モノ・カネのマネジメント、商売のタネへの嗅覚、覚悟、胆力、スピード感のどれをとっても、常人のレベルではありません。それでいて謙虚に・貪欲に努力し続けています。
またそのような彼と私は、うまく補完し合えるように思いました。私には彼のもつ才能がない一方、「人間」や「組織」に対する関心の強さや、「カオスを秩序にする力」で秀でているように思います。河野が「攻め」で私が「守り」の役割を果たしながらも二人三脚で前に進む、そのイメージがありありと湧きました。
そして何より、能力は違えど志が同じだと確信できたことが大きいです。我々の根底には、自らの力を自分のためでなく、世のために還元したいという想いがあります。

ー事業領域への関心と代表への共鳴が、参画の決め手だったんですね。おそらく周りからも様々な意見があったかと思いますが、入社決断の最後の決め手を教えてください。

決め手は、私と代表河野の双方にやりきる覚悟があった、ということに尽きると思います。
そもそも、元の友人関係の存在故に「ビジネスでは互いに巻き込まない」という暗黙の了解があったにもかかわらず、私を誘うこと自体が、河野にとってもかなりの覚悟があった証拠です。
また打診されて数週間後に、もともと私が自分の中で練っていた事業構想を彼に話した際、「仮にグリーングロースがうまくいかなくなって、会社を畳んだ時には、次は俺が晋朔のその事業を一緒にやるよ」と言われました。その時、私も彼を「友人」ではなく「社長」として信頼できそう、と身体で感じました。

ちなみに周囲からのネガティブな意見はほとんどなく、ありがたいことに、たくさんのエールをいただきました。それも結局、私自身がやりきる気概でいることが周囲に伝わっていたからだと思います
新卒の就活時は、社会的信用や待遇等も多少は気にしていましたが、今の私にはこれまでの経験のおかげで、自分の意志の強ささえあればどうにかできる自信がありました。

ー代表も福永さんも覚悟があるからこそ、決められたのですね。入社して一週間が経ちましたが、今の率直な感想を聞かせてください。

まず何より、ショックを受けています(笑)。前職との環境の違いは、想像していたものの、想像以上に違いすぎます。慣れない環境に適応している最中です。

この環境では、quick & dirtyをモットーに行動して前に進めることがとにかく求められます。状況の不確定性とスピード感が全く違います。
前職では、プロジェクト形式によって期間とテーマを絞って、最高水準の問いと見立てを短期間で出すことに集中していました。
一方、グリーングロースでは、プロジェクトのような綺麗な形で区切れる状況はほとんどありません。区切るには、あまりにも状況の変化が速すぎます。その分かりづらい現実において、行動し続けて前に進めることが最優先です。両者共にスピードが求められますが、「スピード」の意味するところが全く違う、という感覚です。

また、「商売の原風景」を見ることができて楽しいです。
他の社員がいるにせよ、代表の河野自身の人間関係で、社内外のヒト・モノ・カネの流れが9割方完結しているのです。
私はこれまで、ほとんどの場合が従業員数百人以上、どれだけ少なくとも数十人以上の企業しか見てこなかったので、大変新鮮に感じます。
ここに一当事者として立ち会い、共に未来を創れることが楽しみです。

さらに、代表の河野はもちろんのこと、他のメンバーや、業務委託、インターンの方まで、皆さん全員が人間的に前向きな人ばかりで、嬉しいですね。一人一人を尊敬することができます。働く身としてはこの上なく幸せなことです。

ーこれからも様々な壁が立ちはだかるかと思いますが、福永さんの今後の決意表明を改めてお聞かせください!

当面の間、私は、健全さを保ったうえで会社を最大限成長させるために、河野が「社長業」に集中できる環境づくり、に徹します。

「社長業」、つまり社長の本来あるべき役割とは、会社の未来を決めて語ること、会社の顔として振る舞うこと、ぐらいに収斂すると思っています。それ以外の仕事はなるべくしなくていいように、一日でも早く私が剝がしていきたいです。私が現時点でできない仕事であっても、私自身ができるようになるか、誰かに責任を移譲できる体制を築けば可能になります。

だとすると、私の仕事は、事業・組織・背骨をつくることになります。要するに、拾える球であれば何でも拾うつもりです。
一つは、事業づくり。足元の案件を一つでも多く前に進めたり、これまでの経験に基づき仕組み化したり、といったことですね。
一つは、組織づくり。河野や会社の内外にある知識・知恵を引き出し、言語化・型化して組織に浸透させることと、コーポレートの仕事全般ですね。
最後に、背骨づくり。理念や戦略・事業計画のアップデートや採用・育成、財務ですね。この部分は、目下二人三脚で取り組んでいます。

あれこれ綺麗な言葉を述べてきましたが、実際のところ、慣れない中でもがいてのたうち回っていますところです。
初めての挑戦で不安がないと言えば嘘になりますが、私自身が一度した決断を裏切らないよう、日々邁進していきます。

左:福永晋朔、右:代表・河野淳平

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