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カタルシスは最高の動機づけ要因

私はそこまで哲学や演劇に精通していないので間違った意味を捉えているかもしれませんが…
カタルシスという現象を、私はなるべく意識するようにしています。これはコーヒーに限った話ではなく、日常の様々なシーンで意識して感じるようにしています。

カタルシスについて

カタルシスという単語は「浄化」という意味をもちます。日頃から心のなかに鬱積しているものから開放されて心が浄化されることを意味します。もっぱら快感を感じる際に使用します。そこから派生して、日頃からでなくても苦しみから開放され快感を覚えることも「カタルシスを感じる」と表現することもあります。

コーヒーにおけるカタルシス

コーヒーの一般的な香味といえば苦味ですね。昨今のサードウェーブ系では苦味がなく酸味や甘味を楽しむコーヒーもありますが、市民権を得ているイメージとしては苦味であることに異論はないかと思います。
苦味とは、読んで字の如く「苦しい味」です。そのため本来人間は避けたくなる味のはずです。しかし、コーヒーの苦味は(鮮度が落ちた際の苦渋味は別ですが)コクと同時にキレも併せ持つことが多く、苦味がいつまでも続くことがありません。そのキレにより口内に広がったコクのある苦味が消え、その際にある種のカタルシスを体験できます。苦味が消える瞬間の開放感、上質な苦味系のコーヒーでは、本来嫌忌すべき苦味ですら快感の種にできます。

コーヒー以外でのカタルシス

苦しみからの開放という意味では、無知が知に変わった瞬間の快感もカタルシスといえそうです(他に教育学上での言葉が既存なら申し訳ございませんm(_ _)m)。小説一冊読み終わった後の読後感、食器の片付けを終わらせた爽快感、デスクトップ画面を整理したときも含めて、非常に快感だと思います。日常はカタルシスに満ちています。
ときには反対に作用することもあります。「おわったー!やったー!」となればカタルシスですが、「やっとおわった…しんど…」となればただの苦痛です。ここは前向きさや思考回路の個人差が出る部分ですが、どうせ結果が同じならば快感のほうが得ですし、カタルシスになればいいですよね。

カタルシスは最大の動機づけになる

冒頭でも書いた通り、私はカタルシスを日常から活用しています(この表現、合ってるのか…?)。コーヒーでカタルシスを感じたいならば、雑味やエグミがあると話になりません。また家事も達成感を感じたいため、早々に片付けなど取り組んでいます。ここまで言えばお分かりかもしれませんが、「カタルシスがあるようにする」行動は、どれも上質な生活に直結するといえます。むしろ、カタルシスがないことなんて、やるにも腰が重たいですし、やり終えても快感がないので、動機づけはとても弱いですよね?それよりは、カタルシスがあるように考え、何事にも取り組むほうが、気持ちのゆとりが大きくなると思います。

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