見出し画像

3/24 利休忌の供茶

人生七十 (じんせいしちじゅう)

力囲希咄 (りきいきとつ)

吾這寶剣 (わがこのほうけん)

祖佛共殺 (そぶつともにころす)

堤我得具足一太刀 
(ひっさぐる わがえぐそくのひとたち)

今此時天抛 
(いまこのときぞ てんになげうつ)

旧暦2月28日に千利休は亡くなった。
今で言えば3月下旬に当たるだろうか。

利休忌には、床に千利休の坐像の軸を掛け、
菜の花を供え、供茶をする。

☆供茶の手順

途中までは通常の薄茶の手順に則る。
持ち出したお茶碗を温めるお湯を入れ、茶筅通しを上下「コトリ」まで終わったらそのままの状態で両手で建水の上に上げる。

棚正面に向き直り、羽を両手で取って天目茶碗を持って点前正面にまわる。

4分目ほどのお湯で茶碗を温める。温まったら、お茶を入れる分のお湯を注ぐ。
*柄杓は少し高い位置から注ぎ入れる。

お茶をサラサラと入れる。
*天目茶碗の場合には、茶碗縁ではコツコツせずに、手前のお茶碗の中でコツコツする。柔らかくて脆い。

丸前の回しで、最後に左手を手前に引いて出す。
これを正客が取りに出て、床正面へ。

花を左に寄せて、丸前の回しで床に供える。
総礼。
以後、通常の薄茶同様。干菓子等はなし。

☆利休辞世の句

先に掲げたのは千利休辞世の句である。
初めて聞いた時には、意味がよく分からずともその意志と言葉が放つ力の強さは確かに響いてきた。

毎年この句を前にすると、千利休がどのような覚悟と想いで自らに刃を突き立てたのかを考え、そして胸の奥にヒュッと風が吹き込むような形容し難い思いにとらわれる。

利休を取り巻いた人間関係と俗世を満たす果てしない欲望。彼はそういった一切から、一太刀で自らを切り離して、命を空に投げ打った。

先生が呟いた。

「もし、利休さんがこのように亡くなることがなかったら、もしかしたらこの「お茶」は現在まで続かなかったかもしれないね」

自らの限りある命と引き換えに、後世に続く「道」に永遠の命を与えたのだろうか。

最期にその心を満たしたのが現世への諦念ではなく、静かなる湖面に石が落ちて水紋が波及していくように、投げ打った命が、どんな影響を及ぼすのかという挑戦や期待であったのではないかと、、思ってみる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?