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【詩】夜道にご注意。

帰り道。


歩きながら手を振るたび、
湿った空気がまとわりつく。

見上げると、正面突き当たりのカーブミラーが
白く曇っている。


いつものように曲がり角を左に曲がったら、
そこにはいつもと変わらない
家に続く道が待っているのだろうか。


誰もいない帰り道。

日は落ち、通りの家々からは食卓の匂いも最早してこない。


街灯の橙の光が、
じっとりとした水気を含んだ夜の空気に
ぼんやりと反響している。

昼の世界が気づけば終わって、
いつの間にか知らない夜の世界に迷い込んだのか。

いつもとは違う、夜の世界に。
2つ並んだ平行線の左にいたはずが、
いつの間にか右に移ったのか。
いや、平行線は無限にある。

このまま永遠に明けぬ闇夜に
閉じ込められたのか。


カーブミラーをもう1度見上げると、
曇った左側のミラーの中に白い光をみとめた。

だんだんと近づいてくるその光が
ミラーをいっぱいに満たした時、
目の前を真っ赤なオープンカーが走り去った。

この街に、そんな車に乗る人がいただろうか。
やはり私は知らない世界に。


来てしまったんだ。


車の走り去った方を見ると、
暗闇の中に光るグリッターのついたハイヒールを履き、ロンゴートに身を包んだ人が歩いてくる。

髪が顔にかかって表情はよく見えない。

私の手前、5歩くらいの距離を保って止まった。



キミ、何してるの。
ここは、キミの帰り道じゃないよ。



どこか聞き覚えのあるその声。
左手からまた車が近づいてきて、白いライトが
その人の顔を一瞬照らし出す。


暗闇の中で鏡を覗いたときに
何度も、何度も見据えた目だ。


嫌われないように。
浮かないように。
おとなしく。
すなおな気持ちは押し殺そう。
わがままなあなたは黙っていて。


失われた私が、
終わらない夜の底の深い深いところで
さまよっている。


待って!


踵を返して、立ち去ろうとするその人に
駆け寄ろうとしたとき。

クラクションの音が
じっとり重たい闇夜の空気を
切り裂くように鳴り響く。


「あぶないよ! 」


後ずさり、人を乗せたタクシーが
通り過ぎるのを見届けて
カーブミラーを見上げると、
先ほどまでの曇りはすっかりと消えていた。



あの時の私は、今の私を憎んでいるだろうか。


私が沈黙を強いた無数の感情は、意志たちは。


夜半に迷い込む 私のこころ。

キミの帰り道じゃないと、告げた私の声には
寂しさと、そして微かな期待が。


いつでもお前はこちら側になるのだよ。


沈黙を強いた無数の傷みが、絶望が。


両手を広げていつも私を待っている。

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