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ポンコツは逃げるべし

たまたま見つけた『いしかわゆき』さんの『ポンコツなわたしで、生きていく。』を飛ばし読みました。ポンコツという言い方が人に刺ささっているのか、多くの人が読んでいる本らしいので実体験を含め感想をここに。

ここでいうポンコツは社会不適合者と同じ意味で使われています。そんなポンコツは嫌いなことを避けて、得意なことをする。そうすれば技術も上がり、給料も上がるだろうという話だ。自分にとって快適で生きやすい方法を選びましょう、ということだ。

これをするには3つの方法がある、とこの本には書かれている。人、時間、場所だ。付き合う人(周りにいる人)を変える。時間の使い方を変える、場所を変える。この本について感想を書こうと思ったのは、良く見る自己啓発本とは違い自身はあまり頑張らなくていい。周りにある環境を変えれば、そのうち生きやすい生き方が見つかるかもしれないということだ。



母親は俺が小学生高学年の頃亡くなった。父はそれまで子育てに関与せず、どうしていいかわからない。そのうえ昭和の頑固親父の典型のような人だ。母が亡くなってから2年も経たないうちに家庭は崩壊。ご飯も満足に食べれない時期があり、中学校はお昼の給食を食べるためだけに行く場所だった。そんな半不登校を繰り返しているうちに鬱も発症する。当時は鬱だということすら気付かないほど孤立し、相談できる人もいなかった。

家庭崩壊している家では珍事がよく起こる。

ある日家に帰ると居間のテーブルの上には大きなドラム缶。その中で燃えている毛布、窓は空いている…酸素供給用なのかな?家には誰もいない。

兄が2人いるのだが、2人とも壊れてしまい不良コース。危険を感じた父は、俺を連れて家を出る。数週間、ワゴン車での生活となる。グランピングって美味しいの?

そんな兄たちは借りていた賃貸物件の支払いを滞らせ、大家さんからの呼びだし。父と物件を見に行くと、見事なまでのゴミ屋敷。片付けるのは俺。数回同じようなことが繰り返される。

ほんの一部だが、これが俺の日常であった。それが社会的な日常でないとも無意識には理解していた。こんな生活をしていていれば、まともに学業に専念することもない。中学、高校ともに底辺の成績であった。気がつけば何もしたくなくなった。

が、人間の本能なのか生きようとする力は失われなかった。何かを考えていたわけではないが、頭の隅に『とにかく遠くへ逃げよう』という気持ちが生まれていたのだと思う。

ネット上では失うものが無い人を最強と呼んだりしているようだが、それと同じように死ぬ気に成れば人は結構いろいろ出来てしまう。ルーティーン大好きASDの俺が現状を変えるために外国へ飛んだ。自然が豊かだという理由のみでカナダを選んだ。コミュ障の上に英語も一切話せないのに、最強になると関係ないらしい。

鬱はその後も数年は治らなかったが場所を変えたことで新しい出会いがあり、後に子供(双子)が生まれたのをきっかけに鬱は治った。短大にも行き勉強をしてみると人並みに出来ることが分かった。現在では幸運な事に恵まれた仕事に就き、平均的な人よりも裕福な生活をさせてもらっている。いつからか夜は9時ころに寝て、朝4時に起きるようになった。仕事までの時間に好きなことをするのが日課となっている。



俺の動機は『逃げ』であったが、結果的にこの『ポンコツなわたしで、生きていく。』で書かれている環境(人、場所、時間)を変えるという事をしていたようだ。ASDの俺にどれだけのストレスがかかっていたのかは分からないが、今では全部良かったと言える。この本に書かれているように変えようと決意するのではなく、まず自分を取り巻く環境を変える事が必要だというのは合っているのではないかと思いました。

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