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マスクの代償

ジム・キャリー主演の古い映画『The MASK』を見たことがあるだろうか。うだつの上がらない男がある日手に入れるマスク。このマスクを被ると、自分の中で押さえ込んでいる欲望やら抑圧された本性が解き放たれる、そんな魔法のマスクだ。

ASDにはよくマスキングという言葉がセットでついてくる。ジム・キャリーのあのマスクに日本人が大好きな『ing』が付いた単語『Masking』だ。このマスキングはASD特有ということではないと思うが、ASDで言えば社会に適応するための行動であると同時に自分を守る硬く大きな防壁である。意識的に自己を装うことをしているのではなく、無意識に社会に適応しようとした結果そうなっていたのだと思う。防衛本能と言ってもいいかもしれない。

俺のマスクは何重にもなっていて、厚く硬いものだった。ASDだと知る前は嫁に『レイヤー(層)』みたいな言い方で説明していた。特に俺が10代の時のマスクは最強だった。社会的にもASDは多分そんなに認知されていなかったかもしれないが、それでも俺がASDだとか言動がおかしいと思った人はいないだろう。それだけ多くのマスクを被って生きてきたのだ。逆に言えばそう生きるしかなかったのだが、ASDだと思わせないレベルのコミュニケーション能力を持ち合わせたマスク。俺は社会に適合していたのだ。

ここだけ聞いたら「それで生きていけるんだったら何の問題も無いじゃん?」と思うかもしれないが、それは違う。マスクを被るということは自分を偽って生きるということだ。意識的にも無意識にもそれを理解していて、どこかで不具合が起こる。大きさの合わない靴を履いていたら、そのうち靴擦れが起こるのと同じだ。症状が出るまでに時間がかかるのだ。気が付けば鬱などの弊害を呼び寄せているかもしれない。

俺の場合は幸運な事にそのマスクを壊すタイミングがあった。きっかけとなったのが嫁との出会いだ。他人と近い距離で付き合っていく上で、どんなに自分を隠そうとしても少しづつ隠せなくなってくるし、生活に支障が及んでくる。嫁に本当の自分を見せなければいけない日がやってくるのだ。

最近では喧嘩も減ったが、昔はそこそこしていた。その大きな原因となったのが俺が黙りこくってしまうからだろう。口喧嘩になると(またHSPの嫁の口が達者なことと言ったら…草)情報量が多すぎて黙りこくってしまう。ASDはOverstimulation(過剰刺激)なるものがあって、自分でどうにか出来る範囲を越えてしまうと特定の行動や問題が起こる。俺の場合は顔から表情が無くなり、話をほぼ聞いていない状態になる。返事をしたくても何を言っていいのかわからない状態になる。嫁に「何考えているかわからない。」と何度言われたことだろうか。嫁には苦労をかけました。

そんな嫁との付き合いが長くなればなるほど自身のマスクに穴が空き脆くなりいくつかは壊れる。嫁との関係性は少しづつ良くなっていった。しかし何事にも副作用というものがある。自分を守っていたマスクが無くなったり、薄くなったりすると、今度は社会での暮らし方が分からなくなってしまった。人とは上手く話せないし、目も合わせない。そういう場所にいることが非常に不愉快に感じるようになったのだ。

それからというもの、自分がどのような人間だったのかが完全に分からなくなった。人前でどのように振舞っていたのか、どんな表情をしていたのか。立っている時に自分の手の位置が気になり、ポケットに入れてみたり、腕を組んでみたりするものの落ち着かない。どんな話をすればいいのか。記憶喪失になったことは無いが、もしかしたらそのような感覚に近いのかもしれない。

そこからは赤ちゃんが一つ一つ手探りで物や言葉を覚えるように、本当の自分を取り戻していく事となる。これが非常に大変だし、誰かのサポートが無いと変な方向に行ってしまう人もいるかもしれない。

ここが俺の現在位置だ。36歳にもなって自分というものを再認識したり、マスクを外したりしている。俺はASDと知って心が軽くなりマスクを外すプロセスを楽しんでいるが、人によってはこれが非常に苦痛になる事も理解できる。多分ASDの人にとってマスクを外す行為というのは、裸で人前を歩くような行為である。

良くも悪くも海外に移住した俺は『裸で歩いてるけど問題ある?』みたいなメンタルを持てるようになった。映画『The MASK』のようにマスクを川に捨てる日が来る事を願っている。人と接するのが不得意なASDですが、良いパートナーやメンターを見つけてマスクを取っ払いましょう。もし「そんな人周りに誰も居ないわ!」という人が居たら俺と話しましょ。ではでは

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