機能 vs 美学
色の無い夢
色の無い夢を見ます。色が付いていた夢は数回あるかどうか。もしかすると見ている時は色があって、起きた後に思い出そうとすると色が無くなっているのかもしれません。ネットで『色なしの夢』と検索したところ『予知夢であることを意味します』とか書かれていた記事が一番上にあった。いきなりスピリチュアル系!?と鼻で笑ったが、そういえば俺も正夢は何度もあったなぁと思い出しました。あながち間違いでは無いのかもしれない。正夢と予知夢が同じものなのかは知りませんが、一度だけめちゃくちゃ怖かった事はあります。
見慣れない廊下を歩いてどこかへ向かっている。次の曲がり角を曲がると誰かに会い、ぶつかりそうになり夢から覚める。その夢を見たのはいつだったか。相当昔のことだが、日本で見たことは間違いない。
何年も経ちカナダに来て最初の年に正夢は訪れた。カナダの大学でトイレに向かい移動していると、その曲がり角を曲がる5メートルほど前でフラッシュバックのように夢を思い出す。いつと同じ道順で行っている見慣れたトイレへの道なのに、フラッシュバックと重なる絵に脳では現実とフラッシュバックが混ざりあう。全く同じ状況、そして角を曲がったら誰かが居ると『知っている』。心臓は一瞬にして鼓動のスピードを上げる。分かっていても角を曲がるのが怖い、知っているからこそ怖い。その場で180度向きを変え夢とは違う選択が出来る猶予はあった。それと同時に答え合わせもしたくなった。本当に曲がったらそこに人が居るのか、居なかったら正夢ではない。アドレナリンが大量に放出されている感覚を覚えながら、俺はスピードを落とさず角を曲がった。
そこに人は居て、ぶつかりそうになった。
夢と全てが同じだった。
心臓は耳で聞こえそうな程にドクドクしていた。
本題
ただ夢に色が無いと書こうとしたのに、横道に逸れてしまった。興味の無いものに対しては、本当に関心を見せないASD。こだわりが強いと書かれることもあるが、俺的には個性が強いと表現して欲しい。
俺の場合はファッション、ブランド物などの興味が皆無と言っていいほど無い。これが俺の色無しの夢に繋がっているのかな?と思った次第です。脳が色という情報を要らない情報として認識しているために色の無い夢を見るし、デザインやファッションに興味が無いのではないかと。
ところが社会の中で変な格好をして注目を浴びたくもない俺もいて、着る服には気をつけている。気をつけているというよりも、同じような服を着ることが多い。服の色も黒、濃い灰色、濃い緑色、濃い青色など目立たない暗めの服が多い。人前に出るときは嫁に「俺変な格好してない?」といつ見ても大した違いもない服装を毎回チェックしてもらっている。
その代わり機能的に意味のあるもの、役に立つものにはどんどん取り入れる。仕事場でCADを使うのだが、スタンダードのキーボードはテンキーが右側にある。マウスとテンキーを使うにはマウスから一々手を放し、テンキーに持ってくる。数字を打ち終わったら手をマウスに戻すという作業が気に食わなかった。そこで左利き用のマウス(ボールトラック)を手に入れ、左手で練習した。最初こそ使いづらく時間が倍以上かかったものの、今では右手と同じ速さで操作できる。結構すぐに慣れる。
プログラミングを学んでいるのも、ここらへんが理由だと思う。最初はExcelのVBAで繰り返す作業を自動化した。この単純作業を自動化したことで時間が出来たので仕事中にこんな記事を書いたり出来るわけだ。今はLISPという言語を学んでいる。AutoCADにもAutoLISPというVBAのような機能が備わっており、これでさらなる時間短縮が出来るようになる。他にも出来ることは沢山ありそうだが、プログラミングは難易度が高くて思うように進まないのだが。
そんな俺はどういうわけか美術を専攻で大学を出たHSPの嫁と結ばれることとなる。嫁は家の中が少しでもゴチャっとしているとイライラしてしまうし、何か家の中で少しでも気になる部分があると解決するまで頭から離れない。美意識も高い。
ここで問題になるのは機能性が良ければ見た目を気にしない俺と、機能性も大事だけど見た目も重要だ、という、機能VS美という戦いが起こる。そんな機能的に意味があることが重要なASDの俺と、見た目も重要だと訴えるHSPの日々の戦いの様子がこちら
人
「○○の場で出会ったあの人覚えてる?眼鏡かけてて、ブロンドヘアーで、スラっとしてて、ジャケットと靴は青でスカートはベージュ色だった」とか言ってくる。これらの情報は俺にとって何の役にも立たない。誰が何を着ていたか、履いていたのか、髪の色、装飾品などの情報は、俺の中で情報として認識されていない。話している最中にそれだけの情報を得て、覚えていられる嫁(普通の人はこのくらい余裕なのか?)に感心を通り越し、呆れている。
俺が覚えている人の特徴は何をしている人なのか、何をしたい人なのか、何が出来る人なのかなどだ。その人がどんな事に興味を持ち、どんな考え方をしていて、どんな行動をしているのか。それを知ることが出来たら、その後に顔でも覚えよう!くらいなものだ。
デザイン
嫁がカーテンロッドを乗っけているハードウェアを少し上に動かしてくれという。機能的に何の問題も無いこのカーテンを少し上に動かすというのが、俺的にはありえない。何故そんな事が気になるんだと考えてしまう。「めんどくせえええええ」という言葉を飲み込み作業を行う。子供がめちゃくちゃに引っ張っても壊れないように、しっかりとウォールアンカーを壁に仕込む。プラスチックのウォールアンカーで数度試すも上手くいかない。二度とプラスチックのは使わないと誓う。鉄のウォールアンカーを使うと一発できれいに仕上がる。カーテンを戻した後、俺は特に完成したものを見ずに嫁を呼ぶ。嫁は部屋に来るなり「部屋が大きく見えるでしょ?カーテンロッドを少し高めに付けることで部屋が大きく見えるんだって。」 そう言われ、改めて完成した部屋を見てみると確かに部屋が大きく見える。感心する。そして「…先に言えやぁあああああ!」と思う。
車
現在は諦めた感があるが、嫁は車が好きである。それはそれはメーカーから車種、年代まで細かく語れる。元々はVWのマニュアル車がお気に入りで、付き合い始めの数年はそのマニュアル車でブイブイいわせていた。俺と車をシェアする時期があり、俺はマニュアル車の運転の仕方を一生懸命覚えたが(多分)運転が下手な俺に危険を感じた嫁は静かにオートマ車を購入した。
子供が出来てからも嫁はSUVを積極的に選び、ブイブイいわせていた。後に俺が「子供も増えてきたし、ワゴン車の方が良いんでないの?」と言い出すと非常に嫌そうにしていた。「乗り降りが楽だし、ドアもスライドして開くから安全だし…」と色々な理由を述べた数日後、渋りながらもリサーチをしていた嫁が悲しそうにこんな事を言う。「SUVとワゴン車に機能的に大きな違いは無い。見た目の違いなんだって。」
要するに機能面をヅラヅラと述べた俺に対抗すべくSUVが良いという理由を探していたのだ。しかしどこまでいってもワゴン車のほうが良いという結論にしか至らなかったのだ。アッヒャッヒャ! ヽ(゚∀゚)ノ
車は人や物を地点Aから地点Bに運ぶものである。これが俺の車に対する立ち位置だ。なんなら好んで中古車を選ぶ。俺のような運転の下手な人や、細かいことを気にしない人が多くいる北アメリカの文化ではぶつけられたりすることはしょっちゅうある。中古の車であればちょっと傷つけられたくらいでは(俺は)全く気にならない。もうそういう物だという認識だからだ。
ちなみに表紙の写真はこんな機能的な車が欲しいという俺の要望だ。軽トラの荷台が後ろじゃなくて、横にある感じだ。物を詰め込んだり、使ったりするのに非常に便利だと思う。キャンパーでもいいからこんな形の車でないかな。絵が下手なのは…色の無い夢のせいです。
おわりに
見た目やブランドに興味がない俺は、大した熱も無いのにブランド物を好む人を見てアホだなぁと日々過ごしていますが、情熱を持って語れるのであれば歓迎して話を聞きたいくらいです。
嫁は段々と機能的なサイドに歩みつつありますが、見た目も重要という部分は譲れないようです。俺も嫁に流されて、少し見た目を気にする部分も出てきたし、綺麗好きにもなりました。
多分両方とも大切なんで、一方に寄りすぎないのが良いのかなと。美意識を学んでブランド好きの気持ちを理解する日も遠くない…かも。いや、無理かな。
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