キップルについての小考

 フィリップ・K・ディック氏によるSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んだ。作中には、この小説でしか登場しない造語が数多くあるが、その中でも私の心に強く残っている単語が「キップル」である。


※作品のネタバレを含みます。未読の方は是非本編を先にお読みください。

【追記】8カ月間下書きで眠っていたものです。公開時に読んだものではないので、そのあたりご了承ください……。

キップルとは?

 まず最初に、キップルという単語の作中内での説明を軽くおさらいしておこう。この単語を発したのは、ただ風化しきるのを待つだけの廃墟ビルに独りで住む登場人物、イジドア。彼が突然の来訪者に対して、廃墟ビルの内部について説明する場面だ。彼が言うには、キップルとは『からっぽのマッチ箱とか、ガムの包み紙とか、きのうの新聞とかの役に立たないもののこと』らしい。さらに、キップルには面白い特徴が存在する。

 その特徴とは、『キップルはキップルでないものを駆逐する』というものだ。キップルを部屋に1つ置いて寝ると、翌日には倍に増えているらしい。徐々に増えていくキップルはあらゆるものを飲み込んでいき、やがて舞台である廃墟ビルのように全てがキップル化してしまうらしい。これは宇宙のどこであれ同じようにはたらく一般的法則であるらしく、宇宙全体ですら全面的な完全なキップル化にむかって動いているという。キップル化と呼ばれるこの不思議な特徴の説明は、グレシャムの法則《悪貨は良貨を駆逐する》、より科学的にいえばエントロピーの増大則なんかが作中で引き合いに出されている。このキップル化という現象の効果は凄まじく、彼の住んでいるビルも彼の住んでいる部屋以外、全てキップルに変えてしまったらしい。さらに、残された彼の部屋でさえもキップルとそうでないものの圧力は五分五分で、彼が廃墟ビルから立ち退けば、たちどころにキップルに支配されてしまうそうだ。
 以上がキップルについての説明だ。作中にはキップルだけでなく、共感(エンパシー)ボックスやフォークト=カンプフ検査などの空想上の産物が数多く登場する。その大半が作中で様々なはたらきをしたり、重要な意味を持っていたりすることがままあるのだが、キップルについてはここで触れられたのち、本編終了までほぼ触れられていないように感じた。そこで、自分なりのキップルについての考察を吐き出していこうと思う。

キップル化に関する矛盾

 イジドアは、自分がいることで廃墟ビルの居室はキップル化を免れていると言っていた。それはつまり、イジドアの存在がキップル化の有無に関わっていることを示している。宇宙全体がキップル化する中で、イジドアという個体がキップル化を食い止めておけるのはどういうことなのだろうか。作中にその手掛かりが書いてある。イジドアが来訪者に告げるこんな言葉だ。

『ところで、この部屋だけど。きみのえらんだこの部屋──ここで暮らすのは、ちょっとキップル化がひどすぎるよ。もちろん、巻きかえしはできるさ。さっきいったみたいに、ほかの部屋からめぼしいものをかっさらってくればね。』

 なんとキップル化は巻きかえすことができるのだ。宇宙の理に逆らっている。しかも難しい方法なんて必要なく、他の部屋からめぼしいものをかっさらってくるだけで。
これはおかしい。廃墟ビルはイジドアの部屋を除いて、完全にキップル化されていると既に述べられている。キップル化された部屋から、キップル化されたものを持ってきて、同様にキップル化されている部屋に持ち込むだけで、なぜそこにあるものがキップル化から逆らうことができるのだろうか?さらに、キップル化にはもう一つ矛盾が存在する。この宇宙で、唯一キップル化しないものがあるのだ。それは、ウィルバー・マーサーの山登り───共感ボックスのこと──だ。この不思議な矛盾はどういうことなんだろうか?

「私」とキップル化

共感ボックスにより体験できるウィルバー・マーサーの山登りは、作中では人間だけが持っている「共感する能力」を如実に証明する道具となっている。この世界で最大の宗教、マーサー教のシンボルだ。ここで、キップルの元々の意味を振り返ろう。
キップルとは「役に立たないものの総称」。唯一キップル化しないもの、共感ボックス。私はこう考えた。ウィルバー・マーサーの山登りがキップル化しない理由は、多くの人がそこに意味・意義を見出しているから、ではないだろうか。

イジドアの部屋だけがキップル化された廃墟の中で、唯一キップル化に逆らえる理由もこれで分かる。それは、イジドアが自分の住んでいる部屋に意味・意義を見出しているからだ。廃墟ビルのほぼ全ては、既に去った居住者の遺物でできている。イジドアの人生に、日常に関わりのないものが押し拉ぎあっている。しかし、イジドアの部屋のものは違う。毎朝観るテレビ、洗面所の剃刀、共感ボックス。そこにはイジドアが意味を与えたものがある。
みんなだって同じはずだ。部屋の中を見渡すと、キップルとそうでないものが半々ぐらいではないだろうか?お気に入りの時計、使い勝手の良いフライパン、鍵についた仰々しいキーホルダー類──。どれも、自分の意志が介在できたことで、その場に存在しているものだ。しかし、ポケットにたまたま入っていた使い捨てのマスク、くしゃくしゃになって部屋の隅に転がっているレシートの切れ端、あってもなくても困らない物共。これらキップルも探せば部屋の中にあるはずだ。そして、赤の他人の部屋を想像してみればわかるが、そこにあるものはすべてキップルだ。思い入れも自分が与えた意味もない。無くなっても壊れても自分は困りも悔いもしない。個々人で考えてみると、私たちはイジドアと同じくキップルの中で藻掻いて生きている。キップル化しないものは、私が意味を与えたほんの僅かなものばかりだ。Aさんの大切なものは、私にとってキップルで。私の大切なものは、Aさんにとってはキップルで──。
この章で私が主張したいことは、キップル化は意味や意義を失う、もしくは、意味を与えている人がいなくなることで起こるものだということだ。だから、他の部屋からかっさらってきたキップルでも、私がそれに意味を与えることで巻きかえすことができる。
河原で拾ったぼろぼろの自転車であっても、家で直して乗れるようになれたなら、それはキップルから愛車になり得る。

人類とキップル化

では、この世界は元々キップルだらけの寂しい世界なのか?どこかの誰かが何とか意味を与えることて、細々とキップル化を免れているものの集合体なのか?

それは違う。なぜなら、私たちには共感能力があるからだ。


広島に原爆ドームという世界遺産がある。もし宇宙人が見たら、なぜ広島市にはこんな廃墟が街の真ん中に建っているのだろうか?邪魔ではないのだろうか?と疑問を持つことだろう。しかし、原爆ドームは広島の街から無くなることはない。これから先何十年経とうとも、これがキップルになることはない。なぜなら、日本国民の大半が、一見廃墟にしか見えない原爆ドームに特別な意義を見出しているからだ。私たちはその強力な共感能力で、直接私たちに関わりのないものにも意義を見出せる。子供がプラモデルを集めることを理解してくれない母親がいたとしても、それらをむざむざ捨てるようなことはしない。自分にとってはキップルでも、子供にとってはとても大事なものだということを理解しているからだ。子供がプラモデルを大事に思う気持ちに共感を示すからだ。多くの日本国民は熱帯雨林に行ったことはないが、熱帯雨林の伐採のニュースで胸を痛める。訪れたことのない地域の見知らぬ他人のために、募金をすることができる。すべては共感能力からくるものだ。さっきまでキップルだらけだった寂しい街は、よく見れば自分や友達や家族が暮らす街で、テレビに映っている名前も知らない町並みは誰かにとっての故郷で、登ったことはなくても遥かかなたの青々とした山はこれほどまでにも美しい。私たちは空っぽで意味のないものだらけの世界に生まれてきて、その卓越な共感能力と想像する能力で世界中の様々なものに意味を与えてきたのだ。だから、共感ボックスはキップルにはなり得ないのだ。そこに人々が意義を見出しているから。

まとめ

ここまで、キップルという事柄について私の所感を吐き出してきた。要するに、キップルの認知やキップル化への抵抗というものは極めて”人間的な”行いであるということだ。となると、作中でキップルをアンドロイドに説明するイジドアの項は、少し面白い解釈ができる。

廃墟ビルに関して説明するイジドア。アンドロイドの来訪者は廃墟ビルの実態やイジドアの現状に強い理解を示した(これはアンドロイドだと勘付かれないためでもあるだろうが)。しかし、キップルについての説明に関しては、少し難色を示したような表現がある。────もしかしたら、作者の気まぐれであり、これから私が書くことは全くの的外れかもしれない。このあたりの解釈は個人によって分かれるのではないかと思う。是非本書をお持ちの方は読み返してみてほしい。では、以下キップル──。

もしかしたら、キップルの認知は作中で公には触れられていない、人間とアンドロイドの違いを表しているのではないだろうか。”共感”というのは本書の大きなテーマになっている。作中の随所で共感能力の有無によって、人間とアンドロイドが、人間同士が、切り分けられている。キップル化に抗うという行為そのものが、実は極めて人間的な行動原理の下に成り立っているのであれば、廃墟を訪れたアンドロイドが、キップルまみれのイジドアの「キップル化が巻きかえすことができる」という発言に理解が示せないことも頷ける。しかし、これより後にキップルという単語は、キーワードとして登場することはなかったと覚えている。キップルについてこれ以上踏み込んで考えると、いよいよ私の妄想の領域に入ってしまう。

以上がキップルについての私の小考である。

着地点が不明瞭で恐縮だが、部屋に散乱するキップルを片付ける必要があるため、そろそろ失礼しようと思う。せいぜいキップルに押しつぶされないように、皆様生きていきましょう。

ちなみに、私の部屋は現在キップルが優勢です。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?