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世界に色がもどるまで

旅が好きなのはいつからなんだろう。
今回どうして旅が好きになったのか私の原体験を振り返ってみようと思います。
今いる場所で世界がくすんで見える人に届きますように。

旅に出るまえの私

大学病院で助産師として働いて4年目は、日々の助産業務だけでなく看護研究、係活動、委員会活動、新人指導、勉強会開催など多忙に過ごしていました。特に看護研究は日勤終わりに深夜1時頃まで病棟に残ってデータ集積や分析を行い、論文を修正し帰宅。その日の朝8時頃には再び日勤勤務のため病棟に舞い戻るような日々でした。

任せてもらえることも増え、確かに充実していたとは思います。でも着実に自分の心身は疲弊していきました。毎日が少し灰色がかって見えていました。
そんな中、カナダにワーキングホリデーに行っていた友人と連絡を取る機会がありました。その友人からは、広大な自然を持つカナダの美しさ、多国籍国家であり人を柔軟に受け入れる優しさ、働き方の選択肢を教わりました。

毎日頑張っているのに、なんだかしっくりこない。でもこの違和感を感じたまま助産師としてのキャリアを積んだ方が、将来の私のためにはなるんじゃない?その問いに「はい」と答えようとすると私の胸の奥が、ザラザラとしたやすりで擦られたように痛くなりました。そこで私にとって、大きな決断をすることにしました。
「私も看護研究が終わったら退職して、ワーキングホリデーに行く!」

それまでの海外旅行経験といったら、3歳頃に親戚の結婚式でハワイに行ったこと、小学生の時に所属したオーケストラの演奏旅行で韓国に行ったことくらいでした。一人旅経験もない、英語も話せない、人脈もない、ないことづくし。不安でとにかく怖い。それでも「今までと違う新しい世界を見てみたい、挑戦してみたい」の気持ちの方が大きかったです。

渡航先は寒い場所が苦手なため、年間平均日照時間が約260日分もある温暖な気候のオーストラリアのブリスベンにしました。自分なりに最低限の英語を覚え、必要な物品を準備し、パスポートやクレジットカード紛失時などの緊急時対応をノートにまとめ、勢いで飛びたちました。

オーストラリアで過ごした日々

オーストラリアではまず語学学校で英語を学び、アルバイトしたり、ベビーシッターをしてお金を稼ぎ、オーストラリア国内を旅する資金を貯めました。旅先はもともと自分が行ってみたかったところと、出会った方のおすすめの中から選びました。オーストラリアの旅先で特に印象に残っている街の一つが西オーストラリア州に位置するブルーム(Broom)です。

そこは1880年代に真珠の街としての歴史があります。その時代、日本人も真珠採取の産業に携わっており、その方達のお墓があるくらい日本に所縁もある場所でした。

ブルームにある日本人墓地

私は「月への階段(Staircase to the Moon)」を見たくて訪れました。
月の光が干潮時の千潟や海面に反射して、まるで月に登る階段のように見える現象。世界でも、ここブルームでしか見られない幻想的な光景です。そしてこの現象を見るには3月から10月にかけて、干潮時に満月がのぼる非常に限られた時期と時間でしか見ることができません。天候によっては見られないこともあるため、月に祈りながらブルーム行きの航空券を手に入れました。

オーストラリアの3大都市の一つに入るブリスベンからブルームに移動した際、まず驚いたのが不便さです。バスやタクシーがほとんど走っておらず、赤い大地が永遠と広がる世界。人に道を尋ねながら必死でその日の宿に辿り着きました。

一方であまり人の手が加えられていない、ありのままのオーストラリアを感じられたのは良かった。
青々と続くケーブルビーチ(cable beach)で泳いだり、ラクダに乗って海辺を散歩することもできました。

ケーブルビーチにて

ガンシュームポイント(Gantheaume Point)では干潮になると1億3000万年前の白亜紀に生息した恐竜の足跡が出現します。私が行った時は満潮で本物をみることは叶いませんでしたが、そこで生きていただろう恐竜を想像してロマンを感じました。

海底にある恐竜の足跡のレプリカ


そしていよいよその時が来ました。宿で仲良くなったドイツ人の友達とビューポイントまで行き、息を飲んでその瞬間を待ちました。

スマホカメラでもこの美しさ。肉眼はもっと美しかったです。


真っ暗な世界に神々しく浮かぶ月とそこに架けられた階段が今でも忘れられません。オーストラリアで見た数々のカラフルな世界や月の光で、私の世界も再び色を取り戻したような気がしました。
私はくすんだ世界から飛びたつ決心をした、過去の私に心から感謝しました。

旅に出たあとの私

ワーキングホリデーから戻ってすぐに、再び産婦人科病棟で助産師として働き始めました。復職して一番の違いを感じたのは患者さまから返ってくる反応です。「ふたばさんに取り上げてもらって良かった。次の子の時もお願いね。」「幸せなお産になりました。ありがとう。」そんな嬉しいお声かけを頂くことが以前より多くなりました。何より赤ちゃんとお母さんに関われることがありがたく、楽しく働けている自分がいました。

思えば大学病院時代は自分がやりたいことより、やらなきゃいけないことの方が圧倒的に多かった。師長命令で看護研究に取り組まないといけない、自分の休みを削って係活動や委員会活動をしないといけない、助産師として最低限これはできないといけないなど、自分を”しなければならない鎖”でがんじがらめに縛っていたように思います。

自分のやらなきゃいけないことをこなせばこなすほど、例えスキルや知識が身についても、自分の心の器から優しさや希望の水が枯渇するような感覚で、患者さまや他のスタッフに注ごうにも十分な水が出てこない。

宿の近くにあったオアシス

しかし旅に出たあとは自分自身を前より大切にできるようになりました。休みの日は自分のやりたいことをしたり、休む選択をするし、自分が苦手だなと思えば他の人にお願いすることも増えました。自分を大切にすることによって前よりも患者さまがどんなケアを求めていて、どんな言葉を必要としているのか考えて動きやすくなったようにも思います。

また旅をして自分を満たせていると次に何をやりたいのか心の声が聞きやすくなりました。旅に出る前は正直、助産師に戻るか迷いもありました。でも旅でのんびりしたり、何かに挑戦して新しい経験ができると心が満たされ、自分が求めているもの、挑戦したいことが自然と浮かぶようになりました。(浮かぶというより、ケーブルビーチの海に向かって「もう一度、助産師やりたーい!!」と叫んでいたのは秘密です。)

世界がくすんで見えるのは、きっと何かに縛られ頑張りすぎて、自分の心の声が聞こえなくなっているからかもしれません。それはきっと自分が「助けて」と言ってるサイン。もう一度、自分の世界の色を取り戻すために、勇気を出して旅に飛びたってみるのも良いかもしれません。

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