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読書感想「アンの友達」/モンゴメリ

「かわいい者のために犠牲をはらうというのはうれしいものだ──犠牲をはらう相手があるのはうれしいことだ」


「赤毛のアン」と出会ったのはいくつのことだったろう。たぶん、幼稚園の年長か小学校1年生の頃。初めて読んだ時に、あんまり面白いから笑い転げながら読んでいたことを今でも覚えている。
夢見がちで空想好きな私にとって、間違いなく特別な出会いとなった一冊だった。

中学生になってからは、図書室に置いてあったNew Montgomery Booksという、モンゴメリの著作を集めたシリーズの、主に短編集をよく読んでいた。
こちらもとにかく夢中で、次から次に借りて読んだことを覚えている。

しかし、その頃読んでいた短編集も「赤毛のアン」以外のシリーズも私は全く内容を覚えていない。

今年のはじめごろ、懐かしいNew Montgomery Booksを図書館で見つけ、何冊か読んでみた時にその事に気づいた。
嘘でしょ!?あんなに夢中で読んでいたのに!!何にも覚えてないの?
愕然。
でもまあいい機会だから、とアンシリーズを少しずつ読み返し始めた。

読み返して気づいたことは、「赤毛のアン」はもちろん傑作なんだけど、それ以降の話も負けず劣らず面白いということ。モンゴメリはとにかく脇役を書くのがべらぼうに上手い。本筋とは関係のない、脇役たちのちょっとしたエピソードが生き生きしていて、それがアンの世界をより魅力的にしている。
そして、そのことを改めて実感できるのが、本書、アンシリーズ4冊目、「アンの友達」である。

「アンの友達」は、十二の短編が収録されていて、主人公たちは皆アヴォンリーのアンの周辺に住んでいる人々である。
アンは、最初の短編以降はほとんど登場せず、出てきたとしてもほんの数行の描写だけである。

他の短編集を読んだ時にも思ったけれど、モンゴメリの真骨頂は短編にこそある、と、この本を読んで確信した。
とりわけ、「ロイド老淑女」と「めいめい自分の言葉で」は傑作だと思う。

「ロイド老淑女」のあらすじはこうである。
哀れなほど貧しい生活を送るロイド老淑女は、しかしその気高さから自分が貧しいことを人に悟られぬよう、二十年もの間、誰とも会話をしない孤独な生活を続けていた。
しかし、かつての恋人が遺したシルヴィアという娘の存在を知り、老淑女の人生にあたたかな光が差し込む。

貧しさゆえに、人との親交を絶っていた老婦人が、シルヴィアの情報を得たいがために、人と会話をし、山に入ってシルヴィアの好きな花をとってきて、自分からだとはわからないようにそっと贈ったり、シルヴィアの歌を聴くために何十年ぶりに教会へ行ったりと、少しずつ人生を変えていく。その余りにひたむきな愛に胸を打たれた。

モンゴメリの短編にはいくつかの傾向があって、そのひとつに「だいたいハッピーエンドで終わる」というのがある。
しかし、それでも、最後まで「どうか幸せな結末を迎えてくれ!」と祈りながら読んでしまう。登場人物たち一人一人を愛さずにはいられなくなってしまうのだ。

先にあげた二つ以外では、
男と犬が大嫌いな女と、女と猫が大嫌いな男の話「隔離された家」が私のお気に入りである。

愛すべき隣人たちの物語の中から、是非お気に入りを探してもらいたいと思う。































 











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