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中断→ビジョンに添える

学生が着地点を自分で見出す、
そして言語化する、
進路探求塾を作りたい。

というビジョンをもちながら以前は色々と活動していました。

しかし色んな事を考え、色んな事を知って学び、
自分自身の持ち得るリソースではかなり先の目標になりそうだ。

ということでこの活動はほぼ中断していましたが、
最近になって気づいたこと。

それは…


進路を探求する側が迷走


発信することはおろか、
ビジョンの話をしなくなってから
肌感で実現は遠のいてる気がしてきました。


そもそも中断した理由は色々あるんですが、
その中で最もおおきかったのが

マジメな活動は自分にとってちょっと荷が重い。

ということでした。

世の中の常識、知識、情報や
他人との関わり、広がり、社会の仕組みなど、
活動において必要なことを受け止める器がない…

そして自分自身の覚悟のなさに失念していました。

もっとシンプルに言えば、
つまらないと感じていたんです。

それから自分自身がブレブレになって
学生の進路とか言ってられる身じゃねーな(笑)
という時期を過ごしていました。

あれ、、、?もしかして、、、?

でも冷静に考えてみれば。

学生が進路を探求する機会を作る。
それをやりたいと思っている自分が
「オモシロイ」を発見できていなくてどうするよ?

そして、なにより

学生にはワクワクするもの発見してほしいし、
たぶんマジメでつまらないものに興味あるかって言えば、

ないだろうね。
僕もわざわざそこに目を向けない。

そしてなんなら、
これからの時代はワクワクするもの見つけた人の方が強い。

そして僕はとにかく自分自身がワクワクするものに出会い、発見する活動に軸をおくことにしました。

ビジョンに、もう一度配置。

いま僕は、自分がワクワクできるか、オモシロいと感じるかで仕事や活動を絞っています。断捨離しました。


そしてその活動の先のビジョンに「進路探求塾」を再び配置することにしています。

その理由は、
昨今の働き方の問題や労働力のバランスなど難しい課題や情報が多い中で、ある意味なんでもありな、可能性にも溢れている時代だとも思っています。

そんな時代に、

好きなことにしっかり目を向ける人が色んな発見をして柔軟な考えが受け入れられるような、しっかり追求できるような時間はめっちゃ大事だと思うんですよね。

僕の活動コンセプトの一つに、「寛容さ」があります。

どんな正解も受け止める。
受け止めてから合うか合わないかを見たい。

それをしっかり学生の進路、着地点の明確化につなげたい。

そういう軸が、今回のきっかけとなったわけです。



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