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~読~『終末のフール』伊坂幸太郎

2020年、春。
日本各地の小売店やネット通販サイトから、まずはマスクが消え、次にアルコール含有系除菌剤が消え、さらにはトイレットペーパー、キッチンペーパー、ティッシュペーパー…次々と紙モノが消えていくさまに驚き、流されるように「買い込んでおいた方がいいのかな…?」と少々の焦りを覚えてしまった。

すぐさま連想したのは、20数年前に出っくわした、オドロキの光景。
うずたかく積みあげられた、茶色いトイレットペーパーの、山。

当時、高校2年生。
祖母の家で暮らすことになり、物置と化していた2階に居候することになった。
とりあえず布団を敷くスペースを確保しようと、部屋に詰め込まれているものを移動させてゆく。入口から奥へすすむにつれ、年代を感じさせる古い家電やらタンスやらが出現し、ちょっぴり探索気分を味わいつつ部屋の最奥に到達したところ、大きな布が掛けられている一隅を発見。
なんで布で隠してあるんだろ…??といぶかりつつ、布をはぐってみると。
天井までいっぱいに積みあげられた、トイレットペーパーの山…!

歳月を経てすっかり茶色く変色したそれらは、すぐさま授業で習った20数年前の事件、オイルショック時の『トイレットペーパー騒動』を想起させた。

石油価格の高騰によって「紙がなくなる」という根拠なき噂がたったのと同じ時期に、大阪のスーパーがたまたまトイレットペーパーの大安売りをしてしまう。
何百人もの人々が行列を作ってトイレットペーパーを買う光景が新聞に掲載されたことで、不安になった人々が買い占めに走ったため供給が追い付かなくなり、便乗して高値で売りさばく企業も現れて…というように、日本中がパニックになった。…という経緯。

どうやらわが祖母もご多分に漏れず、しっかりと買いだめしておいたらしい。
そうしてたぶん、世間の熱狂に浮かされて“くるかもしれないいつか”のために買いだめした記憶ごと、そうして見えぬ場所にしまい込み、いつしか忘れてしまった…のだろうか?
ことの次第を祖母に問うことなく、はぐった布をそっと掛け戻した高校生のわが心境は思い出せないけれど、とにかく、「冗談みたいに思えていたそんな騒動が、本当にあったんだ…!」と感じた衝撃だけはしっかりと覚えている。

オイルショック時の騒動から50年近い時を経て、2020年。
ふたたび世を騒がせている買い占めは、トイレットペーパー等の紙類にとどまらず、お米や乾麺、レトルト食品などの保存食類にまでおよび、スーパーの棚があちこち空っぽな光景もそろそろ見慣れてしまった。

これを書いている今も、まだマスクは市場に流通していない。
新型コロナウイルスの蔓延抑止のため、外出自粛を余儀なくされている真っ只中、まだまだ終息の兆しなし、これからどうなってゆくのか誰もわからないこの状況において、こんな小説をご紹介してもよいものだろうか…?と躊躇しつつも、《The End of The World/世界の終わり》を材に取った2冊を選んでみた。

水ぬるむ春の、ようやくの訪れ。
けれど、健気に可憐さめいっぱいに咲きほこる桜を愛でる集いは、今春ばかりは自粛、自粛…。

でもそれでも、そんなときだからこそ。
ひらり舞い落ちてくる一ひらのサクラ色に惹かれときめく。
日々なにげなく交わされる、気遣いやいたわりの言葉に心あたたまる。
未来をかたることばが大切な祈りのように感じられる。
“今”という時のつくりかたに真心を、そうしてその積み重ねかたに、願いをこめる。

そんな、《The End of The World/世界の終わり》。
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◆伊坂 幸太郎 『終末のフール』

「さっきからテレビがおかしいんですよ。どのチャンネルも同じ放送で。変なニュースばっかり流してるんです。8年後に小惑星が落ちてくる、とか。壊滅的な状態になる、とか」
いい大人から、「惑星」とか「壊滅」であるとか、幼稚ともとれる言葉が出てくるのが可笑しくて、笑いを耐えるのが大変だった。

その日の夜、マンションのどこかで悲鳴が上がりそれに釣られるように、嘆きの叫びが何ヶ所かで響いた。
察しの良い住人が、察しの良い順で上げた絶望の声だったのだろう。

8年後、小惑星が衝突して、地球は滅亡する。

町中で、地上のあらゆる場所で、大混乱が起きた。
さまざまなデマが飛び交い、「○○地域には被害がない」と流布されれば、人々は大挙して町を出てゆき、RV車やキャンピングカーの需要が増大する。

投げやりな人々があちこちで暴力をふるい、物を盗み、建物に火を放つ。
あと8年で隕石が落ちてくるんだったら生きていたって一緒じゃねえか、とビルから飛び降りる者も、大勢。
死ぬくらいなら死んだほうがマシだというのは妙な理屈にも思えるが、とにかく、“何でもあり”の状態に日本中が陥った。

そんな大混乱から、5年。
つまり世界の終わりまで、あと3年。
パニックに疲弊し、絶望に絶望しきった後、嘆くことにも騒ぐことにも飽きた末に訪れた、奇妙な平穏。つかの間の安定期。

将来のための預金も無意味、子供に託す未来も消滅するとなっては、大概の人間が働くのをやめ、さりとて何かをすることに意味を見い出せずに時間を持て余す。
反面、他にすることもないのだからと八百屋は再開され、これが生き甲斐だからと漁をやめない者もいた。
不思議なもので、それぞれがそれぞれの欲求と事情で行動した結果、どうにかバランスがとれていた。

そんな終末世界の一隅、仙台市のある町に住まう人々を描いた、8編の連作短編集。

『太陽のシール』
選択できるというのは、むしろつらいことだと思う。
母の遺影を眺めながら溜め息を堪えていると、声が聞こえてくる気がする。
「優柔不断の決定戦があったら、あんた、絶対一番だね。我が子ながら呆れるよ」
もうすぐ帰ってくる妻は、いつも通りの、あっけらかんとした口ぶりで尋ねてくるだろう。
「で、決まった?」

ながらくの不妊の末、ふいに授かった(かもしれない)生命。
けれど、たった3年しか生きられないと知っているのに、この絶望に満ちた世界に、いずれ再び狂うとわかっているこの終末世界に、我が子を産んでいいんだろうか…。
悩みまどう超優柔不断オトコと、決められない夫のかわりに今までずっと決めてきた妻との、決断。

『鋼鉄のウール』
「愚直で、不器用な戦い方しかできない」と評されつつも、熱狂的な支持を得ていたキックボクシングのチャンピオン、苗場さんに憧れた俺がおなじジムに通っていたのは、小学生の時。
世界の終わりパニックから5年ぶりにジムの前を通りがかると、相も変わらずキレよくミットを蹴り上げる苗場さんと会長の姿があった。

「苗場は、今がチャンスだって言ってるぜ。他のジム生は誰も来ていないだろ?だから今のうちに練習を積んで、さらに強くなるチャンスだってな」

ジムの先輩の遺品から、雑誌の切り抜きがでてきた。世界の終わりパニック前の、苗場さんのインタビュー記事。
「苗場くんさ、明日死ぬって言われたらどうする?」
「変わりませんよ。ぼくにできるのは、ローキックと左フックしかないですから」
「それって練習ってこと?明日死ぬのに、そんなことするわけ」
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」

『週末のフール』

いつもどおりの丁寧な口調で答えたにちがいない「できることをやるしかないですから」という最後の言葉が、俺の目に焼きついた。

『天体のヨール』
20年前の大学の光景が目の前にうかんできた。食堂で、天体オタクの二ノ宮が滔滔と語っている。
「小惑星が落ちてくるのは、一億年に一回くらいじゃないのかな」

語る二ノ宮の顔ががくっと崩れたと思ったのと同時に、落下した。
踏み台にした椅子が横に転がっていて、頭上には天井にひっかけたロープが切れ、揺れていた。ロープがかかっていた首周りに痛みを感じる。

数年ぶりに鳴った電話の相手は、まさにさきほど見た二ノ宮。
「僕、新しい小惑星、見つけたかもしれないんだ」

世界の終わりのせいで俺は妻を喪い、二ノ宮は両親を喪っていた。
復讐した男と、しなかった男。

「今までは、地球から何百万キロ離れた彗星を見て、喜んでいたんだよ。それが、もっと間近で見られるんだ。しかも、横に流れていくどころか、こっちに近づいてくるんだからさ。すごいと思わない?」

『天体のヨール』

…以上、3編を取り上げてみたが、なかでもとりわけ好きなのは、はじめに紹介した『太陽のシール』だ。
超優柔不断オトコが15年ぶりに会った高校時代のサッカー部主将、『大逆転の土屋』の言葉が、じん、と沁みた。

先天性、しかも進行性の病気をもって生まれた息子をもつ土屋夫婦。
「敵チームにあらかじめ5点献上して、試合がはじまったようなもんだよ。しかも、ゴールキーパーはなし。息子はさ、そういう圧倒的に不利な試合条件で生きてるんだ」

夫婦の今までの一番の不安は、いつか必ずくる未来だった。
「俺たちは毎日楽しく暮らしているんだ。負け惜しみとか強がりじゃなくてさ、本当に俺たちは楽しく暮らしているんだぜ。でも、俺たちが死んだら、って考えると、愕然とする」
「だけど、あと3年で、世界が終わる。俺たちはたぶん、息子と一緒に死ぬだろ。っつうかさ、みんな一緒だろ。そう思ったら、すげえ楽になったんだ。みんなには申し訳ないけどさ、でも、最近、俺はすげえ幸せなんだ」
土屋は、高校生の、頼りになる主将だった、土屋そのものになっていた。
「大逆転が起きたんだ」

…あと3年。
残された時間のありようは人さまざま。その色彩はとりどりに変化する。
どう生きる?なのか。
どう死ぬか?なのか。
それぞれの家族や人物を襲う絶望。
その絶望の先に見え隠れする、希望、めいたモノ。

SF的な世界滅亡のパニックストーリーでは全然なくて、なんだかあったかくなったり、スッと爽快だったり、ふんわり微笑ましかったりする物語たちに、問われているような気持ちになってくる。

「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」

《The End of The World/世界の終わり》と聞くと、絶望にみちた終末期を連想しがちだけれど、ただただ悲観しきってしまうだけじゃないアプローチで描かれたフィクションは、かえってなんだか心温まるヒューマンドラマだった。

〈収録作品〉
『終末のフール』『太陽のシール』『籠城のビール』『冬眠のガール』『鋼鉄のウール』『天体のヨール』『演劇のオール』『深海のポール』