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ダブルミーニングな人生に憧れて。

表にも裏にも想いが込められているものに、ときめいてきた人生だと思う。

亡き祖母は、俳句をこよなく愛していた。
自作の句が俳句の本に載ったこともあったように思うし、自費で著書を何冊も出版。自費ならだれでも出せるのかもしれないが、孫のわたしからすればじゅうぶん憧れの存在だった。

祖母が俳句を詠むときは、本名の「愛子」の漢字を変えた「亜惟子」というペンネームが使われた。この「別人になれる感じ」がすごくかっこよくて、わたしも「緑」の違う漢字表記がないものかと考えては、いやなんか違うな・・・と頭を抱えたことをよく覚えている。「実土里」「美鳥」・・・いややっぱりなんか違うな・・・

これは単なる当て字の話だが、わたしは「同じ音で違う意味になる言葉」、いわゆるダブルミーニングの言葉を探すのが大好きだ。

例えば、息子が幼稚園の頃、家に飾ってある花瓶と自分の顔を交互に指さし
「ママー!!!!お花と、お鼻!」
と、世紀の大発見をしたかのように教えてくれたことがある。「はな」と「はな」。昔の人はなぜ花と鼻を同じ読みにしたのだろう。匂いをかぐために、鼻を近づけてたのかな?とか、いろいろ想像できて楽しい。「雨と飴」なんかも、小さい子が気づきやすいダブルミーニングの典型だと思う。

他には、わたし自身が学生のころ。
船の錨(いかり)=anchor(アンカー)
感情の怒り(いかり)=anger(アンガー)

だと気づいたときは、うわあぁーー!!!と大興奮した。同じ「いかり」が、アンカーとアンガーという、双子のような音の訳。確かに、一度怒ると根に持つタイプもいるもんな・・・船のいかりのようにどっしりと・・・と、だからなんだという言葉でも自分で勝手に納得して喜んでいたりした。

また、現在私は講師として、講師になりたて1年生の方向け・サポート講座の開講準備中だが、タイトルに「伴走サポート」という言葉を入れようとして、誤変換で「伴奏サポート」とタイプしてしまった。

・・・あ!伴走と伴奏!「生徒さんと一緒に走る」という意味だけでなく、「生徒さんの主旋律を引き立てる伴奏をする」、そんな意味合いも、自分の講座の趣旨にぴったりだ。現在制作中の、自分のホームページにこのフレーズを組み込むことに決めた。キーボードを見つめながら、誤変換もいい仕事するじゃないか、とニヤニヤしている。

最近では、「Apartment B」という深夜の上質な音楽番組で、痺れるダブルミーニングに出会った。意外に見えるようだが、わたしは子どものころからラップが大好きだ。詞を読んでいつもうなる。ラッパーさんはことば遊びがすごく上手だし、語彙力もあるし、機転が利いて頭がいいなあといつも思っている。ラップはダブルミーニングの宝庫なのだ。

これは、私がこよなく愛するボーイズグループBE:FIRSTが所属する事務所「BMSG」のメンバーと、様々なミュージシャンが、裸の言葉、裸の音でぶつかりセッションする、今の時代にこそ必要な「えぐい」音楽番組。

そこで演奏されたBE:FIRSTの楽曲の中で、「Dos Monos」というグループの荘子 itさんが披露したラップ。「一時代を築く深夜一時台」というフレーズが秀逸すぎて、声が出た。深夜一時の俺たちのこの番組から、音楽は新しい時代を迎えるんだ、ここから始まるんだ。「イチジダイ」という言葉から伝わる熱量の高さ。耳に残って今も離れない。

にしても、どうしてこんなにダブルミーニングに心が動くのだろう。

わたしは、人の言葉の裏に隠された想いを紐解くのが好きだ。
相手が伝えたい本音や意図を汲み取りたい。という意識が強い。
それはきっと、わたし自身が、自分の伝えたいことをわかってほしいから、なのかもしれない。

表面的に見える言葉の、そのさらに奥に、実はもうひとつの顔がある。
そこに気づいてほしいから、気づきたいんだと思う。
同じ言葉に2つの意味がこめられていると、別の命が眠っているみたいで、気づいた瞬間、なんだかどきどきする。

人間らしい究極の言葉遊びだし、究極に熱い自己表現。

あらゆる言葉に宿る、ダブルミーニングの想いに閃けるように
磨いていたい。心のアンテナを。

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