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いつも不安な子供時代

今日はややカオスな内容となりますが、時々笑いながら読んでもらえたら嬉しいです。

私は予定日より2か月早く産まれた未熟児で、保育器に入って3か月ほど入院していました。退院後数ヶ月で看護師をしている母は私を近所のおばさんの所へ預け仕事を再開しました。

赤ちゃんだったある日、祖母は母達がいる前で自分の乳房を飲ませようとし(母としての自分を懐かしんでなのか、その時の彼女の気持ちは分かりませんが祖母はやや不思議ちゃんです。ありのまま書きますね。)、赤ちゃんながら嫌だ!と思いながら、祖母を傷つけてはいけないという気持ちが勝り私は少し飲むふりをしました。

あ!飲んだ飲んだ♪と喜ぶ姿を見て、安心したのを覚えています。

数年後妹が産まれ、なんと、、また祖母は赤ちゃんの妹に同じ事をしようとしました。妹はちゃんと赤ちゃんらしく、泣いて全身全霊で嫌がりました。その様子を廊下からそっと見ていた私はなんで飲まないの、ずるい。とすごく悔しかったのをすごく良く覚えています。(人にも自分と同じように頑張れっていう思考、特徴的でした。)

そうです。おわかりのように、私は物心も付かない赤ちゃんの頃から既にかなりの他人軸で自己犠牲的な人間でした。

もう少し成長し、プールで遊んでいた時のこと。

女子高生のグループが場所取りをしていたベンチに、お年を召した女性が一時座っていたところを なんだあのババァふざけんな。って文句を言い合っている様子にとてもショックを受けました。どうしてこんなに荒い世界なんだろう、と。。

私の母は私生児で、継母、継父、その兄妹たちと育てられました。それを気だるくタバコを吸いながら思春期真っ只中の中学生の頃に唐突に教えられ、大好きな母の生い立ちの事実にかなりのショックで泣きました。

母は継母を愛していたとはいえ、ポツポツと差別されて育った事も私に話しました。ああ、だから私も妹と差別されて育ったのだなとその時私は理解しました。

小学1年生になると強迫的な謎の責任感からひとりで寝ていたのですが、時々怖くて寂しくてみんなが寝ている部屋へ行きました。

ひとりで寝れない…

と言いながら部屋にそっと入ると

ええ?!足元ならいいよ。しょうがないな。と母。 

私も隣に入れる空間あるのに…

母の隣に安心しきって寝ている妹を見ながら反対側の足元に、何とも言えない悲しみとともに布団をめくって寝ました。

私は愛されていない。なんで私も大切にされないの?

看護師として忙しく、周りに気を遣いまくって帰ってきた母は、私には感情のままに接してきました。

きっと私は、親をダメな人だと思わない代わりに、自分をダメだって思っていたのだと思います。

無条件では愛されない。子供なのに子供ではいられない。何だかいつも不安、怖い。

今思えば、自分自身の魂の思考カルマを克服する為にこういった人間関係、配役をしてくれてたんだなぁと分かるのですが…

不安。自信が無い。この感覚が強く植え付けられた幼少期でした。


Ai



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