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受験勉強後遺症

 皆さんは「受験」をしたことがあるだろうか。

 多くの人がはい、と答えるのではないだろうか。中学受験、高校受験、大学受験、国家試験、資格試験、、、と世間には様々な試験がある。

 今回は私のこれまで経験してきた「受験」にまつわる記憶を辿ってみたいと思う。

 まず小学生の頃は公文のCMが流れる度、「行く訳ねぇだろ、公文式!」とテレビに向かって吠えていた。「やってて良かった!公文式♪」という軽々しいセリフを初めて聞いた瞬間、カーーッ...チーーーーン!!!!!!と、スーパーサイヤ人化してしまった。やってない君は損をしているよ、君も当然やるよね?という魂胆がダダ漏れで、小学生の私の神経を大いに逆撫でしたのである。その後もCMが流れる度に「クモンのことかーーーーーーっ!!!!!!!」とサイヤ人化していた。

 そんな奴が中学受験などするはずもなく、当然公立の中学に上がったが、時は経て大人になってから“お受験”の子に塾で教えていた経験がある。そのときはさほど思わなかったが、今思えばわざわざ七面倒くさくした回りくどい問題に取り組ませ、それが何になる?というのが率直な感想だ。それらの問題は公文のCMでサイヤ人化していた頃の私には間違っても解けないものだが、教え子に理解させるのも相当困難だった(もちろん私の指導力もある)。

 しかしそんな問題も大人の私には解いていけたので、これをポケモンで喩えるなら、レベルが上がり自然に覚える技を、大枚をはたいて技マシンを買い、幼いレベルで無理やり覚えさせる、というところだろうか。もちろん小学生でそれらの難問が解ける思考力を鍛えることに意味があり、エリートを育てるのに必要という考えはわからなくもない。だがそれは大半が親の希望で、本人の希望ではないのではないだろうか。もちろん当人自ら受験を望んだり、それら教育を後々ありがたく思えたりするのであれば言うことはない。これはあくまで私の狭い経験で抱いた個人的感想で、これ以上の言及は控える。

 時は戻って、私は中学生。死んでも塾に行くかと思っていた。小学校以上に長時間机に拘束され、部活でさらに疲れて帰り、なぜまたすぐさま学校のような場所に行かねばならぬか、到底理解出来なかった。カツ丼食べた後にカツカレー食わないだろう。カツ丼食べて、天丼も追加で!とならないだろう。カツ丼だけで腹いっぱいなのである。まぁ親がそこまで厳しくなかったので行かずに済んだのだが、塾に行かないために自主学習を頑張っていたと言っても過言ではない。...と言いつつ自主学習の際にビートルズの赤盤ばかり聴いていたが、とにかく3年はあっという間に経ち、模試であまり安泰とも言えぬ高校を受験し、幸いにも合格した。真面目だか呑気だかわからない奴である。

 一方で大学受験は失敗し、某〇〇塾に通って1年浪人をした。浪人だと普段学校に通っている訳ではないので、学校に行くのとほぼ変わらない。カツ丼・カツカレーコンボではないので無理なく通えたが、教えている人間の種類が全く違って驚いた。カツ丼ではなく、タイ料理が出て来た。予備校講師のクセが強いことは有名だが、私も実際に通ってみて、授業が始まる度に毎回「クセ、強いなぁ...苦笑」と思っていた。

 特に印象が強かった講師を1人挙げると、おそらく当時30後半〜40前半、細身で身長高め、メガネをかけた理系っぽい男の英語講師がいた。「この文章の動詞は〜〜という意味の他動詞としての使われ方ですね?だから後ろにこんな選択肢が来れる訳ないんです!なので①と③の選択肢は×」とか何とか、確かな英語知識でズバズバと問題を解いて行く。解いては行くのだが、着ているTシャツが『はんなり豆腐』 なのである(画像参照)。しかもキャラの絵の横には「ゆったり行こう」的な脱力系のセリフまで添えられている。授業が進むにつれ解説はさらに熱を帯び、速度は増し、真剣過ぎてもう講師も若干キレ気味である。だが胸にはユルい豆腐のキャラと「ゆったり行こう」のセリフ。私はやっていることと着ている服がここまで食い違っている例を初めて見た。授業後には、自分の著書を買えとゴリゴリに宣伝していた。その日床に就く間際、学んだ英文法が一切思い出せなかったのは言うまでもない。

追伸、そうして大学受験を終えて10年以上が経った今でも、この後の予定を頭で組み立てる際に「え〜と、まずは英語から手をつけて、それから...」と考え出してしまう私がいる。受験のプレッシャーでボコボコに出来ていた口内炎は治っても、一度破壊された脳神経は戻らないということを示している。

受験勉強後遺症。

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