ネトウヨの終わり。 ~排外主義から小さな政府論へ~

最近、日本保守党が結成されるも、内ゲバで大した成果を残せず、泡沫政党となりつつあります。参政党もそんな感じ。
 情勢は「保守分裂」の様相を呈しており、もはや保守の人もなんで、集合してるのか良く分からなくなってきました。
 そこで、保守の歴史を少しずつ書き、保守イデオロギー運動の終わりにしたいと思います。

きっかけは日韓ワールドカップ

 ネット保守主義、いわゆる「ネトウヨ」の勃興はインターネットの発達と日韓ワールドカップの韓国の反則プレーの横行がきっかけです。
 ただ、誤解を恐れず言えば、それ以前にも韓国・朝鮮の人達に対する差別というのはありましたが、それは、身体的にきつく、経営者も割と柄が悪い、炭鉱労働とか、飲食業という職業ごとの差別として存在していました。
(ここら辺は「ヤクザの起源」とかにもつながる話で、福島のいわきにあるいわき市石炭・化石館「ほるる」とか「殺しの柳川」という異名で知られた伝説の在日ヤクザ、柳川次郎とか調べると当時のことが良く分かると思います。)
 ある意味、これは「ガテン系って柄悪いよね」というくらいの差別であり、「民族に対する差別」ではなかったような気がします。
 これが民族に対する差別になったのが「ネトウヨ」の勃興期である2000年代後半以降です。


嫌韓流の発売と「在日特権を許さない会」の結成

2005年、日韓ワールドカップの韓国の「カンフーサッカー」(韓国サッカーのラフプレイの通称。カンフーと言われているが、韓国である。中国でも稀にやるらしい)や歴史問題を糾弾した嫌韓流という書籍が発売。
 また、それに影響を受け「在日韓国人の隠れた特権を暴く」という形で「在日特権を許さない会」が活動をはじめ「行動する保守」として活動し始めます。
 日本に大きな、嫌韓の流れが起き、書店には「嫌韓本」というジャンルが平積みされる状況になりました。(信じられないでしょ?本当にあったんですよ。こういう時代。)
 その嫌韓本の流れを受け、「最近のK-POPごり押しは、反日マスゴミの陰謀」とするような思想的潮流が生まれます。
 これが現代の保守団体。ネトウヨ団体の起源です。
(これがだいたい2005年くらいの話です。)


移民の反対運動と大きく結びつく

 そして、当時の政治的イシューとして、移民を受け入れるかどうか、という問題がありました。
 すっかり移民を受け入れた今からは考え難いことですが、当時は移民は全然日本におらず、「移民を受け入れると大きな問題が起こる」と皆が感じていたのです。しかし、少数者の側に立つマスコミはこういうことを報じない。こうした状況が「反日マスゴミは真実を隠している」という潮流を生み出すことになるのです。と、同時に当時普及してきた新しいメディア「インターネット」はテレビにない、刺激的な情報を提供し、その中には「朝鮮人の真実」「在日特権の真実」といった。過激な排外主義を主張するものもありました。
 前述した「在日特権を許さない会」の代表、桜井誠氏は、「不思議の国の韓国」という嫌韓情報を配信するサイトの管理人でした。
 この、俗にいう「ネットで真実」というテクノロジーの進歩と、移民という不安、「反日マスゴミ」という思想的イデオロギーが大きな「ネトウヨ」という思想を生み出すことになります。
 これが2000年代の話かな。


「在日認定」という「お前は非国民だ」的な言説も流行りました。

ポピュリスト安倍晋三の誕生

こうした流れを受け、ネット右翼へのアピールと熱心なネットサポーターを受け、安倍政権が誕生します。

安倍氏はこのようなネット世論を味方につけ、大規模な財政出動と「左翼をいじめるアピール」で世論を味方につけ、長期政権を敷きました。

ヘイトスピーチ規制法の制定

また、こうした流れを受け、2016年ごろから、住民同士のトラブルを回避するため「ヘイトスピーチ規制条例」を制定する自治体が増えました。
 また、大阪市長(当時)の橋下徹氏は、直接ケリをつけるため、公開対談を行い、行政の力でもって、排外主義の影響力を無くす活動を行いました。
ここら辺は「強いリーダーシップ」を使って行動する橋下氏らしい、とは思います。

2020年 移民の時代 ~排外主義は下火へ~

 そこから10年の時を経て、日本の人口減少も伴い、日本には移民がたくさん来ました。体感では2022年ごろから外国人が増えたような気がします。
 さんざん言われていた、「移民のトラブルがどうとか」もなんのその。やってみれば、別に大したトラブルは起こらず、移民の人は日本人が付かない仕事を真面目にやってくれました。
 ここら辺は、世界各国で移民を受け入れた国全般に起こることであり、移民のことをよく調べれば驚くに値することではありません。


日本も、貧しい時代「移民する側」の国民だったことがあり、当時の様子がうかがい知れます。今でもブラジルには日系人コミュニティがありますね。

それと同時に、やっぱり、いない間は悪口言えるものの、いざ正面に来たら悪口は言いづらいものです。外国人と暮らしたりするにつれ、排外主義は下火になっていきました。

韓国保守政権誕生と日本保守党の結党

 そのころ、韓国でも動きがあり、韓国で左派政権(北朝鮮寄りの政策、太陽政策とも)から保守派の親米より政権が誕生しました。
 その気を逃さず、アメリカが日米韓首脳会合の開催を決定。政治主導で、日韓の関係改善を図りました。

 ここらへんになってくる、とポップカルチャーとかを通じて、日韓の関係はだいぶ改善していた(気がする)感じであり、嫌韓潮流も下火になっていきました。
 ただ、アメリカがこの首脳会合を定期的に行う、としたのは、過去幾度となく、悪化した日韓関係にくさびを打つためであり、東アジアにおける、アメリカのプレゼンスや民主主義国家の勢力維持を保つ目的が大きいでしょう。

安倍晋三の総理大臣辞任と暗殺

そんな政治世界が改善していくとともに、「反日国家韓国」という明確な敵を失ったネトウヨは内ゲバで分裂していきました。あとは、安倍晋三の暗殺も大きいかもですね。
 安倍晋三氏は、もともと、日本会議や保守思想と近い思想を持つポピュリストで、代表的な保守の政治家でした。2022オリンピック直前に総理大臣辞めたので、当時は「最大派閥の長、安倍晋三」として、政治に影響力をもたらそうとしていたのですが、そんな折に、突然暗殺されてしまいました。

KAZUYA氏は保守の論客でしたが、2023年、最近、保守の批判をボチボチしてることも増えた気がします。

安倍氏の死とLGBT理解増進法をきっかけに日本保守党を結党する百田尚樹氏。安倍氏の死とともに「左翼」になった自民党に怒っている。

そんな感じで、最大の敵である「韓国」を失ったこと、安倍晋三の死とともに、ネトウヨは思想的基盤を無くし、統一性を欠いてしまいました。
 そうこうしてるうちにグダグダになり、「保守」の意味も失われました。

排外主義の終わりと、新しい「保守」

で、そうこうしてる内に、保守を名乗る。新しい政治論が出てきました。
「小さな政府論」です

多分、代表的な論客。霞ヶ関女子氏。個人的に「保守」の意味を排外主義から「小さな政府論」に変えた元凶だと思ってる。

大学無償化に反対する人たち。皆、支出批判をして「俺らの金を自由に使わせろ」的な小さな政府論の主張。

 実はもともと「小さな政府論」を「保守」と名乗るのは、アメリカの共和党くらいしかないので、思いっきりアメリカ共和党の影響を受けてると思います。特に「隷属への道」は共和党員必読の書と言われています。
 アメリカ共和党は特に、「小さな政府論」を進めて甚大な経済成長をした「狂騒の20年代」いわゆる「古き良きアメリカ」を理想としているので、小さな政府論を進めてるわけです。ほかの国(日本も含む)の保守は結構大きな政府論が保守と言われることが多い気がします。

 勢いだけの排外主義だった、保守から「小さな政府論」という経済思想になった段階で結構な知識人っぽい人が入ってきた気もします。
まぁ、私は大学無償化は賛成ですけど。

だいぶ、主観の入った歴史観ですが、俺が見た感じはこんな感じですね。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?