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(短編小説)まっすぐなねじ花(2)

 梅雨に入った。台風も次々やってくる。高い湿度は文字通り頭痛のタネになる。京子は重い頭と体を引きずるように、図書館通勤を続けていた。起き上がれるうちは、まだ大丈夫と他人のような自分の体に言い聞かせるのだ。
 そんなある日、兄から長いメールが届いた。
 (貴方の亡夫は前妻との離婚に際し、二人の子供が高校を卒業するまで養育費を払い続けることを確約したのにも拘わらず、途中で投げ出しました。再婚して子供をもうけたことで、そちらを優先したのでしょう。途中から、私たちは存在しないものとされてしまったのです)
 弁護士は代理人に過ぎないから、直接、相手の女性に手紙を書いて読ませるつもりだそうだ。
 (夫婦と云えば、一心同体も同じ。貴方も亡夫がやり残した義務の一端を、過去にさかのぼって担うべきではないですか)
 一心同体。久しぶりに聞く言葉だ。兄は、何にこだわっているのだろう。
「紙切れ一枚で、事を済ませようとするその魂胆が許せないだけだ」
 メールの最後には、そう書かれてあった。

 夏の盛り。もうすぐお盆で帰省の季節。今年は、帰らないつもりでいた京子に訃報が届いた。祖母が亡くなった。娘である京子の母親が誰だかわからなくなり、やがて手足も不自由になり、手に負えなくなって施設に預けるしかなかった。祖母も元気な時から、いざとなったら施設へと伝えていたそうだ。母子家庭になってから、母親が一日中働いて家計を支え、その間、孫達の面倒をみてくれた祖母。愛情を与えてもらって育った京子は、帰郷の間、ずっと涙が止まらなかった。骨を拾いながら泣くだけ泣いた娘と孫娘は、葬儀の翌日にはすっきりした顔になっていたが、ひとり憮然としたままの兄がいた。
 「お兄ちゃん、まだごねてるらしいね」と母がささやく。 
 「そうみたいよ」
 母は、母なりに精一杯やってきたから悔いはないだろう。京子は、父親の面影さえないから、こだわりはない。兄だけが、過去に取り残されたままだった。肩車や、つたないキャッチボールや、ひげ面を押し付けられた時の痛痒い感覚がまだ生きているのだろう。
 「自分探しってやつ?」「そういうもんかね」
 
 故郷をあとに再び戻る途中で、京子は気づいた。
 (今年は何もしていなかったわ)
 7月4日は兄の誕生日。とうに過ぎてしまった。
 その日は、アメリカ独立記念日でもある。昔、『7月4日に生まれて』というアメリカ映画を家のテレビで兄と見たことがあった。憧れの海兵隊員となった青年が、ベトナム戦争に勇んで参戦し半身不随の負傷を負い、帰国後は車いすの生活を余儀なくされる。やがて、青年は苦悩の末に反戦運動に身を投じていくのだった。京子は、その青年に今年も庭にひっそりと咲いているねじ花を連想していた。ねじれていても、いやねじれているゆえに、その可憐な花は美しいと思っていた。しかし、よく見れば、ねじれているのは花ではなく、茎だということをこの帰郷で初めて気づいた。花はただ、ねじれた茎に従って、素直に咲いているだけなのである。
(なんと。7月4日の誕生花は、ねじ花! 花言葉は思慕。そうなのか。ふ~ん)
 スマホ画面から顔を正面にすえた京子は、しばらく中空をにらんでから、小さくうなずいた。
 (改めて誓おう。兄の判断に従うこと。私は、秋晴れを待って、この夏を乗り切るのみだ)
 車窓の風景が田園からビル群に変わって、京子は背筋を伸ばし下車の準備を始めた。
                                   (了)

陸奥(みちのく)の しのぶ もぢずり 誰ゆえに 乱れそめにし 我ならなくに
(もぢずり=ねじ花のように私の心が乱れるのは あなたのせいです)
                                         古今和歌集より



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