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(超短編小説) きゅうりの雄花

  「黄色い花が咲いたら観察してみて下さい。雌花の下には、きゅうりの赤ちゃんがくっ付いていますから、すぐに分かりますよ」
 園芸教室の先生は、質問に答えて、雄花と雌花の見分け方について説明した。雪子も質問してみた。
 「先生。赤ちゃんが出来てるってことは、すでに受粉した後ってことですよね?」
 「いい質問ですね。その答えは、Yesでもあり、Noでもあるんです」
 生徒達は怪訝な表情をして、次の言葉を待った。
 「つまりですね。きゅうりは雌花だけでも実を結ぶことが出来るんです。雄花との間で受粉出来なくても、しっかりと実を付けてくれます。これを単為結果といいます。」
 「ということは、雄花は無用な存在ですか?まるで、私みたいじゃないですか?」
 別の男性がふざけて言うと、教室に笑いが起こった。
 「あなたの家庭の事情までは分かりませんが」と苦笑しながら前置きして、先生は説明を続けた。
 「単為結果で出来たきゅうりには、種がありません。しかし、雄花との受粉で出来たきゅうりには種があります。子孫を残す種です。ですから、安心してください。雄花も必要なんですよ」
 「そりゃ良かった。安心しました」
 教室の男性全員がほっとしたことだろう。しかし、きゅうりの世界では、 雄花の地位は雌花よりは格段に低いのではなかろうか?と雪子は思った。
 
    雪子が植えた4株のきゅうりの苗は、順調に育っている。しかし、地面にしぼんだ花が落ちていて、ほとんどが雄花たちだ。雌花との受粉を終えた雄花なのかは知りようもないが、受粉もしないで落花した雄花もあるだろう。雨に濡れた雄花たちのそのあり様に、雪子はひところ流行った(濡れ落ち葉)という言葉を思い出した。

   定年の日。父は花束を抱えて帰宅した。
妻から(お疲れ様でした)の言葉もなく、突き出されたのは離婚届けだった。
  「限界です」とだけ言い、いさぎよく財産分与も要求せず、母は家を出た。父には女がいた。母は当初から気づいていたが、子供たちの為にずっと我慢していた。私と最後に弟が成人して家を出てからは、どんな毎日を送っていたのだろう。
  狭いアパートに移り住んだ母は、ベランダにプランターを持ち込み、支柱を立て、きゅうりを育てた。(今年もたくさん採れたよ)と毎年送ってくれた。母は単為結果を知っていたのだろうか?去年亡くなり、見事にひとりで生き抜いたと雪子は思う。
 
   父は離婚後、すぐに女と別れた。一人暮らしの中で、庭で花や野菜を育て、その経験を活かして今年から園芸教室の先生をしている。その職を目指すことをすすめたのも、夫の承諾を得て、その教室のアシスタントを始めたのも雪子だった。濡れ落ち葉になりそうだった父を、どうしても見放すことが出来なかったのだ。

 (お母さん、ごめんね。きゅうりが出来たらお供えするから、許してね)
  教室を終えた父を見送り、雪子は空を見上げて小さく手を合わた。                                                
                             (了)
            
         きゅうりの花の花言葉
              洒落(しゃれ)
        やけ酒でも飲んで落花するのか?  

雄花


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