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「音楽はアルバムで聴くべきだ!」というある種の「誤解」

どうも。例によってブログで扱うには雑然とした内容になりそうなのでnoteにて書き殴ってみます。

私のTwitterないしブログをご覧になっていただければわかると思うんですが、基本的に私は「アルバム」を1つの単位として音楽を捉えています。この前投稿したディスクガイドだって「アルバム」50選な訳ですし。

(ここぞとばかりに宣伝していくスタイル)

で、私の知人がなんかの気まぐれで私のブログだったりTwitterだったりを見たらしいんですが、こんな質問をされたんですよね。

なんでアルバムの話ばっかりしてるの?

彼の言い分としては、音楽って「楽曲」を楽しむものであって、その集合体であるアルバムに注目するのがイマイチわからんということみたいです。

この話をTwitterに投稿すると、結構反響ありまして。リプライもいくつかいただいたんですが、「逆になんでアルバムで聴くのかわからないのかがわからない」っておっしゃる方が多かったんですよね。

私個人の立場からすれば、全くの同意見です。アルバムで聴いてナンボじゃろ!と、そう思うからこそ毎日毎日飽きもせずアルバム・レビューなんてことをしている訳ですしね。

ただ、この価値観の違いって、一概に切り捨てることもできないんじゃないかと思ったんですよね。手のひら返すようでアレなんですが。

まずもって、

少なくともごくごく一般的な音楽ユーザーというのは「アルバム」というものに関心がない。

このことに我々捻くれた音楽オタクは気づくべきなのではないかと。

その知人に限らず、私の周囲の人間(音楽を通じて知り合った人は除きます)って、基本的にYouTubeだったりサブスクで音楽を聴いているんですよね。

違法音楽アプリを平気で使う人もいましたけど、目につく範囲で糾弾しまくったらそういう人はいなくなりました。多分嫌われたと思いますが、そこは厄介オタクの意地として譲れない部分だったので。(オタクのダメなところ)

で、そういうメディアって基本的に音楽の単位が「楽曲」ですよね。YouTubeに新曲を丸ごと投稿するミュージシャンはたくさんいますけど、新アルバム丸ごと投稿する人なんてほぼいませんし。サブスクだって「人気楽曲」のチャートはあっても「人気アルバム」のチャートはないじゃないですか。

そういうカルチャーの中にいる現代的な音楽ファンって、「アルバム」というものを意識する機会がないんですよ。良い悪いじゃなく事実として。

仮にアルバムの話をするとしても、それは「アルバムに入っている楽曲」の話になることが多い印象もあります。実際、「このアルバムは中盤のバラードから一気にテンションあがる展開がいいよね」なんてことを言ったら不思議がられた経験ありますし。

さて、翻って我々厄介な音楽ファンはどうでしょう。クラシカルな音楽を志向する方であれ、最先端の新譜を目ざとく追いかける方であれ、かなり「アルバム」に意識を向けている人が多いですよね。

年末になると個人から大手メディアまでがこぞって「年間ベスト・アルバム」を発表する文化はすっかり根付いていますけど、「年間ベスト・ソング」ってそこまで見かけないじゃないですか。話題性もアルバムのランキングほど高くないですしね。

じゃあ、ここで我々は先に触れた一般的音楽ユーザーを「聴き方が浅い!」と一蹴していいものでしょうか。

私はダメだと思います。

おお、急にお利口さんだ。

というのもね、アルバムを1つの単位とする価値観、私はこれを「アルバム文化」と表現するんですが、それってポピュラー音楽の歴史の中で言うと中途参入した概念なんですよ。

ハイ、こちら皆さんご存知ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』。この作品で提示された「コンセプト・アルバム」という概念、ここから始まった潮流でしかない訳です。

「でしかない」なんて乱暴な言葉遣いをしましたが、もちろんこの価値観の意義は巨大ですよ。『トミー』も『狂気』も『ジギー・スターダスト』も、『サージェント・ペパーズ』なくしては存在しないんですから。

ただどうでしょう、この中途参入した概念は絶対的なものではないと思うんです。

プレスリーやJB、フィル・スペクター絡みにモータウン系列、この辺りは「アルバム文化」より前のアーティストですからその活動はシングル主体です。この辺の面々が名盤ランキングで見かけないのはそういう理屈なんですが。

それに「アルバム文化」以降でも、例えばMTVの時代なんてのはミュージック・ビデオとの相乗効果を狙うことがメジャー・シーンにとってはスタンダードでした。名盤だってあるけれど、音楽の聴かれ方は必ずしもアルバム・オリエンテッドではなかったと言えます。

もっと言えばヒップホップのカルチャーなんてのは、ロック中心に構築された「アルバム文化」の外側からシーンに殴り込んできてますからね。アルバムというフォーマットに対する認識はかなり違ったはずです。だからヒップホップのアルバムって長くなりがちだと個人的には解釈していますが、これは半分妄想なので……

そして現代、音楽の聴かれ方は前述の通り楽曲中心になっている訳ですが、これって言い方を変えれば「戻った」とも言えるんですね。

ここのところを理解しないといけないのかなと思うんですよ。「アルバム」が音楽の最小単位だった時代というのはごくごく限定的なのではないかと。

この認識の違い、あるいは我々が抱く「音楽はアルバムで聴くべきだ」という「誤解」は注意すべきものな気がしています。

個人的な経験だと、オススメの音楽を聴かれたときにイエスの『危機』を紹介したんですよ。で、皆様の予想通り当然不評でして。「曲が長くて聴きにくい」とクレームがでる始末でした。

ただこっちからすると、「『危機』なんて40分もないコンパクトなアルバムじゃないか」ってなもんですよ。お前の好きなレッチリの方がよっぽど長くて聴きにくいじゃないかとも思ったんですが、それもこの「誤解」が生んだズレなんですよね。

ただ、じゃあ今の音楽の聴かれ方を全肯定すべきかと言うと、それもそれで危険だと思っていて。

……とここまで書いていて、別のテーマの話に発展する予感がしてきたので一旦ここで区切っておきます。

このnoteで言いたかったのは、「アルバムで聴くことだけが重要なんじゃないかもね」という、ゴリゴリのアルバム派閥の私の個人的な気づき。

ただ、こういう音楽への姿勢みたいな要素って、厄介オタクにとっては無視できないトピックでもあると個人的には思っています。


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