"Welcome 2 America"に思う、死後の作品リリースに関するあれこれ
いつもは長文はブログに書くんですが、今回はかなり雑然とした内容になりそうなのでnoteに投稿してみます。
さて、7月30日にプリンスの「新作」、"Welcome 2 America"がリリースされました。もうお聴きになりましたか?
アルバムはもう流石の一言で、プリンスって本当に才能の枯れない人だったんだなと感動すると共に彼がいないことに改めて悲しみを覚えもしたんですが、今回話したいのはそういうことではなく。
何かというと、「アーティストの死後に音源がリリースされるの、どうなの?」っていう話です。
個人的に死後のリリースには否定的な立場なんですよね、というより「未発表音源」というものにあまりいい気がしないというか。
というのも、アーティストが意志をもってお蔵入りにした作品なんですから、そこには何かしらの「作品になれない」要素があったはずなんですよ。それは単にクオリティの問題だったり、タイミングを見計らっているうちに機会を逸したみたいなものだったりするんでしょうけど。
で、それをアーティストの意志が介入できない状態で勝手にこじ開けちゃうのってどうなのかなと。音楽は聴かれるために存在するとは思うんですが、聴かれるべきでないとされたものまで聴きたいというのは好奇心としてやや不健全な気がしないでもないんです。あくまで私個人の見解として。
ただ、音楽って芸術であると同時に商業でもありビジネスでもありますから。「◯◯の未発表音源、遂にリリース!」なんて謳い文句は実にキャッチーだし、商売として音楽に携わる人間からすると見逃す手はないでしょうね。
それにアーティストの側だってそんなことは百も承知なはずです。「有名税」みたいな表現は好きではないですけど、彼らの未発表音源にどれだけの価値がつくかなんて、アーティスト本人が一番よくわかっているでしょうから。
それこそプリンスを例に挙げると、彼ってとんでもない多作家ですよね。レーベルの契約をオーバーしちゃう量の作品を作ってしまって変名でこっそりリリースなんてこともしてたくらいですし、自宅から大量の未発表音源が発見されたなんてニュースもありました。
その中に、ソースは朧げなんですが、ペイズリー・パークの金庫の中から音源が見つかったみたいな話もあって。その厳重な管理ぶりからして、必ずしも全部が全部ボツという訳ではなかったのかもしれません。
今回の"Welcome 2 America"だって2010年に発表予定で、完成した状態で眠っていたものらしいですしね。契約か何かの理由で、「聴かれるべきものが封印されていた」のだとしたら、アーティストの死後、しがらみを脱してそれらが日の目を浴びるというのは喜ばしいことだと思います。
ただ、私が「死後の音源リリース」に否定的になってしまうのは個人的な体験に基づく部分が大きくてですね。
というのも、マイケル・ジャクソンの死後の一連のプロジェクト、あれがもう全く納得いかないんです。
MJも実は制作ペース自体は結構な多作家で、生前から大量のアウトテイクは存在していたんですよ。それで彼の死後、未発表音源を編集した"Michael"と"Xscape"という2枚のアルバムがリリースされているんですね。
”Michael"発売のとき私は11歳で、今みたいにひねた音楽ファンでもないただのMJの信奉者だったのでものすごく楽しみにしてたのを覚えています。死後に彼のファンになったということもあって、「マイケル・ジャクソンの新譜が聴けるなんて!」と胸をときめかせて発売を心待ちにしていました。
それでいざ聴いてみたら……もう内容が全然ダメで。11歳にして「駄作とはこういうもののことか」とすら思いましたよ。あの失望感は忘れません。
楽曲が悪いとかそういうことじゃなく、「マイケル・ジャクソンの音楽」じゃなかったんですよ。直感的に。何が違うのか当時の私にはわかりませんでしたが、少なくとも「違う」ことだけは確かで。
それは今にして思えば、MJの想定とは異なるプロダクションの結果なんでしょうね。そもそもデモの状態で残っているものを、作り手のMJ抜きに完成させたんだからそれはもうマイケル・ジャクソンという「素材」を使った別の曲でしかない訳で。
挙げ句の果てには一部の曲はMJの「そっくりさん」が歌っているみたいな疑惑まで出てくる始末で。これがまた「疑惑」ですめばよかったんですが、事実だったというのがなお悪い。
続く"Xscape"もイマイチしっくりこなかったんですよね。正規版よりむしろ、ボーナス・トラックとして収録されたネイキッドなデモ・バージョンの方がよっぽど優れた音楽に聴こえてしまうという。
話をプリンスに戻すと、今回のアルバムはさっきも言った通り完成していたものですからそれはどこまでいっても「プリンスの音楽」です。事実優れた音楽作品だと思いますし。
ただ、音楽ってすごく精神的な営みだと思うんです。作り手の精神がそこには大なり小なり反映されるし、それってアーティスト本人以外の人間には真似できないオンリーワンのものなはずなんですよ。
その点で言えばクイーンの"Made In Heaven"だったり、ZEPの”Coda”だったりはある種救いがあるというか。
確かに前者であればフレディ・マーキュリー、後者であればジョン・ボーナムという不世出の才能抜きに作られたものではあるけれど、バンドとしてのクイーン、バンドとしてのレッド・ツェッペリンの精神は残されたメンバーによってある程度は補完できる部分でしょうからね。
ただソロ・アーティストとなるとその補完って絶対に無理なんですよ。せめて出すなら発見されたそのままの状態で、と思いますが、それはそれでさっき触れた「聴くべきでないものは聴くべきでない」(某大臣みたいな口ぶりですがなんとなく伝わると思います)という個人的な考えからすると憚られますし。
「何を面倒なことを、聴けなかった音楽が聴けるんだからいいじゃないか」という率直な意見もよくわかるんです。ああだこうだ言いながら結局私だって"Welcome 2 America"をまんまと聴いている訳ですし。
ただ、このトピックってもう少し慎重に吟味されるべきものな気もするんですよ。
あまり考えたくない話ではありますが、ここ数日有名アーティストの訃報が続いているようにに、多くのアーティストが亡くなるタームというのは近い未来必ずやってきてしまいます。そうなると必然的に、死後の音源リリースというのは増えるはずですから。
結局はいいか悪いか、好きか嫌いかの二元論に帰着する話だとも思うんですが、死後の「新作」というのは通常の新譜とは違った性質を持つ(持ち得る)ことは意識した方がいいのかなぁなんて思う訳です。
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