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なぜ働いていると本が読めなくなるのかの問いと文化的な生活について②


前回からのつづき


この本の解説から本来始める方がいいと思ったが、実際にやろうとしたらめちゃくちゃ面倒くさい。
そもそもググれば簡単にわかることを縮小再生産する行為をやりたくないという僕の素直な気持ちに従いたいと思う。


なぜ働いていると本が読めなくなるのかへの不満


とにかくこの本に抱いた不満は結局なにも言ってなくね?ということだ。

質問しても関係あるんだかないんだか分からないことを言われて、?マークを抱いたまま、ありがとうございましたとなんともえいえない顔をした質問者が答え返す例のあれだ。無意味な会議での一幕をパズドラ社会人みな経験があるだろう。

要するに、この本は明治から現代に至るまで本の読まれ方の分析をしており、麦のパズドラ状態を脱する答えには直接答えていないのだ。

で、著者の最終的な提言は全身全霊の社会をやめて半身社会で生きて本でも読んでノンビリ生きようぜ!みたいなニュアンスだ。
個人的には賛成できることも多数あるが、パズドラ状態の麦にはおそらく届かないだろう。

たとえば学校のいじめに悩んでいる15の少年がいたとしよう。
その少年に君が悩んでいるの明治期からはじまっている日本人の本来持っている生き方と制度上の学校の歪みによって生じてるんだよ。だから、大丈夫!一緒に学校を変えよう。それに悩みなんて年取ったら忘れるから大丈夫。

おぢであるぼくは、当事者意識ゼロのアホ顔でそのとおりだなぁと偉そうにのたまえるだろう。
しかし、こんなことを言われたら悩んでる少年は、どう思うだろうか。僕が少年に戻ったら、心の一つも分かり合えない大人たちを睨み、盗んだバイクで走っているだろう。(昭和限定)

ここまで言っておいてなんだが、読んで無駄になることはないのは断言しておこう。著者の言うノイズの部分で面白い発見は数カ所見当たったし、関連する書物を結局読んでるのだから著者の目論見通りには進んでると思う。
例えるなら宝探しをする時にいろんなキーワードを与えられてる感じ?
謎解き人間のぼくには十分刺さる内容だった。

パズドラ麦くんへ


話を戻す。
パズドラ状態の麦へのぼくなりの回答を考えていきたい。

まず、問いをたてたいのが、いいエンタメとはなにかについてだ。
この答えがない限り、パズドラも読書も人を楽しませるという広い意味でのエンタメの定義に当てはまり文化的な生活を送れてると言えなくもないのだ。

いいエンタメを探究するのにさらなる補助線として紹介したいのが、YouTubeチャンネルのある動画だ。

就職にまつわるエピソードをユーモアたっぷり皮肉もたっぷり詰め込まれているハイブリッドチャンネルだ。
時々就職には直接まつわらない?上記のような作品も作っている。ちなみにそういうに傑作が多く、「金融義賊」もオススメだ。

この作品で皮肉たっぷりに描かれているのは、本来人を楽しませるという目的のエンタメが、ある段階のビジネス的フェーズを経ると、エンタメが搾取の道具になるという示唆だ。

詳しくは動画を見ていただきたいが、簡単に説明すると文化をなにも知らない妖精たちが最初は紙芝居や童話で感動している。
それが映画漫画アニメゲームと普及するにつれ徐々に妖精たちの生活が荒廃していき、さらにはスマホ果ては倍速視聴で本来人を楽しませるためのエンタメが、時間と金をひたすら奪われ続ける道具になってしまうという逆転がおこる。
これは明らかに現代の風刺として描いているだろう。

ぼくはこれをみて思うのは、ホストやいただき女子、あるいは西野亮廣のエンタメ研究所なる著作も全てこれで説明できると確信したのだ。

長くなってしまったのでまた次回に譲るが、いいエンタメを考える上で、悪いビジネスとしての搾取のエンタメを区別する。

そして、死んでしまった麦の心に本来届けるべきパズドラではないなにかを考えていきたい。
ちなみに、時間が解決するとかめっちゃ寝るとかのほうが解決するような気もするが、身も蓋もないのでそれはあえて考えないことにする。

つづく

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