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なぜ働いていると本が読めなくなるのかの問いと文化的な生活について①

「花束みたいな恋をした」という映画をご存じだろうか?
個人的アカデミー賞では全僕が泣いたことで有名なあの作品である。

 サブカル好きだった麦(菅田将暉)と絹(有村架純)が恋に落ち、素敵すぎる文化的生活を送っていくが、「働く」というテーマが彼らの間にすれ違いが生じ、最後は「恋をした」となる話である。

この作品はどこを切り取っても素晴らしい描写があり語りたくなるような作品であるし、今後も擦り続けていこうとおもっている。

しかし、あえて断腸の思いで1つに絞って言及するならば、現代社会は文化的な営みも「労働」に還元されてしまうという恐ろしさを意図的か意図的ではないかに関わらず描かれているところだろう。
少しネタバレになってしまうが、麦は就職とともに文化的な趣味に興じることは出来なくなり、絹は怪しげなイベント会社に転職する。
麦は労働の辛さもあるのか「パズドラ」しか出来なくなり、絹が読んでる漫画を子供っぽいつまらない趣味のような態度を絹にとり、逆に絹はYouTuberが言いそうな「好きなことで生きていく」を地で行くような働き方を選択し、麦の生き方とズレていく。
麦は労働で心を失い、絹は労働に文化的であるということを売り渡す。
そしてふたりは「恋をした」ことになる。

僕も仕事に身体も心も疲れ切っていた時、パズドラのような機械的アプリゲームしかできなくなった経験や工場の単純な労働に飽き飽きしてクリエイティブな仕事で自己実現を果たすべきではと何度も考えた。
だから、僕の心に麦と絹のふたりがいてどちらにも肩入れできすぎないところがこの作品のすごいところだ。

恋愛視点でもどうすれば二人は別れずに済んだか考えずにはいられない。こんなに考えたのは「秒速5センチメートル」以来かもしれない。
このどうしたら別れずに済んだかというテーマも今後まとめたいことではあるが、今回話したいことは別のことだ。

恋愛をベースに現代社会を描きつつ、2方向から労働に搾取されている様を見せつける現代の資本論とも言える作品ではないかということだ。(異論は認める)
マルクス御大にもぜひ見せたい作品であることは間違いないだろう。

そして、この作品の補助線として「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を見ていきたい。

本著も「花束みたいな恋をした」にも多分に触れており、pivotの著者動画の解説でも、麦が本を読み続けるにはどうすればよかったかを裏テーマにしているらしい。

次回本著の論旨と僕独自の考察に入っていき、文化的に生きるとはについて考えたい。


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