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英検:一年で一点UPだけ?!

今日まで細々と続いている私の英語の勉強は、この「英検準1級合格!」が始まりだったと思う。何だかこの頃から一気に元気が出てきた。

あの頃から今まで、基本英語についての考えはあまり変わっていないと思う。そう、今も未だ全く道半ばである。(じゃあもっとやりーさ、とは思ってはいる。思うのは簡単・・。)

あの頃の私にとって、準1級はまだまだ難しかった。1番の語彙選択の、語彙も分からなければ、まず問題文がさっと読めずでひっかかる。そんなところからだった。

長文も全く分からなかった。何の話か分からない。例えばバッタを普通に「grasshopper」と書いてくれりゃ分かるのに、「locust」と書いてあれば「?」となる。こんな風に全部一つずつ潰していくしかなかった。

私は今もそうであるが、英検もTOEICもまず、全く本番仕様でやってみる、同じように時間を測り、何も飲まずトイレもいかず。その本番モードをやってから、採点し、そして間違いをさらっていく。本番モードの中でまず本気でやってみないと、どれだけ届いてないのかなどの逆算は全くできない。

準1級の時も、その取り組みの後、特に長文は、A3の拡大コピーにして、分からなかった単語の書き込み、分からなかった構文の理解、そんな地道な方法しか英語上達ってのぞめない。そんなことをずっと繰り返した。

先に結果をお話しすると、なんと9回目でやっと合格した・・・。2次は一発で受かったので、8回一次を落ちた。一年に6・10・1月と3回試験があるので、三年かかったのである。

もう私の大切な英語親友たちは、皆私がどんなに一発や二発でサッと試験を受かれない人か良く知っている。各種試験、一回というのは多分一つも無い。

余談、一度経験した作文小論添削員の時は、ノンストップで段のようなものが上がっていき昇給もどんどんした。作文とか小論とか、文を書くのは好きなのかもしれない。基本日本人やしな・・・。
進む道を間違えたかもだが、英語が好きなんだから仕方ない。

何だろうな、多分頭も悪いし、やり方も悪いのかもしれない。なかなかすぐに結果を出せない。口で言う割には努力も足りていない。それはよく分かっている。もちろん全て上記の事は改善していった方がいいが、ただ、どこかで、やり続けていればいいのかな、という思いもある。

中学の時にバスケットボール部だったが、もう超先輩怖くて。チームも強く。2つ上の先輩は特に強くて、よく言われたのが、「一日休んだら、三日休んだと思って」と。まだドリブルの練習とかしかしていないのだが。

すごい人たちにあの時見えたが、今思ったら15歳のがきんちょ?か。いや、まぁ先輩なのだが・・。でも言っていることは今思っても大したものだったと思う、本当にそう、一日やらなっから、取り返すのに三日かかると思う。

前から思うのだが、英語は勉強と言うより、むしろ運動に似ていると思う。理屈じゃなく、毎日毎日practice,practice。体に叩き込む。

だから単に能力、と言えないかな、と。すごく語弊のある言い方なのは重々分かった上で書かせて頂くと、乞食でも英語圏で暮らしていれば、日本人のどんなrichでインテリな人より、英語はできるはず。多分リスニングも全然上、スピーキングはどれだけ高尚な言葉使うかは?だが、少なくとも乞食さんとインテリが一緒に字幕なしで映画見たら、絶対乞食さんの方が全然字幕にも表れへんようなつぶやきキャッチして笑うはずだから。

ネイティブだから当たり前やん、かもだが、じゃあネイティブって何なん?と考えることは他言語習得においてすごく大事だと思う。

生まれた時からそれを音として意識し始める時までも含め、それが分かっていなかったら、そこで言わば人間としての活動が営めない。そう、空気吸うのと同じような感じ。それがネイティブの感覚。

つまり、英語の習得に頭の良し悪しは関係ないんじゃないかということ。もっと原始的なものというか。数学、あれはできる人は図形に補助線とか見えるらしい、霊能力者か思う。
やはりgiftedな人が得意になると思うが、語学は慣れ、というか、染みつき方というか。だからネイティブでない私たちが英語の良い使い手に少しでもなりたいなら、毎日毎日の粘り強い、気の遠くなるようなコツコツが必要なんだと思う。

「英語学習はざるで水を掬うようなもの」
と昔聞いたが、本当にそうだと思う。掬ってもほとんどザーっと落ちているが、1滴、2滴、そうして最後にボールを水で満たすようにする。

準一級の勉強も、良い方法があるのかも知れないが、私は近道はなかったと思っている。それは今の学習でも同じである。

英語の習得本や、習得した人の話はもうごまんとあり、確かに良いTIPSもあるが、人はそれぞれで、馴染みやすい方法、そうでないものがあるので、頭が固くてだから伸びないのだが、受け付けない方法や話はもう私は見ない。自分のやり方で、細くても地道に毎日やるしかないと思っている。

準1級、一年目はあまりにひどいところからスタートだったので、確か不合格Cから始まり、3回目からは不合格Bになった。で、一年目終了。

しかしもう止めようかな?と思ったのが二年目。Bのままくらいはまだまし、なんと一年で1点しか上がらなかった・・・。
3回のうち、2回は同じ点だった、確か覚えてる、真ん中で1点UPで3回目でまた1点落ちて。

あれは、じーーっと結果を見つめ、うーーーん、と思った。
ちょっともう勉強を止める方が私いいのかな・・・、で。

勉強は一年目と同じようにしていたし、英会話は続けていて、この先生の授業は生徒が自分の気に入った記事を訳していって先生がcorrection(直し)をし、その話題を皆でdiscussionという授業。勉強になると今も思っている。

しかし、一年で1点しか上がらないって・・・。いくら英語の伸びはplateau(停滞)とbreakthrough(突破)の繰り返しや言うても・・。plateauと違って、沼にでもはまってるん違うん?みたいな・・・。

でも諦めないのだけは、すっぽんのようにいつも諦めない。なんでかな、諦めるって言う概念はあまり無い。私は多分、やりたいことをいつもやって来れて幸せな人生だったのかもしれない。だからやり続けさえすればいつか、とボーっと思っているタイプかも知れない。

そして三年目、やっぱり諦めないのが良かったのか、7回目の受験でやっと不合格Aになった。英検は当時不合格でもA・B・Cと一応分類してくれたから、モチベ維持には良かったかもしれない。

8回目の受験では、翌日にすぐに解答速報が出るのだが、あと1点だけ足りない、という不合格Aだった。もちろん、いーーっ、と思ったが、もう次、いや悪くてもその次には受かる、そのレベルまでは来た、というのが嬉しかった。

9回目の試験は3年目の第一回、6月だった。

緊張しながら翌日の解答速報を見ながら丸付け。語彙問題は7割くらい、次の空所補充も6割くらいできている。長文が、丸、次も丸、次も、で8割くらい、胸の音が高鳴りだした。リスニングが、当たってる、次も、次も、いつもよりずっと丸が多い、もうどれくらいの正答率が合格なのかは、嫌と言うほど体に沁み込んでいた。

いっぱい丸がある。震えて涙が出てきた、やっと受かる、きっと受かる・・・。あの時採点しながら涙が溢れてきたこと、今でも昨日の事のように覚えている、涙がぽろぽろこぼれてきた。私きっと受かってる・・。

点数は自己採点で軽く合格点をクリアしていた。嬉しかった。本当に本当に嬉しかった。

よし、次は2次試験。一次の合格率より、一次合格者が2次を突破している率ははるかに高かった。もう一次に戻りたくない、絶対一発で突破してやる。

英検の準1級は今もそうだと思う、4コマ漫画を即興で英語で話す。

ゴールはそこ、しかしこの英訳がなかなかできなかった。一次の後、1か月間、決死の覚悟で勉強した。

そして、この二次試験で、私は今も尊敬してやまない英語の恩師、大好きなK先生と運命的な?!出会いを果たす。

この話は、一緒にその後今まで英語仲間として、いや普通に大切な友人としてお世話になっている友達たちが、もう嫌と言うくらい耳にした話。

先生との思い出の出会い話。思い出だけではない、今も現在進行形で先生は私にとって偉大な英語の先生である。

先生にnoteの事、言おう!先生の事書きましたよ!!って。もう先生も耳にタコができるくらい聞いてくださっている話ですけどね・・・。

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