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映画「正欲」の感想。マイノリティが感じたこと(※ネタバレあり)

(あんまり自分で「マイノリティ」って言いたくないんですが。。)

先週札幌の映画館で、原作を読んでからずっと公開が待ち遠しかった映画「正欲」を観てきました。

なぜ待ち遠しかったかというと、それは別にキャスト目当てというわけではなく、単純に原作を読んだ時の衝撃が凄まじかったから。でもそれは、おそらく大多数の読者が味わった「衝撃」とはまるで意味が違うんだろうなと思ってます。

原作を読んでいる間、ずっと手汗が止まらなかった。今まで誰にも迷惑かけず細々と生きてきた自分の人生に突如スポットライトを当てられ、著者に観察されてるような気分にもなった。余計なことしやがってと憤りつつも物語がどう帰結するのかが気になって、ページを進める手が止まらなかったのをハッキリと覚えている。

そんな自分にとってはある意味宝庫にもなるかもしれない本作。原作の感想をチラっと見た限りでは「考えさせられる」なんてことを言っている人がちらほらいたが、自分には今さらそんな真新しい発見なんてものはなく、むしろ佐々木や桐生、諸橋の言葉に何度も首を縦に振り共感する場面が多くあった。それは何より著者の言語化力の凄まじさを表していて、よくそういう人たちを調べて救い上げてるなと感じました。(あまり公にできないフェチを抱える一人としては感謝)

・・・と、ここではあくまで「映画」の感想ですが、ネタバレあり・あらすじ紹介もなく内容知ってる前提の文章・原作との比較が多めになります。

まず全体的なストーリー展開は原作とほぼ一緒でした。尺の都合ところどころカットされた場面やセリフはあったものの、その中でも展開に辻褄が合うようにうまく構成されていて、原作と同じかそれ以上にメッセージ性が伝わってくる映画でした。それにはいくつか要因があると思っていて、ひとつは本作が「水フェチ」を内秘める人達の話なんだと、割と映画の序盤あたりで明かされたことだろうか。原作ではかなり読み進めた先でこの真相が明かされる(しかもそれまでは小児性愛のミスリードが続く)ので、ここは原作との大きな違いのひとつでした。寺井(稲垣)と越川(宇野)が執務室でフェティシズムについて話すオリジナルシーンでは、寺井が読んでいる記事をよく見てみると、原作にはない部類のフェチが載っていましたね(どうしてもこういうところに目がいってしまう)
このシーンが序盤で挟まれたことで原作未読勢は「ああ、そういう話なのね」と理解しやすかったのではないでしょうか。

そして原作では最も著者のメッセージ性が強いと読み取れた、大也と八重子の罵り合うシーンは、大也の家の玄関から大学の講堂に変わっていました。これも尺の都合で一部セリフが省略されてましたが、それでもきちんと伝えたいことが明確に伝わってくるシーンでした。それにしても八重子役の女優さんの演技には脱帽しました。公開舞台挨拶でも周りから触れられていましたが。。いっぽうでまた構成の話ですが、欲を言うならもうちょっと大也の過去も掘り下げてほしかったかなと思いました。夏月と佳道の視点と同等に彼や八重子の視点も多く割かれていたので、そこはちょっと残念だったかなと。

上述シーンの核となるセリフ「この世にあっちゃいけない欲なんてない」ですが、しかし終盤の展開を作り上げた張本人でもある矢田部による犯行当時のオリジナルシーンが、思わず目を背けたくなるほどにガッツリと追加されていて、本作または著者の答え(だと自分は思ってる)【欲を抱え繋がるのは自由だが被害を生むような行動はダメ】がしっかりと表現されていました。原作では子供を盗撮されていた(と思い込んでいた)父親による事情聴取の際の罵倒する場面がありましたがそこと差し替えたことで結果的にたとえ社会に相反するかもしれない趣向を抱えた人でもむやみに欲自体は傷つけない配慮がなされており、まさに映画ならではの見せ方だなと思いました。

もうひとつ、重要なオリジナルシーンが。メイン人物の寺井(稲垣)と桐生(新垣)が原作では最後の事情聴取で初対面だったのが、それ以前にもバッタリするシーンが追加されていました。(おそらく観客へのサービスでもある??)人間や社会に対する常識を疑わずに生きられてきた寺井が、アイデンティティに苦しみながら世渡りしている桐生の生活スタイルを、雰囲気と結婚指輪で勝手に推し量るところが印象的でした。ここのやり取りがあったことでラストシーンの事情聴取で寺井の家庭事情の話が生まれ、一般的な感覚を信じられていることが実は当たり前じゃないことを最後まで理解できなかったために妻子に見放されてしまった男と、生まれつき一般的な価値観とは乖離したところにいながらも同じ仲間を見つけ物理的に離れることになっても心は離れられなくなった女の対比が、両者の認識の中でもしっかりと表されていたと思います。この構成にはしっかりと型にハマったような心地よさすら覚えました。

マイノリティな自分から見ても終始息が苦しくなるような映画で、それはきっと自分にとっては当たり前になっていた「同じ性癖を持つ仲間をネットで探す行為の特殊性」や「社会やグループからの精神的な孤立の様子」が第三者が作り上げた媒体によって突き付けられたからですが、その中でうまく現実を生きようとする佐々木や桐生の会話には特に励まされましたし、背中を押してくれるような力強さと優しさを感じられました。おそらく原作勢がもっともどう再現されるか気になったであろうセクロス検証シーンは、お2人の演技の素晴らしさもあり面白可笑しくもありどこかほっこりするシーンに自分には映りました。そこに至るまでの各々の行為に耽る場面も、演技もそうですが水の演出が凝っていて彼らが見ている世界の一部を体感できたような気がします。

他にも魅力的な場面はありましたが、全体として良いアレンジがなされた映像化だったと思います。個人的にはけっこう満足。正直上映前はメンタルぼろぼろになる覚悟だったのですが、そこまででもなかったです。来場客を見た限りではおそらくゴローちゃんファンと思しきおば様方の集団やガッキーファンの男子が多かった印象(まあこれも自分の主観なんですが)。上映中に「性の多様性」がテーマであることを知った人も多くいたと思えば、今回のキャスト選択はむしろそういった普段考える必要のない人たちにも考えさせる良い入口になったんじゃないかなと思います。テーマがテーマなだけにどうしても盛り上がりに欠ける内容だったので、彼ら彼女らがどう感じたかは知る由もないですが。。
でもそれでもいいのかもしれない。何かと便利に使われる言葉「多様性」を真正面に描こうとすると、案外そこにはドラマができないしあるべきではないと思うから。
どのような趣向を抱えた人間も、社会の歯車の一部の平凡な人間だからだ。

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