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“生きづらさ”の構造分析 〜アラフォーまで生きづらかった当事者が考える勝手な学問、『生辛学』〜

遠い国でのほんの一時期の蔓延と高を括っていた感染症は、ここ数ヶ月で世界を一気に非日常へとパラダイムシフトさせてしまった。
非日常としての日常は、“生きづらさ”に深く長く自我を閉ざされていた自分自身にとっても、私固有の生きづらさへの概念をもパラダイムシフトさせうる大いなる転機として、なぜだか強く切迫しているような気がする日々である。
個人的にも新時代が幕あける気配を常々痛感するこの日々において、生き直しのための生きづらさの一面的認知を一度解体し再構築しなおす脱構築を目指すべく、そのプロセスとしての今一度生きづらさへの構造分析をする必要性を感じている。


「死に至る病」

「人が本質的な意味で生き直せることは可能か…」

誰しも多少なりともふと考えたことがあるのではないろうか?

「もしも自分ではない“自分”の生があったとしたら…」と、パラレルワールド的なフィクションへの羨望を考えたことが一度や二度はあるのではないだろうか。

誰しも、「こんなはずじゃなかった自分…」を大なり小なり抱え、その思いの蓄積のスケールや重さ密度は違えど、他人(ひと)はそのゼロではない自己不全感と自己嫌悪から、その人固有の“生きづらさ”を形成している。
その消えない刻印のような“生きづらさ”は、無意識の層で知らず知らずのうちにその人の生命力や生における可能性を蝕み消耗させ、いずれ底つき体験のような「死」をぼんやり希求するほどの活動限界状態へと陥れる。
そう、それはまさに「死に至る病」のようである。

生きづらさを、常にあたかも慢性的な呪いのように、それが私にとってのノーマルな状態であると誤認したデフォルト状態のまま、約20年間を生き続けてきてしまったということを、以前このnoteで述べたことがある。
その呪いとは、強烈な自己嫌悪が背景にあったことに、落雷に打たれるが如くの感嘆と恐怖感とともに、初めての体感として、無意識を装おっていたが確実に切迫を感じていたアラフォーの日々の中で、ようやく強烈に思い当たった。

他者評価に耽溺し、他者依存的な脳構造が強く形成されてしまった約40年の自分史である。
それは、自己嫌悪を前提にした自己像からの逃避を図るように、自己嫌悪に苦しむ自我は無意識のうちに自分の欠落している要素の補完を求め、他者からの「そんな自分」でも受容してくれるかもしれないという淡い期待からの肯定感と承認を求め、自我を離れ右往左往して生きてきた40年と言ってもいい。

消え去った「私」をどこかへ置いてきぼりにして、空洞の自我のままもうこれ以上他者に傷つけられまいと必死で生きてきた。
そんな自己忘却のリアルに「アハ体験」的に、大いなる後悔・遺恨、強烈な感嘆とともに気付いた、40歳手前だった。


内なる“他者”としてのもう一人の自己

自己嫌悪からの寛解は可能か!?
私は、不可能だと答える。
なぜなら、それは幼少期に脳に深く濃く刻み込まれたきっと今までもこれからも、死ぬまで消えることのない刻印だからである。
それを更に40年間も身体に感情に晒してきた。
この先解脱を求める度、自己嫌悪から脱せられない自分自身に、積算式に嫌悪するというネガティブループに、死ぬまでのたうちまわるはずである。まさに死に至らせる病として機能するだろう。

しかし、自己嫌悪からの解放を目指すのではなく、自己嫌悪に苛まれ生きづらさを痛感しつつも、日々を懸命に生き抜こうとしてきたこれまでのそしてこの先の「私」を労うこと。
そして、遠くに置いてきぼりにして来てしまった、在りし日の真理の「私」に出会いにいく旅路を、そのプロセスで生まれる試行錯誤や物語を、あるように見つめ愛でることは可能である。

「“小さな他者”、つまり外的他者からの評価・承認に貪欲だった自我を手放し、自分の中に存在するかもしれないもう一つの自我、“大きな他者”を見出すために残りの人生を使いたい…」

そう、呟いた瞬間、希望と諦念が入り混じった不可思議な気持ちにフッと包まれたのが実感できた。

「残りの人生をどう生きたい?心の底から血沸き肉踊るほど、やりたいこと・好きなことはなんだい?…」

幼少期の自我に問いかけるような内的な自己との対話から、私の40代はスタートするだろう。

生きづらかったアラフォーは、死期において「あぁ、生きてきてよかったな…」と呟くことは果たしてできるのだろうか…そのための、今世を捧げた思考と行動・実践とそのアーカイブのあれこれを総じて、個人的かつ勝手に『生辛学』(せいしんがく)と呼ぶのは、いささかそれこそ自意識の最たるものだろうか…

幼少期から30代といった、過去の生きづらかったエピソードを引用しつつ、今後様々な活動、取り組みと試行錯誤の成れの果てを、ご興味のある貴徳な方々とシェアできたら、心から生きづらかった冥利に尽きる感動である。


そして、私はこのコロナ騒動の渦中で混迷を極める4月末日、今の仕事を退職することにした…



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