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【マイベストアルバム2017レビュー】Cloud Nothings『Life Without Sound』【REVIEW】

幼少期から慣れ親しんでいるというピアノの音色から始まり、少しだけ歪んだギターソロ、ドラムが徐々に重なる。一瞬のタメからブレイクし、広がったバンドサウンドは、これまでの彼らCloud Nothingsのイメージとは違った、ミドルテンポでシューゲイザーのように広がるファズサウンドだ。

彼らの新作『Life Without Sound』、1曲目の「Up To The Surface」による幕開けだ。

アメリカはクリーブランド州出身の4人組ロックバンドCloud Nothings、彼らの結成というのは、2009年当時18歳だったDylan Baldiが、両親宅の地下室で普通のPCと安いマイクをつかい録音した自作の曲をネット上にアップしたことから始まっている。

彼らのアルバムもこれで4枚目、『Cloud Nothings』『Attack on Memory』『Here and Nowhere Else』、そして今回のアルバム『Life Without Sound』だ。

「もうこれ以上、ヘビーな音楽を作りたいとは思ってなかった。怒りのようなものでプレイしようとはおもわなかったし、そういう風に感じなかったんだ」

今作に関するインタビュー語ったDylanの言葉は、ロックファンならびにインディロックやガレージロックを愛するファンからすれば、もしかすれば失望してしまうかもしれない。だが続けて、彼はこのように話してもいる

「内面的なモヤモヤが減ったんだよ。最終的には、自分の存在を受け入れられたと思ってるんだ、変なメタファーだけどもね。イギリスに毎度のようにショーをしにいくと、税関の所で書類を欠かされるんだけど、いつも<ミュージシャン>と書いていた。でもほかに何を書くべきかがわからなかったし、それがオレのやってることだよなと言い聞かせながら書いてたんだ。」
「おかしなことだし、釈然としない感じなんだけど、そういう風に書かなくてはいけない・・・実際そういうことを人生の中で多く感じてきたんだ。でもいまでは、自身をもって<ミュージシャン>と書けるようになった、自分のモチベーションや役割について疑念を持つことが少なくなったんだ。それが大きな変わり目だったかはハッキリしないけど、僕はゆっくりと幸せになっていってて、同時に変わらなくちゃと思えたんだ。人として動いていたいと思うのなら、自分の中にこもってばかりじゃいけないんだ

『経験が人の成長を促す』、非常に普遍的で、だからこそ力強い人生の教訓は、Cloud Nothingsというバンドに変化をもたらしたといえよう。

『Attack on Memory』ではスティーヴ・アルヴィニ、『Here and Nowhere Else』ではジョン・コングルトン、インディーロック/ガレージロック界におけるサウンドプロダクションの名手とも言えよう2人のプロデューサーを、彼らは味方につけてきた。そこから伺えるのは、「より大きなヘヴィネス、より大きなコンフュージョン」というような、インディーロックの美学を真摯に受け継ごうというスタンスだ。

ともすれば、「爆音で観客を魅了させる」というロックバンドだからこそ持ち得る特権を、Cloud Nothingsはこれでもかと堪能したかったからかもしれない。少しの休みとアルバムリリースをはさみつつ、2012年から2015年まで彼らのライブツアーが断続的に続いていったことが証明しているようにも感じられる。

そうしたなかで、「もう爆音には飽きてしまったよ!」なんて言葉が出てくるのも自然だろう、おおよそ彼の言葉の裏に「ツアーなんて飽きてしまったよ!」と読み解くのは容易だ。同時に、4年前後も続いたライブツアーを通して、バンドマンであり、ミュージシャンであるという自覚が、大きく芽生え、花開いたのだと想像するに難くない

It’s over now as the way I was before
But I can’t be caught how I was those days anymore
I’m learning how to be here and nowhere else
How to focus on what I can do myself
(これまでのやりかたはもう終わった)
(でもこれまでの日々以上を僕は掴まえられていない)
(こことどこにもない場所から学ぶんだ)
(僕が僕自身に何ができるか見定めるために)

こう唄ったのは、2014年に発売された前作『Here and Nowhere Else』での最終曲「I'm not part of me」だ。まさにライブツアー行脚のなかで、自分とはなにか?を見定めようとしている1人の男の像が描かれている。

『Life Without Sound』は、Dylanの言葉にあるように、無用なヘヴィネスからはほど遠い。性急なビートも、前につんのめっていくかのようなベース/ギターの絡みもない。BPM的に速いと感じる瞬間は少ない。

だが一方で、今作には変幻のギターサウンドがある。ファズ/オーバードライブ/ディストーション、リバーブ/コーラス、もしかしたらディレイまで、様々なエフェクトを持ち寄って生みだされている。

基本的にはファズ/オーバードライブで構築されたパンクロック/グランジロックのサウンドなのだが、3人バンドからギタリスト2名の4人バンドへと変わったこともあり、楽曲の随所に置かれた足されているギターフレーズ/アクセントが、段違いに数多くなっている。それにより、Dylanが想像しているであろうサウンドスケープがより細かく描写され、ロックアルバムとしての豊かさを裏支えしているわけだ。

もちろん、フレーズが増えたということは、単純にいえばメロディラインが増えたということでもある。今作は彼らの作品群のなかで、もっともBPMが遅く、爆発力は少ないかもしれないだろうが、心をなで上げるメロディの繊細さにおいては、彼らのなかでも1番の作品だ

こと1曲目の「Up To The Surface」でミドルテンポでピアノの音色で始めた辺りに、その印象はだいぶ強まる。これまでの彼ら同様、マイナーキーがかなり多く使われているし、どうしたってダウナーな空気が包まれてもいる。彼ららしからぬ、彼ららしい作品として、成立している作品なのだ

これまでの2作品同様、30分少々の1枚でもあるが、爽快感や熱気に包まれるように終わっていく2枚に比べて、雪崩が起きたかのように崩れていくバンドアンサンブルで今作を締める「Realize My Fate」のように、心を深くえぐってくる1作なのだ。

昨年は新作リリースと同時に、各国の音楽フェスや日本でのツアーも敢行され、2013年頃と同じほどには大忙しだったわけだが、2018年3月現在、彼らはライブツアーを行なってはいない。平穏をファズギターで表現しようと試みたミュージシャン、僕はDylanに、ダイナソーJrのJ.Mascisを重ねてしまうのだが、どうだろうか

Wherever you are
When you're out and around
And all you ever see
Are people looking away
It's nothing new to me
I want a life, that's all I need lately
I am alive but all alone
お前がどこに居ようと
お前がどこかへ行っちまっても
今までのすべてを
今までのすべてを
どこかで見ていてくれるか?
何にも変わらないこの俺を
人生がほしい、それだけさ
だけど独りぼっちなんだ
「Modern Act」

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