女たちのテロルのこと
ブレイディ・みかこさんのこちらの本。実は最初はあまり読む気がありませんでした。ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルーが話題になったときに読みたいけどイギリス育ち中学生男子の気持ちが、日本育ち40手前会社員女の私にはわからない気がして他のを読もうかと思い手に取ったのがこの1冊でした。内容を知らずに借り開いてから、やばい、となりました。金子文子とサフラジェットのマッドエミリーについての本だと気づいて、ふむ、どうしよう…となりました。どちらも知っています。問題は金子文子の方です。実はこの人の話は記憶にあるだけでも2度私は逃げたんです。3度はないなと思いました。もうないなと。有名なのできっと逃げたのは2度では済まないはずですが、どうも嫌な予感というか向き合う気になれませんでした。どうにもならない大きなものを知らなくてはならないと感じたんです。それでもそろそろ時期だと思いました。
ブレイディ・みかこさんが書いているように、金子文子は思想のためにこの世を去り、朴烈は民族運動のために生きた。結局それだけのことです。朴烈が死刑なら私も死刑。と金子文子は思い、それでも直前に自分の思想を通すためなら1人でいるべきだった。と言っています。朴烈の思想には恋人になるほど惚れ込んでいたけれど恋人だけど同志であることが大きかった。マイハニーではなくオーブラザーだった。同棲ではなく同居であり、ただ強い同盟のもとに成り立った同居であり同志だったことが要なのだと私は思いました。金子文子が朴烈のためにこの世を去ったのではなく、自分の思想を貫く為に生き、思想を共有できる朴烈と出会い共に生き、自分の思想を守るためにこの世を去った。ということなんだと思います。朴烈もその後はある程度長く生きますが自分の運動が元で処刑されています。2人の若者が自分の思想のために生きていて、これからもという思いを根底から国に踏みにじられ国の犠牲になった事件は今でもあまり追及されることはありませんし、金子文子の文章はあるのか、ないのか。今でも怪写真、怪文書、怪事件であるままです。自分の考えを持つ自由だとか人権、また時代は戦争最前線のような時代をまたいで起こったこの出来事は、2人の想いとは関係のないところで、大日本帝国の崩壊により動き出し、終わっていきます。最後まで2人の想いや運動が何かを動かすことはありませんでした。私があまり向き合いたくなかったのは誰もこの問題の為に働きかけることができないまま国力衰退、大帝国崩壊の中に飲まれ消えていったようでやりきれないからなのだと思います。
ともあれ、ブレイディ・みかこさんのおかげでフランク且つファンキーに金子文子と向き合えてよかったです。きっかけがブレイディ・みかこさんでよかった。このタイミングで執筆をされていたことに感謝です。