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木星の重力下で。

知らぬ間にいったいどれくらい経っただろうか。1ヶ月前はまだオーストラリアにいたなんてことをもう忘れそうなくらい日本の空気にのまれてしまっている。


…現在、私は就活真っ只中の大学4年生である。不本意ながらではあるが。

というのも決まっているのだ。この国では大学4年生はとりあえず必死こいて内定を取らなければならない。

1ヶ月前までは、英語力にも自信がついてきて、今度はどこの国に行こうかなんて考えていた私だったが、今この国にいる私は「もう4月なのにちゃんと就活をしていないただの底辺の大学4年生」である。世界は広いようで狭い。



ここでは毎日着実に自己肯定感が下がる。多分日本は自己肯定感に作用する重力が大きい気がする。ただ生きているだけで下がる、重い。

世界平均を地球の重力とするなら、オーストラリアでの自己肯定感は月の重力ほどであった。生きているだけで勝手に上がっていく。これは海外に1人で住んでいるという前提が上げてるものも多少はあっただろうが。

それに対して、日本での自己肯定感の重力は木星くらいだ。とてつもなく重く感じる。

私は決して海外かぶれ日本人あるあるの日本ってダメよねぇ〜会話をしたいわけではない。むしろその逆である。

トイレが綺麗で安心するなぁ。日本に帰ってきて1番最初の感想はそれだった。もう小便器という名の壁にしなくて良かったし、便意ギリギリで入ったトイレの便座に靴裏の跡が付いていることもない。このことは逆に言えば、みんながきちんとしているからこそ成り立っている良さでもある。

日本特有の自己肯定感の降下は、みんながきちんとしすぎていることに起因していると私は思う。


私は帰国してから、困っていそうな外国人に積極的に話しかけようキャンペーンを勝手に開催している。

そこで話しかけたとある推定35歳のオーストラリア人に仕事を聞くと、「No employed, just chilling~!(仕事してないよ、ダラダラしてる〜!)」と返ってきた。

そのとき、木星の重力下にいた私の自己肯定感は一瞬だけアポロ11号になり月面に着陸した。

日本ではそんなに生き生きとした無職の35歳を見かけることはなかなかないように思う。

周りのきちんとが、私がきちんとしていないことを明白化させてくるのだ、日々。言うなれば私は漂白剤をかけられ続ける白い服に付いた黒いシミである。


前回書いたnote「シュレディンガーの幸せ」で、大事なのは相対的な幸せではなく絶対的な幸せと書いたところなのにこのザマである。

なぜこうなってしまったかというのも、私の周りのド底辺大学生をしていた友達が漏れなく全員今日から普通に社会人になってしまったからということも原因として挙げられる。

学校にも行けずに留年しそうで、バイトもクビになる、あんなに社会不適合者に見えた奴らも社会人になってしまったなら、私もそうなるほかないではないか。そのことが私に暗に逃げ道はないことを知らせ、私の気持ちをより一層暗くさせているのだ。


…話がただの就活したくない愚痴に寄ってきてしまって止まらないのでこのへんでやめておこうと思う。



…新社会人の皆さん、とうとう社会人生活が始まって大変なこともいろいろあると思います。この自己肯定感への重力が大きい国で働く、きちんとすることにしんどくなったら、さっと辞めて月の重力を楽しみに行くもよし、また、ベジータみたいに自分から300倍重力の負荷をかけて修行するも良し。

無理しないように。

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