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「虚」の戦略と「実」の戦略

「戦争広告代理店」の中で、著者である高木徹氏が序章でこのように言っている。

人々の血が流された戦いが「実」の戦いとすれば、ここで描かれる戦いは「虚」の戦いである。
PRや情報戦が、「実」の戦いの帰趨(きすう)のすべてを決めるわけではない。しかし、「虚」の戦いが「実」の戦いに行方に大きな影響を与えることも事実だ。~ 中略 ~「PR」=「虚」の影響力は拡大する一方であり、その果実を得ることができる者と、多くを失うことになる敗者が毎日生み出されている。

戦争広告代理店 序章より

物理的な戦いを「実」、情報戦を「虚」とすると、「虚」の影響力が大きくなっており、それによる勝者と敗者がいると。

そういう意味で、『「虚」の影響力は拡大する一方』というのは、私の実務においても、そうなのだろうなと考えていたところだし、マーケターとしてのビジョンを考える上ではもう一歩深掘りをして整理したい所である。

この記事では、「実」=商品・サービス、「虚」=広告・PR・情報発信と定義し、ビジネス視点でこの「虚」と「実」の関係ついて考えてみたいと思う。
 

事業家ツイートによる鋭い指摘

ところで、この記事を書いている中で、参考になるツイートを発見したので紹介したい。

それはある事業家が迷惑系YouTuberを月100万で雇いたいという企業が現れた件についてのツイートで、雇うのはある意味合理的だとしつつ「これがSNS社会が産んだ弊害」と指摘した。

昨今の『虚』に対する問題を鋭く指摘している。
少なくとも私はそう感じた。

皆さんは、このツイートについてどう思われるだろうか。
後でも触れるので、少し考えてみてほしい。

日本における「虚」と「実」の扱い

さて、経済成長という観点についていえば、日本は停滞している国の代名詞のようになってしまった。
要因はあまた存在するにしても、影響が大きくなりつつある「虚」の取扱いの良しあしが、日本経済に影響しているのかもしれない。

少なからず、戦争広告代理店のような国家戦略だけでなく、企業戦略においても当てはまりそうだし、さらには個人においてもそうかもしれない。

考えれば、考えるほど「虚」の戦いが最も重要と感じてくるのだが、ここは一旦グッと安易に飛びつくのはやめ、マーケターとして考察してみたい。

戦後日本の高度経済成長において、日本が誇りにしてきたのは、どちらかと言えば「実」だ。
そして、どこの国も認めるぐらい質の高い「実」が提供できるようになってきた。
そして、「虚」によってでなく、高い品質によって「日本製品=高品質」のポジションを勝ち取ってきたのではないだろうか。

一方、「虚」は、日本特有の美徳意識かもしれないが、注力されてこなかった。むしろ悪者扱いされてきた感さえある。 
しかしながら、結果的に高度経済成長を果たし、今でも世界で3位の経済大国だ。これはとても重要な事実である。

時を経て、今、日本は知的産業への変革に乗り遅れてしまったと言われている。この要因は、良識のある学者でも、はっきり答えが出ていない。

それぐらい難しい問題だが、ひとつの要因として考え得る視点としては、日本が「虚」を軽んじ、「実」にしか注力しなかった為ではないか。という仮説である。

この仮説の要因としては、GAFAMに代表されるインターネットを軸にしたプラットホーム企業の台頭である。
それらの企業が情報産業であるのに加え、あまりのスピード感で社会の構造を変えてきたため、これらの企業があたかもマーケティングだけで伸びたという認識をすることをが多いようだ。

実際、マーケティング関連のセミナーでは、事例としてこれらの歴史が語られている。

しかし、このマーケティングで伸びたという認識は実は間違っている

かつて、Appleのスティーブジョブスは、日本製品=高品質と世界中に思われている事例を挙げて、「マーケティングでなく、よりよい商品を作ることにお金をかけるべきだ」(趣旨)と言っている。

また、Googleは創業当時より、ユーザーの利便性を第一に考えている、と宣言し、そのポリシーに徹底したアルゴリズム更新で、世界で利用される続ける源泉となっている。

つまり、GAFAM は「実」に力を入れてきた。そして、日本も「実」を重要視してきた。

それでは、どこに差があったのだろうか?

残念ながら、その核心をつく答えが出ていない。
しかし、間違いなく言えることがある。
少なくても、「実」に誇りをもち続けることは、最も重要であるということだ。

「虚」が「実」を凌駕する仕組み

アメリカは、ご存じのようにマーケティング研究において長年にわたり研究が進んでおり、研究者や学者も多く、学術的な研究や実践的なアプローチが兼ね備えていることで知られている。 

アメリカの著名な心理学者ロバート・ザイアンスは、新聞の広告枠を使用した実験により、接触回数が多いほど、良い印象になるという効果を発見した。

これは、ザイアンス効果とも呼ばれ、単純接触効果ともいう。
意識的な馴染みなどには影響せず、むしろ、無意識にみている時の方が、刺激が強いという。
さらに、ザイアンスは反復すると好きになるという現象は、あらゆる動物でも当てはまり、生物学的に重要な意味を持っていると主張した。

つまり、本来、生命体は見たこともない対象には、本能的に危険を感じなければならず、逆に、反復的に接触していて何も自分に悪いことが起きなければ、本能に対する安全を示すシグナルとなる。つまり、接触回数が多いほど、安心感を与えるということになる。

SNS社会になった今、良くも悪くもザイアンス効果は上げやすくなっている。特に習慣的にSNSに多くの時間を消費してしまっている人に対してはザイアンス効果はより効きやすい
なぜなら、接触回数が多いのに、自分に悪いことが起きるわけではないからだ。

冒頭の事業家が「SNS社会の弊害」と揶揄したが、指摘はまさにそれではないだろうか。
皆さんはどう感じられただろうか。

前節で述べたように「実」を重視することは最も重要だ。
しかし、ザイアンス効果等によって、「虚」が「実」を凌駕してしまうことができるのも現実のようだ。

これは、ビジネス視点から外れるが、戦争でもそういう状態になり得るということは改めて認識しておきたい。

そのビジネスは続かない

この、「虚」が「実」を凌駕してしまう状態について、もう少し考察してみたい。

「SNSの弊害」のように、話がややこしくしてしまっている要因は、「虚」が「実」を凌駕してしまう状態でも、一時的にビジネスが成り立ってしまうことではないかと思う。

なぜなら、そうした一時的成功事例は、その時点では一時的であることに気づかないからだ。

これは個人的意見だが、それを真似て、有名になりさえすれば、何かビジネスにつながると考える若者が増えることについては、個人的には危惧している。 

ビジネスであれば「実」が伴っていないのなら、たとえ「虚」がうまくいっていたしてもLTVが悪化するため販促も縮小せざるを得ない為、企業活動としては窮地に追い込まれる、というわかりきったストーリーといったところだろう。

つまり、ビジネスにおいては、「虚」が「実」を凌駕してしまう状態というのは続かない。

一時的に成功しているように見えても、長期的に成功し続けるというのは難しい。ならば自分の実力や、経験に時間的な投資をしていく方が、多くの人にとっては得策だろうと思う。

 「実」をけん引する「虚」

ここまでくると逆に「虚」なんて不要なんじゃないか。という声もまっとうな考え方だと思える。
実際に、マーケ不要論が語られることもある。

それでは、「実」がなければ「虚」は活動すべきでないのだろうか?
自分たちが正しい「実」だけを準備し、日本的美徳感で、「虚」を行わず待ち続ければ、お客様はくるのだろうか。

この問いに答えるために、ひとつの例を挙げてみたい。

私はサッカーが好きなので、日本のサッカー界で間違いなく最も成功した選手のひとりにあげられる個人的に好きな本田圭佑選手を例に挙げよう。

「清々しい」を「きよきよしい」と発言してしまったことさえ私に勇気を与えてくれたほど尊敬する選手のため、この節では個人的意見も入っていることをご了承願いたい。

もし彼に「虚」の有能な能力がなかったとしたら、世界に注目される選手になっただろうか? 

もちろん、彼はうまいし強い。世界に注目されるべき選手だと思う。が、彼よりいわゆるサッカーがうまい選手でも、彼のように成功していない事例はたくさんある。

「実」は当然あるが「虚」の効果も大きいと感じる。

サッカーという競技の特性上、メンタル面での差が大きく出るのだから、自
分を鼓舞するための「虚」であった部分があると思う。
 
しかし、何のチャンネルか忘れてしまったが、本田選手が、ある番組でこのような趣旨の話をしているのを聞いたことがある。
 
僕は、監督とどのようにコミュニケーションをとれば実績を残せるか、チームメイトとどのように関係づくりすれば力を発揮できるか、といった、戦略的なことをずっと考えてきた。日本人選手は、うまいのに、その点に力を入れなさすぎる。(趣旨) 

つまり、鼓舞するためだけでなく、戦略的に発信してきた部分も多くあるということだろう。 

しかし、戦略的であるにせよ、彼の発言を聞いている限り、彼の発言はその多くが決意を伴った発言である。

例えば、ワールドカップ優勝する!と言い続け、実際には決勝トーナメントで敗退してしまった。しかし、優勝を目指してきたからこそ、決勝トーナメント進出という大きな実績を残せたのかもしれないという可能性は高い。

つまり、「実」をより良くしたり、自分たちが成長するための「虚」であり、その結果、一部のは実現できないものの、多くを実現してきた「実」の伴う「虚」であるということだ。

ここで重要なのは、「虚」が「実」をけん引し、実績を上げたという見方ではないだろうか。

そう考えると、やはり「実」の品質を上げることを大前提だが、「虚」は控えるべきでなく、決意をもって発信すべきなのだ。と感じる。

最後に

今回は、「虚」と「実」について、ビジネス視点で考えてみた。

自分なりに整理した、「実」と「虚」に対する、理想的な捉え方は、

「実」を磨きながら、責任ある「虚」で自分の行動を変えていく。

である。
もしかすると、これがPR・マーケティングの本質かもしれない。

「実」を凌駕してしまう「虚」と
「実」をけん引する「虚」は

行っていることは似ていて見分けがつかないが、本質は全然違うものである。

これら2種類の「虚」は混同してしまうと、大変なことになる。

次回は、以下のような内容で話していきたいと思う。

・プロフェッショナルとのかかわり方
・politically correct を軽んじた代償
・セクショナリズムは回避すべし

お時間が許すようであれば、ぜひ立ち寄って頂ければとてもうれしい。

今回の参考図書




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