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新型コロナ感染の覚え書き

【予兆】
2/5(土)
都内某所にて声楽3人とピアノ、レクチャー講師による本番。
体調すこぶる良好。
昼頃より打ち合わせ&軽く通し(マスク有り)。
15:00開演するも、待ってる楽屋(個室)で喉がイガイガし出す。
歌っていて(マスク無し)特に違和感は無かったものの、少しイガイガするのは、今日の発声が少し押し気味で喉に負担を与えてしまったのかな?と思いつつ、無事本番を終える。
17:00終演。ウチの奥さんがピアノだったのだけど、帰る道すがら、2人で喉が調子悪いことを確認。
花粉だろうか?まさかコロナ?んなわけないか。
でも念のため薬局で抗原検査キット買っておこうかと寄ってみるが、売り切れで、諦めて帰宅。

【発症】
19:00。平熱だが、イガイガから、喉の奥がむず痒いような感じになり、咳、痰が出だす。倦怠感も。全く風邪と同じ。
2/9〜13までの東京二期会《フィガロの結婚》に出演予定で舞台稽古と舞台稽古の合間の日だったのだが、「少しでも体調に不安のある時は制作に連絡して下さい」ということを思い出し、軽い気持ちで連絡。
なかなかお返事が来なく、もしかして、大ごとになってる?と思い始める。
同時に体調も目に見えて下り坂。ちなみに妻はこの夜38度台の発熱。
23:00過ぎ。二期会の制作より、明日の舞台稽古の出席停止と、当日結果の出る東京都の無料PCR検査所を案内して頂く。
コロナだったらどうしよう…との不安を抱き就寝。

【陽性反応】
2/6(日)
翌朝、多少の倦怠感と喉のイガイガ、わずかな咳があったものの平熱、指定された検査所へ。妻は引き続き発熱でグッタリしており私だけ。
11:00。PCR検査を受ける。
12:00頃に家に着き、怠くて布団へ直行。
この頃は平熱だった。
15:30。スマホのメール着信で起きる。
どうやらPCR検査の結果のようである。
メールを開く。
「陽性の疑い」


「…」
(陽性の疑いって、陽性の可能性がある、ってことか、陽性の可能性が無い、どっち?となりの「陰性」って何?)と、頭が混乱する。
だか、どう見ても「貴方は陽性だと思いますよ」ってことだよなと。
すぐさま二期会に連絡。
とにかく安静にして、医療の受診を指示される。
この日は日曜日。かかりつけ医は明日から。
とにかく、前日の共演者、関係者にも連絡。
ショックで再び寝る。
22:00。発熱。37.8度。確実だ…。
喉の痛み、咳、痰。

【隔離療養開始】
2/7(月)
朝36.7度。
9:00。かかりつけ医に電話。発熱外来の予約のつもりが、先生より「只今からコロナの診察に切り替えますよ」宣言。
症状を説明しPCR検査で「陽性の疑い」って出たことを話すと、「陽性の疑い?」と逆に質問される。
「医学上は「陽性の疑い」という概念はなく、それ自体が「陽性」の判断です。
ですから、渡邉さんは「陽性」です。奥様も同じ症状であり濃厚接触が十分ありますから、陽性とみなします。「みなし陽性」です。」
「今から私の目の前のパソコンで厚労省にお二人をコロナ患者として登録します。登録されたのと同時にお二人は厚労省の管理下に置かれ隔離療養に入り、外出も一切できなくなりますが、よろしいですね?」
こうして、自宅での隔離療養が始まりました。
ちなみに、発症日(2/5)の翌日(2/6)からが療養開始とみなされるので、正確には2/6から10日間(2/15まで)が最短の隔離期間たなる。
そして会話で出た妻の「みなし陽性」、これが後々ちょっと面倒なことに。
それはさておき、突然のことなのに1時間弱、電話で診察して頂き、今後のことまで様々なことをご教示頂いた。
電話の最後には「一緒にコロナを乗り越えていきましょう!」とも。
とても良い先生に巡り会えたと思う。

二期会に「陽性」が確定したと連絡。
どう計算しても公演最終日も療養期間であることから、この時点で事実上、降板が決まってしまったようなものだ。
プロになってオペラを降板したのは初めてである。
ご迷惑をかけたお詫びやら、今後どうしたら良いのかなど、つらつらとメールにしたためる。
それに対し、こちらのことや今後のことは心配なさらないで、まずは安静にお大事にして下さいとの返事を頂く。
優しいお気遣いに感謝。
そして、毎朝夕の体温や体調のみ定期的に連絡してほしいとのことで、これは公演終了まで継続した。

11:00。薬局から処方された薬が玄関のドアノブまで届く。
カロナールと葛根湯。
本当はトランサルミンも処方されたが、これは僕の体が合わないので、無しになった。
これで大体治るので、様子を見ましょうとのこと。

午前中のうちに朦朧とする中で、HERSYSというコロナ患者・厚労省・地元の保健所・担当医で情報共有するサイトに登録。
一日2回、体温や酸素飽和濃度、体調などを療養最終日まで記入することになる。

それと、東京都の「うちサポ東京」というサイトに登録。
自宅での隔離療養者をバックアップする東京都のシステムで、健康上の不安などの相談にも乗ってくれるほか、食料や飲料の支援物資の支給、また治療のバロメータとなる酸素飽和度を測るパルスオキシメーターのレンタルなどもしてくれる。

この2つの登録で午前中は終わった。

咳と喉の痛み、痰が酷くなるが、お薬を飲んだら少し熱が下がり出し、寝る前は37.0度。とりあえずこの日は終わる。
そう言えば、この日は《フィガロ》のゲネプロだった。

【支援物資】
2/8(火)
カロナールのおかげか、朝の体温は36.6度で平熱。
咳と喉の痛み、痰は変わらずだが、気分は良い。
なんだ、コロナ楽勝!と思った。
あとは降板したオペラ公演を成功させるように、ネットから援護射撃したりして、気長に療養期間を消化するか、くらいに考えていた。
ウチの奥さんは、この日から平熱に。

11:00。「うちサポ東京」と「練馬区」から支援物資が届く。
2人合わせてダンボール8つ分の食料と飲料。
こんなに手厚くサポートして頂くとは思ってもみなかった。

本当に、東京都と練馬区には足を向けて寝られませんよ。
ありがたかった。
でも、なぜか自宅療養者にとって、最も欲しかったパルスオキシメーターは入っておらず。
直接医療を受けられない自宅療養者にとって唯一の、自分の身体を医学的に把握できる道具。
なぜ来ないのか…。

ウチの奥さんは、特に僕が肥満という基礎疾患持ちなので、パルスオキシメーターは必須であると考え、それを持っている友人に貸してもらえるよう依頼。翌日には貸して頂いた。
これが、非常に吉と出た。

支援物資に話を戻すと、やはり具合悪い時は料理は大変で、とても助かった。
ありがたかった。
この他に必要なものは、Amazon ライフを活用し、補充した。
ネットを活用すれば、物資調達は問題無い。
こうしてこの日は平穏に終わる。

【新薬ラゲブリオ】
2/9(水)
この日は《フィガロ》の初日。本当なら僕の出番の日だった。
朝の目覚めは良くなかった。
オペラに出れないということもあるが、明らかに体調が悪い。
熱っぽい。
再び発熱。37.4度。
まあ、一進一退はするだろう。

この日あたりから、5日の共演者、関係者に体調やPCRの結果を聞く。
結果的には、私らからの感染、クラスターは確認されなかった。
これは、ほんとに良かった!
とても心配していたからだ。

18:30《フィガロの結婚》開演。
今頃序曲が終わり、フィガロとスザンナの二重唱かな?とか、考えながら過ごす。
悔しい、不甲斐ない。
同時に二期会の公演関係のTwitterをリツイートし始める。
これくらいしか、今の自分には役に立つことはない。

20:00。なんか、ものすごい寒い。ジワジワと寒気が。倦怠感も酷い。
体温を測る。
38.8度。
前日の「コロナ楽勝!」は前言撤回である。
咳、喉の痛み、痰に加えて、鼻水も酷くなり口呼吸しかできなくなる。
必然的に呼吸が苦しくなる。
カロナールを飲んでも全く効かない。
咳で起き、痰が絡んで呼吸困難で起き、とにかく息苦しくて熟睡できなかった。

2/10(木)
朝38.0度。酸素飽和度も95以下まで下がる。
体温は前夜よりは下がったが、非常に具合が悪い。
時間が経つにつれて、倦怠感、息苦しさ、咳が酷くなっていく。
このままでは肺炎になるんじゃないかと不安になっていたところに、お医者様より確認の電話。
妻は回復してきているが、僕がとても具合悪くなってしまった旨伝える。
酸素飽和度も下がった。
先生から新薬の「ラゲブリオ」にチャレンジするか聞かれた。
本来は僕の年齢では処方されない薬で、コロナの症状悪化を食い止める抗ウィルス薬であるのだが、僕の基礎疾患(肥満)と現状から察するに、このまま坂を転げるように中等症、重症まで悪化することも十分考えられるから、エビデンスは少ないからリスクのこともあるけど、やってみます?と言われた。
僕はカロナールと「気合い」だけでは、たぶん治らないだろうと思ったので、投薬を決意。
お医者様も「あの時こうやっておけばよかった、ってよりは、こんだけやったんだ!って言う方がいいですよ。一緒に頑張りましょう」と言ってくれ、ちょっと怖かったが、飲むことにした。

すぐに薬局さんが届けにきてくれて、飲み始める。
これが見るからに毒毒しい。
でも効くことを信じて飲む。さもなくば、これ以上悪化すれば入院ですともお医者様から言われた。
とにかく、この薬に全てを託そうと思った。

とにかく、寝た。
夜は体温38.1度、酸素飽和度は97。
少し持ち直した。
でも具合悪くて、寝にくい夜だった。

【平熱】
2/11(金)
ラゲブリオは朝夕食後に一回4錠、5日分を必ず最後まで飲み切らなくてはならない。
汚い話だが、ゲップをすると、この世のものとは思えない非常に人工的な臭いがする。
だが、これを飲んだ途端、まず熱がだんだんと下がっていき、36.6度まで下がった。
ちなみに、カロナールと葛根湯も引き続き飲んだ。
結果から言えば、その後、熱は一度も37.0度を超えず平熱のままだった。
ただ、常に悪寒は続いており、熱が上がったなと思っても36.7度くらいであり、数字上は平熱のままだった。
これは、完全に薬のおかげで、コロナウィルスはまだ体内で鉄砲を打ちまくっており、ラゲブリオがそれに応戦してコロナが少し押され気味ということなのだろうと思った。
兎にも角にも、熱は平熱に戻り、酸素飽和度も安定したが、咳、痰、鼻水、それと倦怠感はその後も暫く続いた。
ここからは、しばらく変わり映えの無い毎日が続く。

2/12(土)
この日は《フィガロ》の2回目の出番の日で、僕の組は千穐楽。
ああ、結局、出られなかったなあと言う思いと、僕以外、無事に公演までみんな辿り着いてくれた、と言う安堵感につつまれ、相変わらずグダーと過ごす。

突如発症した2/5から1週間。
この日までに2/5のコンサートに関係した方々が感染したと言うことや、クラスターなどは確認されなかったので、本当に安堵した。

保健所との電話で、ラゲブリオのおかげで平熱が続いているとのことなので、明日から一旦、カロナールと葛根湯をやめてみて、ラゲブリオだけにしてみましょうと提案される。
それと、僕の隔離期間は本来ならば15日までだけども、ラゲブリオが終了する14日の翌日15日から三日間、NO薬品で健康的に問題無いようならば17日までが隔離期間ということに変更することをお医者様と調整しますとなった。
いずれにしても、隔離期間が2日増えた。
こうして、少し隔離が増えたが、少し見通しがついてきた。

2/13も14も大して体調は変わらずだが、咳は前ほどでもなく、痰も減ってきて、鼻水も鼻をかめば鼻呼吸ができるくらいになる。
こうして、14日でラゲブリオの投薬は終了。

2/14には、前日13日で《フィガロ》は全公演を終演したので、一出演者として、降板に対する現在の心境を言葉にした方が良いだろうと思い、当ブログで「東京二期会《フィガロの結婚》降板に関して」という記事を投稿。

【ラスト3日間はNO薬品で】
コロナ隔離を解除するためには、最後の3日間を、解熱剤やコロナ関連の薬品無しで、無症状で過ごさなくてはならない。
仮にここでもう一度発熱すると、振り出しに戻り隔離期間が増やされる。
ここまで来ると、平熱はもちろんだが変な悪寒も無くなり、体温に対して相応の体調となり、咳や痰の症状もだいぶ軽減さてきた。
ただ、体力が無くなったのか、少し起きていると疲れてしまい、寝ても寝ても寝足りないと言う倦怠感は続いた。
それと、ここにきて頭痛。
これは、コロナ禍になってから激増したらしいが、後頭神経痛と言うものらしく、姿勢の悪さやストレスから来るらしい。
大抵、起きて椅子に座って1時間後位に片方(僕の場合は右側)の首筋から後頭部にかけてズギンズギンと強めの頭痛。
仕方なくロキソニンを飲んだら治ったので、暫く一日1錠か2錠飲んだ。
これは、コロナウィルスとは全く関係ないので、カウントされない。

【みなし陽性】
初めのほうで、妻が「みなし陽性」と診断され、現実的に陽性だったと思うが、これが少し厄介なことになった。
妻が僕より早く15日までで隔離解除となったのだか、その少し前、保健所との電話。
コロナ療養中の「就業規制」に対して保険から「入院」扱いで補償が出るのだが、その為には保健所から「隔離療養の証明書」を発行してもらわなくてさならない。
ところが「みなし陽性」だと保健所からのその証明書は発行できないと言う。
これは、「みなし陽性」の法制度やシステムが脆弱であることのためである。
結果的には、診断した医師からの「診断書」を有料ではあるが発行してもらえれば、保険会社としてはそれで良いということになり、ことなきを得た。
だか、このことのイニシアチブが省庁や行政や医療機関で取れていないのは問題だと思った。
ここは改善してほしいと思った。

【結局どうなった?パルスオキシメーター】
2/17(木)
コロナ隔離最終日である。
この日もマイペースで過ごしていたところ、見慣れない番号で着信が。
出てみると、
「私ども、とうひょうとから依頼されておりまふ◯□社と言うものですが、パルフオキヒメーターのレンタルの件でおれんわしました。遅くなりまひたが、明日お届けひます」
と言う、長州力さんみたいな特徴的な喋り方の方からの電話だった。
ちょっと何を言ってるかわからないのでもう一度説明してもらって、やっと意味が分かった。
でも、今日で隔離も終わりなので、送って頂かなくても結構です、と丁重にお断りしたら、
「いやあ、そうでふよね、わかりました。ひつれい致しました」
と。
恐らく、私以外にも沢山同じことを言われたのだろう。
ちなみに、妻は申し込んでいないのに、多分同じ長州力さんから同じ内容の電話を受けていた。
情報が混乱している。
それにしても、この長州力さんもお気の毒である。
同じように、断れまくったのだろう。
東京都のサポート体制には感謝してもしたりないくらいだが、唯一、パルスオキシメーターだけは、早めにレンタルして頂きたかった。
きっと、この蔓延でレンタルがうまくいっていにいのだろうけど、患者にとっては、とても大事なものなので。
僕はたまたまた友人から借りられたから良かったものの、多くの人はそうはいかないのではないだろうか。

【隔離療養解除されて】
2/18(金)
こうして隔離生活は終わった。
それから数日経ったが、咳だけは抜けないのと、体力が落ちてしまい、ものすごく疲れやすくなってしまった。
今は咳よりも倦怠感が少し辛いです。
これは、焦らずゆっくり、体力を回復するしかありません。

さて、そもそも、僕は、いつ、どこで、誰からうつされたのか?
コロナになってみてからずっと考えてますが、思いつきません。
もしかしたら、妻からうつったのかも知れません。
それも分かりません。
感染する前は、2人とも、ちょっと神経質過ぎるんじゃないの?って言うくらい、気をつけてました。
消毒や手洗い、うがいはもちろん、スーパーで買い物したら、全ての商品を一つ一つ除菌タオルで拭いてからではないと口にしませんでしたし、稽古場では、僕はコンビニで買ったものとかも一つ一つ除菌してましてし、自分のテーブルも除菌タオルで必ず除菌してました。
第6波以降は、外食も極力控えてましたし、やむを得ず外食した時は食べる時以外はすぐマスクをしてました。
もちろん手の消毒、テーブルの消毒も怠りませんでした。
そこまでしても、感染します。
症状的には、多くの場合、風邪程度で、無症状の方も大勢います。
ですので、必要以上に恐れる必要も無いと思いますが、現状、今の日本のシステムですと、感染したら、その人は全ての活動がストップさせられてしまいます。
それに対する補償は良いと思いましたが、今回はオペラを降板すると言う、思いもしないことになってしまいました。
もちろん、運が悪ければ、坂を転げるように悪化してしまい、実際、最悪、亡くなる方もいらっしゃいます。
ですので、罹らなければ罹らない方が、当たり前ですが、その方が絶対に良いです。
そう遠からず、この感染症は、大したものにならなくなると思いますが、もう暫く、この状況を乗り越える姿勢で生活しなければなりません。
どうぞ皆様、正しく恐れ、正しく恐れないで、この厄介な鬼から、身を遠ざけて下さい。

私はあともう少し、無理せず、少しずつ体力を戻して、また、皆様の前で思いっきり歌えるよう、頑張ります。
また、劇場でお会いしましょう!

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