見出し画像

オペラ《黄金の国》青島広志

二期会オペラ研修所本科では前期の前半が邦人作曲家のオペラ作品をテーマにしております。

私が講師として所属しております岩森美里クラスでは、《夕鶴》團伊玖磨、《袈裟と盛遠》石井歓、そして《黄金の国》青島広志の3つを教材として取り上げ、その中の二重唱や三重唱を研修生に割り当て研修が始まるところです。

さて今日はその中の遠藤周作原作・青島広志作曲《黄金の国》を少しだけ。

原作である『黄金の国』は遠藤周作氏の代表作『沈黙』の前段のストーリーで、長崎の隠れキリシタン弾圧の息詰まる作品です。

この戯曲をベースに青島広志氏による作曲で生まれたのが、オペラ《黄金の国》。もともとは青島氏が東京芸術大学作曲科の卒業作品として作曲されたものに、後日加筆され1982年に初演されました。またこの《黄金の国》の後編となるオペラ《沈黙》は松村禎三氏の作曲により1993年初演されています。

さて《黄金の国》ですが、島原の乱の2年後の長崎を舞台に、キリシタン弾圧によりとうとう日本でただ一人の神父となってしまったフェレイラ、表向きはキリシタンから転向した奉行所の役人として働き裏ではフェレイラを匿う隠れキリシタンの朝長作右衛門、その娘の雪、フェレイラに反対されつつも雪と相思相愛となった奉行所の若役人である複雑な立場の加納源之助、かつては敬虔なキリシタンだったものの弾圧に屈し弾圧する側に成り果てた井上筑後守、その右腕で人を殺すことを何とも思わぬ狡猾な平田主膳、そして村の敬虔な素朴な隠れキリシタンたち、これらが、人間の信ずる限界とは何か、己の命か棄教か、全てのギリギリの精神状態を経て、それぞれの行くべき道を歩く、なんとも重いストーリーに、青島広志さんのエスプリたっぷりの音楽が包みこみます。

この作品、楽譜は出版されてますが、とにかく音源、映像等が極端に少ない。もともと邦人オペラは資料はどうしても少なくなりがち。もっといろいろなことが知りたい。

というわけで、先日、原作である遠藤周作氏の『黄金の国』の本を買ってみました。

結果…どハマりしております。

ちょっと恥ずかしい話なのですが、私、遠藤周作氏の作品は高校生の時に一度図書館で読んでみたのですけど、もともと信仰する宗教を持たない私は、その多くのテーマとなるキリスト教になんとなく重さを感じてしまって、数ページ読んだかなあ、それぐらいで返却カウンターへ返してしまい、以来、遠藤周作氏の作品には苦手意識が強く、一冊も読んだことがなかったのです。

いやはや、食わず嫌いを反省。

なんで高校生の頃、最初しか読まないで読むのをやめちゃったのだろう。私が歳取ったのですかねえ。ええ、そうですね。それは否定できませんね😁

この作品に限らず、歴史を紐解くと「隠れ」ナントカというのは世界のどこかに必ずいました。

多くが国家や権力者による何らかの弾圧に対して、己の意思や信仰を貫き、表と裏を使い分ける、或いは完全に裏へまわる、そんな人々。今この瞬間にも世界のどこかに居るのではないかと思うこともあります。

大変不自由で制限された環境で最大限の意思を貫くこと、並大抵ではありませんね。

この作品に接していてふと不思議なことに、今の自分にもある側面からは重なるように思うこともあります。

全く次元も何もかもレベルは違うのですが、このご時世で、オペラを、歌をやることは、様々な制限があります。きっといつか元に戻ることを信じてますが、現状、LiveではなくNetを活用しなければならない、或いはうまくいってLiveであっても様々な制約が重なり興行的に困難な状況であったり。でもそのような中でも、何か音楽で伝えることはできるのではないか、と今たくさんの私の仲間達が様々なことにチャレンジしています。

隠れキリシタンから見れば、どうってことないことかも知れませんが、なんとなく、たとえ非常に困難な時でも一筋の光を見出すことでは、そこは重なるかな。

明けない夜はない、それを信じて、これからも自分の音楽を高めていきたいと思います。同時に研修生には大変不便な環境かも知れないけれども、その中で一筋の光を探して、自分の表現を見つけていって、それを宝にしてほしいと願っております。

※スキ❤️のクリック、またよろしければ↓よりサポート頂けましたら幸いに存じます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?