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エピソードのある建築

BSの紀行番組を見てちょっと涙が出るくらい、旅に飢えている。

海外旅行に行きたい。行きたくてしょうがない。

国内外を問わず、私の旅行中の楽しみのひとつは「建築めぐり」。大学3年の夏休みにひとりで、国内の世界遺産数カ所を訪れたほどだ。建築史の授業が大好きで、学期末の課題は本来の専攻そっちのけで取り組んだこともある。

ところがこの1年、全然建築を見に行ってないことに気がついた。noteに書いて、建築熱を再燃させようと思う。ここでは見た目の華やかさだけでなく、興味を引く逸話を持つ建築を紹介する。

(…このエッセイ連載は手描き文字をテーマにしていますが、今回は盛大に脱線します。)

扉の建築はフィレンツェにあるサンタ・クローチェ教会。ミケランジェロやガリレオ、マキャヴェリが眠る。夕陽に照らされた白いファサードは、本当に美しかった。


建築の立ち位置


建築。それは人々は暮らし、ときには神が住まう芸術だ。

フランス文化省やバウハウスに言わせれば、建築は芸術のヒエラルキーの頂点に位置している。人間の知恵と技術と感性の結晶といえるだろう。

しかし高尚で威厳のある巨大な人工物にも、人間くさいエピソードがつきもの。

その物語に触れると、建築の見え方がガラリと変わることもある。冷たくもの言わぬ建物に関わってきた人々の姿が重なって、とてもロマンチックで魅力的に見えてくるのだ。

ハトシェプスト葬祭神殿

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古代エジプト建築といえばピラミッドだが、ピラミッド以外の建築も多数現存する。たとえば、王家の谷のほど近くにある「ハトシェプスト葬祭神殿」だ。

ハトシェプストは紀元前15世紀のエジプトの女王。彼女は実子ではない、息子のトトメス3世と共同統治を行っていた。しかし彼女は死後、正統な王として記録されることはなかった。

ハトシェプストに仕えた官吏は神殿を「金と銀で細工がなされた神の宮殿、それはその輝きで(人々の)顔を照らした」と評している。

ハトシェプストの治世は穏やかだったとされるが、3500年前のことは正確にはわからない。しかし巨大な神殿は古代エジプト人の信仰の深さと、王族の力の大きさを伝え、当時のことを想像させてくれる。


サン・マルコ大聖堂

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念願叶って2018年に訪れた、ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂。マスカレードの最終日だったため、大聖堂前の広場にはTV中継のステージがセットされ、観光客と着飾った人でごった返していた。実際に目にした大聖堂は荘厳なだけでなく、現代の世俗と共存していた。狭い路地を抜けて大聖堂にまみえた時、湧き上がる感動が襲ってきたのを覚えている。

聖マルコは新約聖書の執筆者のひとりである。彼は守護聖獣のライオンが聖書に前足を置いたシンボルで表される。このシンボルはヴェネツィア共和国旗のデザインにも使われている。

ヴェネツィアの守護聖人ははじめ、聖マルコではなかった。しかし建国間もない9世紀に、エジプトのアレクサンドリアから聖マルコの遺体を盗んで(買ったともいわれる)きて、新しい守護聖人として迎え入れた。それまでよりも高位な聖人の訪れに、市民は歓喜したという。

現在の大聖堂は3代目の建物で、11世紀に建立されたもの。中世はヴィネツィアが世界貿易の中心地だった。大聖堂は何度も火災に見舞われ、政治的な動きに翻弄されつづけた。

千年以上も信仰と俗世の間に佇む、美しい海上教会である。


スルタン・アフメト・モスク

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通称ブルー・モスクと呼ばれるこのモスクは、トルコ随一の建築家スィナンの弟子、メフメト・アーの設計による。金角湾を臨むイスタンブールの地に、アヤ・ソフィアと並ぶように、17世紀に建立された。

ここで着目すべきはミナレットの本数である。通常メッカ以外のモスクのミナレットは4本までと決められている。しかし、設計者が「アルトゥン(金)」と「アルトゥ(6本)」を聞き間違えたため、当時のメッカと同じ6本のミナレットを持つことになったという。

内装はイズニク製の美しい青タイルで彩られ、「世界一美しいモスク」ともいわれる。東西の文化が交わる歴史都市イスタンブール。聞き間違いから生まれた唯一無二のデザインのモスクが、その一部を構成していると思うと、なんだかお茶目で親しみが持てる。


ヴォー・ル・ヴィ・コント

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パリ郊外にあるこの邸宅は17世紀のバロック建築の傑作だ。財務長官・ニコラ=フーケのためにル=ヴォーが設計した。城は堀に囲まれた「島」に据えられ周りには広大な庭が広がる。建築家ル・ヴォーと造園家ル=ノートル、そして画家で装飾家のル=ブランの3人が指揮をとり、完成させた。

その後ヴォー・ル・ヴィ・コントに刺激を受けたフランス国王ルイ14世は彼ら3人をヴェルサイユ宮殿の設計にあたらせた。一方、フーケは豪華なパーティを催したことで国王の怒りを買い、失脚。投獄されたのち、獄中死してしまった。傑作を買える財力はあっても、それに見合う品性があるとは限らないのかもしれない。

主のいなくなった城は、大きな改築をされることもなく、その美しさを現代に伝えている。


自分の足で、自分の目で


建築雑誌を読んだり、iPadでGoogle Earthを回すのも好きだ。でも自分の足で現場に行き、体を反らして建物を見上げるワクワクは何にも代え難い。事前に建築エピソードを知っていれば、その興奮も倍増だ。

2ヶ月前、久しぶりに旅行に行った。行き先は北海道。オープンしたばかりのアイヌ民族の博物館・ウポポイに行くつもりだったが、予約し忘れて行けなくなってしまった。そこで急遽、札幌駅からほど近くの北海道大学を散歩し、北大総合博物館を見学することにした。

博物館は元々、講堂として1929年に建てられた、立派なモダン・ゴシック風の建物だ。吹き抜けのホールには、四方に飾られた動植物のレリーフがあり、ちょっとした解説プレートがついていた。こういう情報は、ネットサーフィンするだけではお目にかかれない。そして日本一広いキャンパスをぼんやりと散歩するのは、とても気持ちがよかった。北大、おすすめです。

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次に海外へ行けるのはいつだろう。それまでは、旧帝大の建築めぐりもいいかもしれない。


参考文献
『古代エジプト神殿大百科』リチャード・H・ウィルキンソン/内田杉彦
東洋書林 2002年9月25日発行
『図説 ヴェネツィア「水の都」歴史散歩』ルカ コルフェライ/中山悦子
河出書房新社 1996年1月25日発行
『「図説世界建築史」第11巻 バロック建築』クリスチャン・ノベルグ=シュルツ/加藤邦男 本の友社 2001年3月10日発行
『世界の絶景 教会&寺院』趣味カルチャー事業室 学研パブリッシング
2015年3月24日発行
『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年 1』塩野七生 新潮社 2009年6月1日発行

エッセイ連載『文文としたっていいじゃない。』
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