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病院とクリニックを家業に持つ、北山 弥栄奈さん

家業があって、それを自分に合った形でサポートしたり、進化させたりしている人のことを、僕らはグラフトプレナーと呼んでいる。いったいみんな、どんな活動をして、どんな毎日を送っているんだろう。今回インタビューするのはお父様が病院を、お母様がクリニックを営む、北山 弥栄奈(きたやま・やえな)さん。

プロフィール
お名前 :北山 弥栄奈(きたやま やえな)
ご年齢 :非公開
家業 お父様が病院 お母様がクリニック
現在 :お母様のクリニックのメディカルサービス法人の社長

お父様が福岡で病院を、お母様が東京でクリニックを営む北山さん。
「私の両親は医者で、もともと家族全員で東京に住んでいたんです。父は福岡出身で、父の兄が福岡で病院を開業し、その後父が引き継ぐこととなり、私が9歳の時単身赴任で福岡に行きました。一方で母は自分の治療法を実践する為に東京でクリニックを開業しました。10歳下の弟がいるのですが、弟が生まれた後は5人家族全員で暮らしたことはありません。」

北山さんには、少しユニークで、お母様が医者ならではのエピソードがあるようです。
「母と兄と私で欽ちゃんの仮装大賞に出たことがあるんです。赤ちゃんの超音波検査をモチーフにした医療ネタで出たんです(笑)今思うと医者ならではの発想だなぁと思います。」

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医者の両親を持ちながら医者にはならなかった北山さん。北山さんのキャリアは紆余曲折した末に、お母様のクリニックメディカルサービス法人の社長に就任することで着地しました。それまでのお話を聞いてみます。


「もともと心理カウンセラーになりたいと思い大学院まで通いました。しかし卒業する前にこの分野で大きなパラダイムシフトは起こりにくいのではないかと考え、せっかく生涯をかけて生業にするのだったら一番伸びる面白い分野にしたいと思ったんです。」

そして北山さんが進んだのは、全く畑の違うIT業界でした。


「未経験でしたが新卒でエンジニアになりました。社会人をしながらITの学校に通って勉強しました。入社当初はいわゆる大企業ではなかったので自由度が高かったのですが5年くらい続けていたら、会社が大きくなりどんどん自由度が下がってきたんです。私は自由でいることを大切にしているし、これから先エンジニアとして極めるよりもサービスを作ることに興味が出たので転職してECサービスでウェブプロデューサーになりました。しかしやってみるとアメリカにある本社の力がと強く、自由度が低い気がしてきて(笑)。そんな時に同じ会社の別の部署で、日本で初めてデジタルマーケティングのポジションを募集すると聞いて『”日本で初めて”なら自由にできるぜ』と思って自ら手をあげて面接を受けて、無事そのポジションにつきました。それから4年間は意気揚々と仕事をしていたのですが。1年産休をとったらまた部署が大きくなっていて、アメリカ本社の力も強くなり、子供もいたのですぐ転職するかどうしようか悩んでていたんです。

そんな時、北山さんに転機が訪れます。
「その頃、起業という選択肢を自分の中で考えはじめていました。日中は働きながら、週末や夜などに小さいサービスを作ってはテストマーケティングをしたり。そんな時、母から「クリニックの中で法人化している部分の社長をやらないか」という話がきて、次の自分のステップとして良いなと思ったんです。何より自由そうだ!と(笑)。組織にいる限りどうしても組織に合わせなくてはいけない側面は出てきますよね、こんなに自由を求めているのだとしたら、どんな組織にいても結局同じなのだろうなと思うんです。だから社長になろうと思って今の道を選びました。」

現在は医療機関を受診した人だけが購入できるサプリメントの販売、健康経営のサポートや、お母様のクリニックにいる医者や管理栄養士をメディアにプロデュースする事業を行なっています。
「これから挑戦したいのは製造業です。患者様に提供できるような良質な食品を開発したいと思っています。それに加えて、今持っているサービスを海外に持って行きたいと思っています。」

IT業界出身の北山さんだからこそ、ITツールを使った業務改善は得意分野。事業承継した直後に人件費や経費の使い方の見直しをすぐに行い、1年後に利益を20%向上させた経験も。
「ネットの仕組みをうまく使うとキャッシュフローが綺麗になるんです。例えば人がひとつひとつ手打ちしていたものや手売りしていたものをを自動化・ウェブ化する事で、コストを下げて効率よく売上を上げることができます。自分の得意分野であり、キャッシュフローを整えるという意味で、ネットの知識を注入しています。」

自由を求めながら自由にキャリアを築いてきた北山さん。お母様のクリニックのメディカルサービス法人の社長になった今、何を感じているのでしょうか。
「社長になってみて気づいたのは、何をやるにも自分次第だということです。利己的に聞こえてしまうかもしれませんが、家業への強い思いや親だからやってあげるという意識はほとんどないんです。自分が求めるのは”自由で楽しい”こと、それが基軸にあるので親が引退した後もその軸はブレることはないと思います。」



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本記事の内容・表現は、取材当時の"瞬間"を『家業エイド』視点で切り取らせていただいた、あくまで家業を通して皆様が紡いでいる物語の過程です。皆様にとっての「家業」そして「家業との関係性」は日々変わりゆくもの。だからこそ、かけがえのない一人一人の物語がそれを必要とする誰かに届くことを切に願っております。

運営チーム一同より

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