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ハルナツアキフユ

Now&Here#11 (2013年6月記)

ぶ厚い雨雲の遙か上で、
太陽は夏の日差しの支度をして、
月はこの世界の闇を
あぶり出して包み込もうとしている。

誰かの命のありかを語るには
おこがましく、
授かった命をもてあまし、
かけがえのないこの瞬間は、
ただ過ぎ去って行く。

かつて佐野元春はアルバム
「COYOTE」の頂で、
"Show Real"と唄った。

その後、ぼくらは 2011. 3.11. を、
経験した。

震災直後 この国全体が
うろたえていた時、
奇跡的に開催された30周年
アニバーサリーライヴ。

ぼくは虹の橋のたもとで、
この世界にいる理由を眺めていました。

奏でられる音にまどろみながらも、
ある一瞬 覚醒の仕掛けにぼくは
釘付けになった。

ギグの後半、ドラムスがはじける 
4つ打ちをばらまき、
それにからむギターサウンド。

「ヤング・フォーエヴァー」での
佐橋さんと長田さんの
ツインギターによるものだが
とてつもなく荒々しく
今までに聴く事のなかった
音の塊に耳を疑った。

この時の模様は記録映像として
リリースされているが、
あの場所、あの時に感じた音象は
あたりまえだが残念ながら
刻み込む事は出来ていません。

ここでの試みは佐野元春の
祝祭の中で行われた
近い将来に実現するための実験で
あったことが今思えばわかります。

その後 The Coyote Bandと
佐野元春は左利きの
ギタリスト藤田顕をBand招き入れ
ツインギターとして
新生 The Coyote Bandとなった。

佐野元春は言葉に磨きをかけ、
The Coyote Bandは
いくつもの旅をくぐり抜けた。

2012年の夏と冬のツアーが、
ぼくの今にも朽ち落ちそうな
心に新たなしるしを残した。

春の萌しを感じる時、
夜明けは少しずつ少しずつ早まり、
朝の空気に光が微かに散りばみ始める。
新たな音楽がこの世界に
開け放たれた日はそんな春の萌しの頃。

佐野元春& The Coyote Band
2ndアルバム「Zooey」

The Heartlandの揺れのある
しなやかな精神を引き継ぎ、
The Hobo King Bandの縦横無尽で
プロフェッシナルな
ミュージシャンシップを心得た上で、
The COYOTE BANDは
自分たちならではのサウンドを更新させた。

新たなThe Coyote Bandならではの、
どちらがリードかリズムかを
決めることのない
ツインギターの絡み合い具合。

小松さんのドラムスの刻む
リズムとフィルインが、
この上なく冴えている!

高桑さんの緻密なベースラインは
ビートにまぐわる渦に悶え、
ヒップでいてエレガントな
シュンスケさんのキーボード
サウンドが何処か見知らぬ景色と
何処か誰かの心の奥底の
感情を描きひっかきむしる。

深沼さんと藤田さんのツインギターは
これからのサウンドの旗印として
凛々しく、そして隠しようもなく
クレバーに、そしてこの世界の空気を
なぞるかのようにクレイジーに唸る。

アルバム「Zooey」の音の隅々に
宿るBLUES、言葉の隅々に宿る
やるせなさ、せつなさ、
突き抜けた生への希求。

あふれ出した言葉から派生する音は
無限に積み重なり合い、
心のどこかに深いひっかき傷を残していく。

いくらなんでも、なかった事には
できないだろう?!。

風にアドバルーンが揺れている。

彼らは幻を再び追い求め、
自分の目が黒いうちは、
間抜けな奴らなどは、ほっといて
儲かる法則を大きな声で
証明してやると見得を切る。

形骸化した魂を欲望で満たし、
精神が死に絶えても肉体は
生にしがみつく。

取捨選択の末の現在地。
取り返しのつかない日々が
目の前を通り過ぎてゆく。

「お先に失礼」と誰かが
今夜も扉を開けてここを去って往く。

「愛されたいだけ」と誰かが
今夜も扉を探してさまよってる。

言葉と旋律が、
心の奥底に手を差し延べ、
死にかけた精神の扉をたたく。

手遅れであろうとなかろうと、
空っぽであろうとなかろうと、
稼ぎよくなろうと悪くなろうと、
先が長かろうと短かろうと、

彼女がここにいたしるしを胸に、
もう少しこの道を君と往く。

受け継がれてゆく、
よき事、愚かな事、

些細なすべての事柄が
この世界をかたちどり,
ぼくの残りの人生の隙間を
埋め合わせてゆく。

季節はめぐり、リアルな音を
司る神様たちは、
彼らにしか出来ないのやり方で
誰も知らないが、
誰もがかつて通り過ぎた
あの十字路で、
誰にも気付かれることなく、
気高い悪魔とこまっしゃくれた
天使を立ち会いにして
永遠の命を受け継がせてゆく。

How Does it Feel ?


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