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あなたは本当にストレートなのか

こんばんは、Gradation.Ink.こと、現在休学中の しょうや(Twitter:@sf_nigella)です😀

5月から、セクシャルマイノリティの扱われている本や映画、TED talksをTwitter・記事・facebookでしょうかいをして、少しずつ読んでくれる方が増えていてすごくうれしいです。大事に大事に記事を書いていこうと思います。

差別について考えるとき、差別されている対象との「境界線の置く場所」を考えることが重要です。
セクシャリティにおいては、「境界線を置く場所」について考えていると、その問題の解決方法はあまりに単純なことがわかります。

<目次>
LGBTQ+という言葉は嫌いだ。
どれだけの人が自分自身のことを完全に把握しているのか
セクシャリティという概念は単純明快である

LGBTQ+という言葉は嫌いだ。

差別はカテゴリーにあまりにも詰め込んでしまうことや逆にカテゴリーに認知されないことで発生する。

LGBTQ+は一昔前から現在に至るまでに、カテゴリーにあまりにも人々を詰め込んでしまうようになった。

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結果として、人々はあまりにも気にするようになり、扱いにくいトピックになっている。

一昔前から、人々に認知させるという意味で、LGBT(Q+)は大きな役割を担っている。日本でも大半の人がその存在を知っているのではないだろうか。

現在では、LGBTQ+という言葉のせいで、生きづらさを感じている人も多い。

区別することをあまりにも強要しないようにするために、現在では、SOGI(E)という言葉を使うのが個人的にはいいように感じている。
(SOGIEについて、まとめた記事も今後書いていくので、お楽しみに✨)

どれだけの人が自分自身のことを完全に把握しているのか

どれだけの人が自分自身を完全に把握することができるのだろうか?

きっと誰もできていない。どんなに自己分析をしても、日々刻々と人は変化していくからだ。

現在、セクシャリティにおける境界線は、異性愛(ストレート)とそれ以外というくくり方になっている。
しかし、考えてみてほしい。
これだけ不可思議で流動的な自分という存在が、100%ストレート、100%ゲイ、100%レズビアン、100%バイセクシャルなど言い切れる人間はそういないと思う。

異性だった人が同性を好きになる可能性だってある。同性を好きだった人が異性を好きになる可能性だってある。異性装をしたいと感じる人もいるかもしれないし、中性的な格好をしたい人もいる。セックスをしたくない人もいるし、恋愛は必要がないと感じる人もいる。

可能性を語りだしてしまうと、セクシャリティにおいては特に100%決まっているものではないのだ。

セクシャリティという概念は単純明快だ

ある一定の人を除いて、自分のセクシャリティを100%そうだといえる人はそういない。

そう思うと、セクシャリティという概念は単純明快であるべきだ。
異性愛とそれ以外というそもそもの「境界線の置く場所」が間違っている。

”人”は”人”を好きになる。
それは友情というものかもしれないし、家族になりたいとか、身体的な関係を抜きにしたものかもしれないし、本当に数えきれないほど、それこそ地球上に存在する人だけ、種類が存在する。
どれだけの人が愛する、もしくは、好きを向けあう人たちを前にして、その権利を奪うような行為をすることができるのだろうか。

ほとんどの人がそれを理解しているにも関わらず、一向にその状況が改善する様子が見えづらい。

セクシャリティにおいては、自分がおかしいのではないかと信じ切って生きづらさを感じたり、万人に平等にあるべき権利が論点をずらされながら認められなかったりしている。

人を愛すること、好きになることに何の違いがあるのだろうか。
それがなぜ好奇の目にさらされないといけないのだろうか。
あなたの愛と好きとどう違うのだろうか。

セクシャリティについて考えることは、あなたがどう生きたいかを問い直すことだと思う。

結婚するしないとか、恋愛するしないとか、それだけじゃない。
学校に行く行かないとか、友達との関係性とか、好きなものとか、好きな人とか、どんな人と仲良くなっていきたいかとか、仕事でこういうことしてたいとか、自分らしく生きるために必要な選択の数々の一つの質問なのだ。

あなたが選択をしたことに誇りを持てないのなら、なぜ持てないのだろうか。なぜ、息苦しさを感じるのだろうか。
今一度、僕たちは様々な境界線を問い直さないといけない。

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