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8/20 #映画バービーって

日本に帰国しました。

そして、帰国前からずっと観たいと思っていた、映画バービーを観てきました。

いちばんに感じたのは、女性のエンパワメントを全面に押し出した映画であって、あれだけ重くもなく、嫌味たらしくもなくまとめあげられているのがすごい。

ということで、難しいよーと文句を言いながら、私も必死に感想をまとめてみようと思う。たぶんネタバレもあります。

笑っていいのかだめなのか

重くなくまとめてある〜とは言ったものの、男性を揶揄るような表現や場面が出てくるたび、正直なところ私はかなりひやひやしながら映画を観ていた。
それはきっと、「女性とはかくあるべき」といった幻想に、私自身が強く説得されてしまっている部分があるから。

家父長制(Patriachy)に取り込まれそうになっているバービーたちを見て、かなり共感した。
だって、楽だもん。何も考えないで頷いてるの。前例をひたすら踏襲するの。Z世代なんて周りから言われてるだけで、考え方の中身は大して変わってないんじゃない?って思う。

でもねえ、それは、楽なだけであって自由ではないんだろうね。
本作では、グロリアが内に秘めていた感情を、バービーが感じ取って発露させたことがすべてのきっかけだった。
そしてグロリアは最終的にバービーを介さず、むしろバービーを力付ける形スピーチをした。
あなたが内側で考えていることは、形にしない限り、言葉にしない限り誰にも見つからず、社会は変わっていかない。
「フェミに見つかる」「フェミと同じって思われたくない」、「フェミニズム」って言葉がこんだけ消極的な捉えられ方をしてしまうこの日本の社会で、女性として感じた理不尽や怒りをはっきりと伝えるのは、なんと難しいことだろう。
何度も何度も、笑ってやり過ごしたことを、「あ、今の時代こういうこと言っちゃダメか」と言いながら、女性であることをネタにされ続けたことを思い出す。

マンマ・ミーア

大好きな映画に『マンマ・ミーア』シリーズがある。
映画バービーとは、ミュージカルシーンの多さや女性讃歌的なメッセージ性など、共通点も多い。
そんな中、両者の圧倒的な違いは、誰かの妻であることや母であることを超えて「自分自身であること」にイエスと言えるかを問いかけているかどうかだった気がする。

映画の最後、バービーの世界では、ケンが
“「Barbie & Ken」を抜け出して、これからは誰でもない、ケン自身でありなさい”
との言葉を掛けられる。
しかしこれはバービー自身にも言えることで。「ノーベル賞物理学賞受賞バービー」「売れっ子作家バービー」と、分かりやすいカテゴライズを超えて、自分が自分であることを認められているだろうか。

誰もが他者と支え合って生きていることは言うまでもないし、人と人との間に生まれる愛と呼ばれるもの、もしくは支え合って生きていくことを肯定することもとても大切だ。
ただし、映画バービーにおけるハッピーエンドにそれらは必要なかった。それだけ。

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